13話~寸草春暉~
武蔵の店を出た後、勘九郎はふらふらと歩きながら帰路を辿っていた。
商店街を抜けてから河川敷の土手沿いを延々と進んでいく。
夜空に浮かぶ満月が反射して、川面には立って歩けるようなムーンロードが揺らめいていた。
そんな小洒落た景色を横目に歩けば、吹き抜ける夜風もまた酔い覚ましにはちょうど良かった。
──その道中である。
大きな寂れたアーチ橋の前を通りかかると、その橋梁下の辺りから何やら騒がしい少年達の話し声が聞こえてきた。
勘九郎は「一体何事だろうか」と、様子を伺うためにおぼつかない足元でゆっくりとその土手を降りた。
それから暗闇の中、橋の下にあるスペースに目を凝らすと……そこには四人組の人影が見えた。
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キャンプ用のLEDランタンを一つ、それを囲むように彼らは胡坐をかいて座っていた。
まるで怪談話でもするかのような雰囲気の中、ジャ~ンと六弦の生音が鳴らされる。
「……ってな感じで~、ラストのサビはキーを一個上げたいんだよね~。だから割と高めの音程になっちゃうかもだけど……ここはハル、大丈夫かなー?」
レイがギターでコードを示しながら楽曲構成の説明をする。
それに合わせるようにハルが仮歌を口ずさむと、レイは指で輪っかを作ってOKサインを出した。かなり高いキーのメロディーとなるが、ハルの喉にはまだまだ余裕があるようだ。
今度はミツナリが年季の入った黒いジャズベースを構えながら提案をする。
「それでいくなら……サビ前のフレーズはこういう感じにするのはどうだ?ハイポジションに移動して……盛り上がる感じにする、と」
そこで思いついたアレンジを即興で披露するミツナリ。
ブリッジ辺りを力強くピッキングし、アンプ無しでもゴリゴリと鳴らされるサウンドが脳内に印象的にこだまする。
それを聞いたカナタが膝の上をスティックで叩きながら絶賛した。
「おお~!それ、超カッコいいのう!めちゃくちゃハマっとるわい!さすがナリさんじゃ!」
賞賛を浴びたミツナリは得意気な表情で、しばらくそのベースラインを鳴らし続けた。
弾むように鳴るその四弦の低音は、橋下の跳ね返りも相まって幾分心地よく響き渡っていた。
──少し離れた物陰に隠れて、その様子を眺めていた勘九郎は思わず目元を緩めた。
そして呟く。
「あいつ……楽しそうな顔してんなあ」
ポツリと浮かんだ父親の独り言は嬉しそうでありながら、どこか寂寞の色が滲むようでもあった。
やがて何かを決心したかのように大きく息を吐くと、勘九郎はその橋の下に向かってゆっくりと近づいていった。
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ザッ……ザッ……ザッ……!
サンダルをひきずるような足音が徐々に近づいて来ると、薄暗い橋の下に突如やかましい大声が響いた。
「オイ、お前らぁ!こんな遅い時間に!こんなとこで何してんだや!」
ハル達は思わずビクッと背筋を伸ばす。
彼らがその怒声の主に目を向けると、真っ先に反応したのは当然ミツナリであった。
「げっ!親父!どうしてここに?」
地べたに胡坐をかき、その膝の上に堂々とベースを構えているミツナリ。
そんな息子の姿を見下ろすようにして、勘九郎は酒臭い声を漂わせた。
「ナリぃ……お前、本当にバンドなんかやってんだなぁ」
「……だったらどうなんだよ」
「まったく……こんな時間にこんな場所に集まって……まるで不良の集会じゃねえか。ご近所さんに見つかったらどうすんだ、みっともねぇ」
「知るか。酔っ払いに文句を言われる筋合いはねェよ」
「……ふん、減らず口のバカ息子め」
勘九郎はそう言って頭に巻いていたタオルの上から、ボリボリとその頭部を掻いた。
それから今度はミツナリだけではなく、一緒にいたバンドメンバーの顔もじっくりと眺めながら問いかけた。
「お前さん達はよぉ……これからの将来、音楽の道に進んで『バンドで成功しよう』だなんて……本気でそんなことを考えていたりすんのか?」
ハルを筆頭に、その場にいた全員が即座に頷いた。
勘九郎は首を振りながら溜息をつく。
「はぁ……夢だけで食っていけるほど世の中は甘くねぇってのに……」
それから勘九郎は「げぷぅ」と不愉快なゲップをすると、その行為とは相反するような真剣な眼差しで説き始めた。
「いいかぁ?お前らが憧れてる音楽だとかバンドだとか……そういう華やかで楽しそうに見える世界ほど『競争』ってのは激しいもんなんだ。夢を持って努力をすれば誰もが全員、正しく報われる訳じゃねえ。かといって今度は『努力したから認めて下さい』なんて、そういう努力賞が貰える世界でもねえだろうよ。つまりだ……結果が出なけりゃ何もしてないのと一緒なんだよ。そういう博打みたいな人生を歩んだ挙句……時間ばっかり無駄に浪費して、年だけ食って……その先には『何も残らない』可能性だってあるんだぞ?それは分かってんのか?それでも夢を追う覚悟はあるってのか!?」
その場にシーンとした空気が流れた。
橋の下をチャプチャプと流れる川の音だけが、その空間に存在する唯一の音となった。
黙り込む少年達を前にして、勘九郎は腕を組みながらまるで小さな壁のように立ちはだかっていた。
しかし、勘九郎が求めていたのはそのような静寂ではない。
勘九郎は……「言葉」を待っていた。
気まずいとも違う、緊張とも違う、そんな重苦しい時間がしばらく流れた後。
その静寂を破るようにして……口を開いたのはミツナリであった。
「……別にそれで構わねェよ」
「なんだと……?」
「全力を尽くした後に……全力で手を伸ばした先に……それでも結果が出ないんなら、それはそれで構わねェ」
「……そこに『何も残らない』可能性があるとしてもか?」
「ああ……それでも俺は……やりてェようにやる。だってよ……」
それからミツナリはベースのネックをギュッと強く握りしめると、勘九郎の目を真正面から捉えてニヤリと笑った。
「『何も残らない』ってことは……『悔いも残らない』ってことだろ?だったら尚更だ」
そう告げたミツナリの目には寸分の迷いも見当たらなかった。
見渡すと……周囲にいる仲間達も皆揃って同じ目をしている。
勘九郎は満足そうに口角を小さく上げた。
「ふん、そうか……」
そして少しの間を置いてから、今度は橋の下に思いきり響くような大声で笑い始めた。
「ふ、はは……ははは……がーはっはっは!!まったく上手いこと言いやがって!やっぱり正真正銘のバカ息子だ、お前は!」
「な……なんだよ、急にうるせェな」
「青二才の田舎っぺのくせに!口だけは達者ときたもんだ!バカバカしいにもほどがあるでやぁ!」
「ぐ……うざってェ……!ていうかよ……わざわざそんなこと言いに来たのかよ!用がねェならさっさと帰れ!バンド練習の邪魔なんだよ!」
「おうおう、言われなくてもそうするわ。邪魔して悪かったな。俺は飲み過ぎて頭が痛いから、さっさと帰ってクソして寝る!」
「ああ、頼むからそうしてくれ。もう二度と俺たちの前にその汚ねぇツラを見せんなよ」
ミツナリに激しく罵倒されると、勘九郎は嬉しそうにニヤニヤと笑った。
それから勘九郎はくるりと背中を向けると、去り際に再び口を開いた。
「なあ、三成」
「はぁ……なんだってんだよ!さっさと消えろっての、このタコ親父!!」
「頑張れよ」
それだけポツリと言うと、勘九郎はゆっくりと手を上げながらその場を後にしていった。
穴の開きそうな使い古された靴下に、履き潰されたサンダルのかかとを引きずって、千鳥足でよろよろと土手を上っていく。
いつも着ている作業着に付着した落ちない泥汚れや汗の黄ばみ、それらを美しい月明かりの下に照らしながら……。
★
「さーて……邪魔者はいなくなったことだし……アレンジの再開をしようぜ……」
気を取り直すかのようにベースを構えたミツナリの顔を、ハル達は微笑みながら凝視していた。
彼らの目はまるで何かを急かしているようであった。
「わ、わりィ……ちょっと……小便……行ってくる」
一言だけ断りを入れると、ミツナリはベースを地べたに置き、すぐさまその場から立ち上がった。
橋の下を出て、急ぎ足で土手を上ると、ミツナリは勘九郎の姿を目を凝らして探した。
すると……土手沿いをよろめきながら進んでいる父の姿はもう随分と遠くになっていた。
あっという間に遠ざかり、小さくなっていく後ろ姿。
その背中に向かって……ミツナリは直角に深々と頭を下げた……。
夜空に大きく響き渡る感謝の言葉を添えながら──




