圧倒的な絶望、そして逆転への希望
「ふッぎゅるぁああ!? 至高の魔法師……! 人類の宝とまで呼ばれた黄金の魔法師、このラソーニ・スルジャンに対する無礼ッ! 重ね重ねの侮辱ッ……! もう許さんッ!」
「許さんも何も、むちゃくちゃなのはお前だ!」
ディーユは思わず叫んだ。
歴代最高の魔法師とまで呼ばれた男が、邪悪な侵略者に落ちぶれていた。
魔導災害で滅んだ世界、白い砂漠の中で、頭がイカレたのだろう。しかし、だからといって必死で頑張っているミーグ領を奪い、人々の命を喰らっていい理由にはならない。
やっとたどり着いた希望の地ミーグ。ここはディーユにとってようやく見つけた安住の地。、コロやミゥ、ミスティア、アイナと生きていける希望の地なのだ。
――枯死再想、ウィード・リコレクション!
ディーユが地面に手裏剣のように投げた小枝から、一気に植物の蔓が伸びた。それは藤蔓で、物理的な束縛を狙ったものだ。十メルを蛇のように進んだ藤蔓が、ラソーニ・スルジャンの足に絡みつく。
「ふっ……! こんなもので私を縛ったつもりかぁああっ!」
黒い魔力の波動をそのまま放ち、藤蔓を破砕した。
――やはり……!
ヤツは魔法を使えなくなったのか?
王宮に居た頃のラソーニ・スルジャンならば、何らかの魔法を即座に励起、引き千切ったはずだ。だが炎も、風の刃も、複雑な術式を必要とする魔法を励起しない。
いや出来ないのではないか?
「ラソーニ、お前……」
「私はぁッ! 最強にして、最高の魔法師だぁあっ! この清らかなる新世界の支配者にして、神にも等しき魔法の力で、全てを支配するッ――」
ラソーニ・スルジャンはドウッ! と全身から激しく黒いオーラを噴出した。
「うわっ!?」
これも魔法じゃない。乱暴で強引な魔力の放出。高度な魔法を操る魔法師ならば、行うはずのない力まかせの暴挙だ。
ラソーニは暗黒の魔力の嵐を全身に纏わせ、身体のみならず顔までも悪鬼のごとく変容してゆく。
その姿は襲来したガーゴイルよりも更に邪悪な、悪魔そのものだった。
「なんと禍々しい姿だ!」
アイナが呻く。
ラソーニの頭には黒山羊のような二本の角がギュルリと伸び、背中の蝙蝠じみた羽は四枚に倍加、さしずめガーゴイルの上位魔族といった姿に圧倒される。
『――ギィヒヒ! これぞ黒鬼憑変、デーモニア・ジャケッツ!』
邪悪な魔力波動が放たれ、周囲に散らばっていた犠牲者たちの遺品を吹き飛ばした。中庭と城が激しい衝撃波に飲まれ、窓ガラスが次々に割れる音が響く。
「一種の外骨格系魔導装甲か……!」
「あっ! 変身しても額の『排泄物』の文字は消えないんだね」
ラソーニの変身など何処吹く風、ミスティアのツッコミが怒りの炎に油を注ぐ。
『きっッ!? 貴ッ様ら全員ブッ、殺ォオオッス!』
ラソーニ・スルジャンは目玉が破裂せんばかりに怒り狂った。上半身を振りかぶり、拳を突き出す。と、ディーユの目の前の地面が爆ぜた。
「うおっ!」
「ひゃあっ!?」
咄嗟にミスティアを庇い、跳び退く。
距離は十メル以上も離れていた。命中精度が甘く、命拾いしたが致命傷になりかねない。
――今のも魔法とは呼べない技……! 乱暴な拳圧と魔力の合わせ技だ。
「ミスティア挑発しすぎだぞ」
「えー? ホントのことなのに」
「大丈夫かディーユ! ミスティア!」
「アイナ! ヤツは強大だが一人だ、城の兵士と連携して戦うんだ」
「あぁ!」
「ラソーニ・スルジャン! 貴様の事情など、もうどうでもいい、テメェは我が兵を殺した! それも俺の目の前でな!」
命令違反を犯した兵士とはいえ、大切な領民に変わりはない。目の前で何十人も殺害されたことで怒り心頭なのだ。
『田舎領主がァア、お前も殺してやる……!』
「そうかよ気が合うじゃねぇかお客人! 俺も貴様を殺したくてしょうがなくなったぜ。――我がミーグの名において命ずる! 兵を再編成! ここで討伐せよ!」
ミーグ伯爵が大声で叫び、剣を差し向け命令を下す。
「「「ハッ!」」」
命令に即座に兵士たちが動いた。ラソーニを取り囲むよう陣形を組んだのは、猟犬小隊たち十数名。更に城に残っていた衛兵が十名ほど加わって抜刀、戦闘態勢を取る。
「対魔獣陣形、三方向から仕掛けるぞ!」
「見た目に気圧されるな! 相手は一匹だ!」
デーモニア・ジャケッツをまとい、悪魔の姿となったラソーニ・スルジャンを取り囲む。
「俺も支援する!」
「感謝する、ディーユ殿!」
この場にいる魔法師はディーユ一人だが、攻撃支援の魔法は得意とするところだ。そして、城に来て走り回りながら、いくつかの「仕込み」を終えていた。攻撃を避けながら、小枝や種を地面に仕込んだ。あとはタイミングを見計らい、動きを封じる罠とする。
「戦闘開始!」
猟犬小隊たち二班が左右から連続で斬りかかった。ナイトワン、ナイトツーと互いに呼応しながら、巨大な黒い悪悪に肉薄する。
『舐めるなよぁああ、雑魚どもがぁあッ!』
ラソーニ・スルジャンは腕を振り回し、魔力の波動と衝撃波を混ぜた技を繰り出す。
一人の隊員が吹き飛ばされたが、技の範囲、威力、タイミングは既に見切られていた。連続で技を出せるが、一秒ほどのスキが出来る。それを狙って猟犬小隊の隊員たちが、左右から剣で脚を、腕を斬る。
『ヌ、グゥオ……!?』
ラソーニ・スルジャンがよろめく。ボタボタとどす黒い汁のような体液が地面に溢れた。黒い液体が城の中庭を染めてゆく。
「いけるぞ、第三班!」
「連続攻撃、相手に休む暇を与えるな!」
次第に傷が増え、ラソーニがドウッ、と片膝を地面についた。
「おおっ! 流石は魔獣狩りのプロ集団……! いける! あの悪魔を圧倒している!」
アイナも身構え攻撃の機会を窺っているが、三方向から四人ずつの連続波状攻撃に、付け入るスキはない。
「……ディーユ」
ミスティアが勘付いた。
嫌な予感がした。いや、邪悪な魔力の気配が徐々に場に満ち始めている。
「これは……まさか!」
「首だ! 頭部を集中攻撃!」
猟犬小隊の第一班が、一気に畳み掛けようと剣を構えた。
頭部を貫き、とどめを刺そうというのだ。
が、その時だった。
『……ブゥフフ……バァカどもが!』
地面がまるで沸騰したかのように黒く泡立ち始めた。ラソーニ・スルジャンのデーモニア・ジャケッツから流れ出した黒い液体が、地面で巨大な魔法円として繋がっている。
「なっ!?」
「地面が……!」
「罠だ!」
ディーユは叫んだ。
ヤツは、ラソーニ・スルジャンは魔法を唱えられないのではない。ある魔法を励起しようと、全ての魔力を集中していたのだ。
『もう遅いわボケザコどもがぁあああッ! 魔血呪法、魔導人形構成魔法! 暗黒再生……!』
ボコボコと泡立った地面からズリュッ! と黒い腕が出現、猟犬小隊の隊員を殴りつけた。
「ぐあがっ!?」
腕の次は頭、上半身、そして黒い蝙蝠じみた羽――。
「ガ、ガーゴイル!」
「うわッ!? 地面からガーゴイルが!」
それは街を襲ったガーゴイルと同じものだった。真っ黒な顔を持つ怪物たちが、ジュルジュルと這い出してきた。次々と魔法円から出現し、次第に数を増やす。
『グゥファアア、さぁ我がしもべたちよ、増えよ……!』
まるで地獄の底に通じる穴の蓋が開いたのように、異形の黒い怪物たちが出現し続ける。
その数はみるみるうちに五匹、十匹へと増えつづける。
「敵増勢、下がれ……!」
「まずいぞ、倒せ! ガーゴイル共を、ぐぎゃぁっ」
戦線は崩壊し、被害が出始める。
『ギャァハハ! さっきまでの勢いは、どうしたぁああ!? さぁ……楽しい殺戮ショーの始まりだぁあッ……! 逆らうものは皆殺しぃ! 私に忠誠を誓えばぁ、命はたすけてやるぞおおお? 従順な女、抵抗しないガキ、私のエサとなる喜びを受け入れるものは生かしてやるぁああ……!』
「くそっふざけるな! 総員、迎撃……ぐはぁ」
『はい、死刑ー』
ガーゴイルが猟犬小隊の隊員を捕まえ、地面に叩きつけた。
隊員たちが次々と倒され、一気に形勢が逆転。
「ディーユ! まずいぞこれは」
アイナがガーゴイルの攻撃に耐えながら叫んだ。
「これ以上、ガーゴイルを増やしてたまるか! 枯死再想、ウィード・リコレクション!」
地面に仕込んでいた種を活性化、地面をかき乱す。
樹種はビワ、幼木の頃から根を深く張り地面を歪める性質がある。ビワは二秒で成長し、地面を割り、ラソーニ・スルジャンが黒い魔血で描いた魔法円を破壊する。
『おのれぇえぁディーユ、貴様の仕業か!?』
「かなり時間のかかる儀式級魔法、そう簡単に再詠唱はできまい」
『殺せ、その男を……!』
ラソーニの声にガーゴイル十数匹が一斉に動きを止め、振り返った。それはある意味、壮観な眺めだった。顔面の無いのっぺりとした顔を向けた怪物たちの頭部に、大きな目玉が一つ生まれ、ギョロギョロと動きディーユを捉えた。
「……っと、これは逃げたほうが良さそうだ」
「同感だ」
ディーユとアイナは顔を見合わせ、同時に踵を返してダッシュ。
ミスティアの手を掴んで走り出す。
三人で城門に向かって逃げる。
「すごいピンチだな」
「あぁ、打開策が見つからんぞ」
「確かに、戦力差がヤバすぎる……!」
アイナと並んで走って逃げるが、ドドド、とガーゴイルたちの気配が背後に迫る。
ラソーニは本気でまずはディーユを殺そうとしているのだ。
しかし、ガーゴイルを此方に引き付けられるなら好都合。城内にいるマリアシュタット姫や、コロやミゥから引き離せる……!
その間に守りを固め、逆転の策を考える。
それに、僅かばかり希望的にヤツの言葉を信じるなら、無抵抗な女子供は大切な「エサ」だという、つまり生き延びるチャンスは大きい。
「僕も一緒に逃げるっ!」
「ミスティア!? ダメだおまえは城内へ逃げろ!」
コロやミゥたちと合流してほしいと、城の横にある通用口を指差す。
「やだね、ディといたほうが楽しい!」
「楽しいって、おまえね……」
ダークエルフの少年は、絶体絶命のピンチだというのに笑っていた。
今まで千年近くも眠っていて、その前も実験動物のように檻の中で暮らし、楽しいことなどなかったのかもしれない。
「それに、さっき援軍を呼んでおいたから」
「援……軍?」
ぴゅーい、と空から声がした。
見上げるとミスティアの『友竜』が舞っていた。
「まさか……!」
「うん森の民、オークさんたち」
シルバーの髪をなびかせて走るミスティアは、そう言ってエルフの耳を動かした。
<つづく>




