休 ~方舟(はこぶね)と北への航路
★作者より
ラソーニ・スルジャンの愚行により、世界は崩壊しつつありますが、すこしだけ時間を巻き戻し、
ディーユたちの船旅となります。
◇
決死の脱出劇から二日目。
大河メコノプスの河口から海へと至り、さらに半日が過ぎた。いよいよ外洋に出たディーユたちの船は順調に航海を続け、北を目指していた。
マリアシュタット姫御一行を乗せた船の名は『希望の方舟号』といった。方舟と箱舟、つまり荷物を沢山積めるように、という船主のシャレらしい。
貨客船と呼んではいるが、実際はほぼ貨物船だ。二ヶ月に一度、北の領地と第二聖都を往復しているという。
船は一路、北へ向かう。
大陸の東岸沿いを北上しながら、沿岸から離れて外洋に出る。すると波は穏やかになった。
見渡す限りの青い水平線が広がっている。
陽は傾きつつあり、やがて三日目の夜が来る。
迷うことなく航路を北に進めるのは、各地に設置された魔法の水晶灯台による導きと、太陽の位置、あるいは星々の輝きがあるからだ。
追っ手が来ないかと不安になり、後ろを振り返る。
すれ違ったばかりの大型の貨物船の影がひとつ。あとは帆を張った漁船がのんびりと港へ帰る様子が遠くに見えるだけだ。
だが、脱出してきた南西の方向に目を凝らすと、そこには異様な光景が広がっていた。
「南西の空が妙だ……」
暗雲が渦を巻き、その勢力は次第に大きくなっていた。大陸を覆うように広がるどす黒い雲が、青紫色の雷を無数に降らせている。
――大陸内部に超低気圧が発生……!?
――ばかな! この時期に陸上でか!?
――嵐に備えよ! 航路をさらに北東へ! なるべく大陸から距離をとる!
船長や気象観測士、航海士たちは大慌てだ。経験したこと無い異変に戸惑っているのだ。
季節外れの巨大な嵐が、海上ではなく陸地。それも第二聖都を中心とした大陸内部に発生したのだから。
胸騒ぎがする。
魔力の波動も乱れていた。
魔法師は普段、大地や大気に存在する『魔素』を涼風のように微細で、淡い色彩の流れとして感じとる。しかし今は、黒い濁流のように荒れ狂う魔力の奔流が、一点に向かってゴウゴウと流れてゆく。渦を巻き、淀みに溜まった闇を巻き上げ視界を遮る。
異変を感じているのはディーユのような魔法師だけではなかった。
「ディーさん、なんだか怖い……。あの空から、悲鳴みたいな声がするの」
「悲鳴?」
「うん」
ディーユと船縁に並んでいたコロが、怯えた様子でしがみついてきた。
「コロ、心配ない、かなり遠いから」
「ん……」
手を握り抱き寄せてやる。
コロは魔法師とは違う、半獣人としての感覚で異変を察知しているのだろう。
アイナが連れてきた猫耳少女のミゥも早々に、暗雲をみるや逃げ出してしまった。半刻ほどまえに船室に逃げ込んだきり、姿をみていない。アイナも今はマリア姫の側近たちと、今後のことを話し合っている最中だ。
「……確かに、異常な気配がする」
第二聖都のある方角に意識を向ける。
感じとるのは魔力の目だ。
超常的な感覚、肌で感じる気配。途端に、今までに経験したことのないザワめきに、肌が泡立つ。冷たい死者の手が、身体に触れたかのように悪寒がする。
王宮を支配したというSランクの魔法師、ラソーニ・スルジャンが何かを画策しているのだろうか。ただならぬ魔法の気配、魔圧は、並の戦略級儀式魔法を超えている。
何か、経験したことの無い、巨大な魔法。
神話級の魔法の前触れではないのか――。
「ひぃああああ!? ヤバイ、ヤバイですって、なんなんですかあれぇえ!?」
異変を感じている魔法師が、もう一人いた。
雷撃の魔法師、ライクル。
Cランクの王宮魔法師、マリアシュタット姫の脱出に協力した男。貴重な攻撃魔法の使い手だ。
ランクもディーユよりも上だが、実戦経験に乏しく、ここ一番で活躍できない悩みを抱えているらしい。
「凶兆であることは確かだな」
「王宮、大丈夫ですかね……」
「知らんよ。俺はもう部外者だ。それと、君もな」
「あぁあ! そうだった、ボクもお尋ね者……」
「滅多なことを言うと、騎士に刺されるぞ」
ライクルはビクッとして辺りを見回した。
「あの女騎士さん、アイナさんでしたっけ? めっちゃ怖いんですけど……。でも、ディーユさんとは仲が良いですよね?」
「あぁ、同郷の幼馴染なんだ」
「へぇ! そうなんですか……うぉぶ!」
気分が悪いのか、口を押さえるライクル。
コロが怖がって後ろに隠れた。
「だ、大丈夫か?」
「船、はじめてなので……うぅ」
「うーむ、気分を紛らわそう。二人で儀式魔法、闇払いと厄よけの『まじない』でもしてみては?」
冗談めかして提案してみる。
人間、何もしていないと不安になる。魔法師らしく、厄よけのまじないでもしていれば気も紛れるだろう。
「そ、それ、いい考えですよディーユさ……! うぉぷ!?」
船酔いらしく、真っ青な顔でへたりこむライクル。切り揃えられたおかっぱ風の髪はグリーンで、体格はひょろりとしている。都会育ち特有の線の細さがある。
ディーユも他人のことを言えるほど体格に恵まれてはいないが田舎育ち故に体幹はしっかりし、バネもある。
何よりも幼馴染みのアイナの遊び相手として、日々チャンバラごっこは欠かさなかった。
と、その時だった。
見張り台から声が響いた。
「――四時の方角から船! 増速! 本船と並びます!」
「この航路に、遠洋側から? おかしい、航路は?」
「計測中……! このままでは本船と交錯します!」
暗雲騒ぎよりも危険な事案が発生したらしかった。艦橋がにわかに慌ただしくなり、見張りの一人が叫ぶ。
「――海賊船だ!」
緊張が走った。
船はみるみる後方から近づいている。
「推力最大! くそ……船脚は向こうが圧倒的か!」
船長が半ば諦めたように呻いた。
海賊船は帆を張り、追い風を受け速度を増し、ほぼ並走する格好になった。
距離はもう五百メルテほどに縮まっている。
ボロボロの帆には、これみよがしに赤いドクロのマークが描かれていた。
「あれ、本で見た……!」
コロは逆に目を輝かせた。
「わかりやすいな」
驚かせて戦意を削ぐ算段か。
「どどど、どうしましょうディーユさんっ!?」
「いちいち俺にきくな。魔法師として出来ることをやるまでだ。船に乗り込まれたら大変だからな」
「の、乗り込まれたら、どうなるんです?」
答えに躊躇うが、コロに聞こえないように囁く。
「……まぁ荷物や金目のものを奪うのは当然、男は全身殺されて、女は戦利品として連れていかれるな」
「いやぁあああああああ!?」
「うるさい、騒ぐな! そうならんよう、俺たちで何か出来ることをしよう」
「で、でもぉ」
乗り込ませないように樹を生やすか。棘を生やすか。いや、時間稼ぎにしかならない。あとは魔法の射程圏内で戦うしかない。だが、全力で海賊刀を振り上げて向かってくる相手を止めるのは至難の技か。
「海賊だと!?」
どかどかと足音がしたかと思うと、アイナが完全武装であらわれた。他の兵士たちもあとに続く。
「あぁ、みての通りだ」
海賊船との距離は三百メルテ。すでに甲板上で動く海賊たちがみえる。剣や槍をふりかざし、何事か叫んでいる。
「くそ! この船にはマリア姫がいるのだ! 死守するぞ!」
「「はっ!」」
「女のひとと子供は捕まっちゃうの?」
コロが不安げにディーユを見上げる。ライクルへの話が聞こえていたらしい。
「そうならないように戦う。心配するな」
『――ヒャッハー!』
『――ゲヒャハハ! 遅ぇよドン亀ェ!』
『――野郎共! 荷を奪え! 男は殺せ! 女子供はいただいて、たぁあっぷり楽しもうぜ、ウヒャァアアー!』
距離二百メルテ。風にのり下卑た海賊たちの声が聞こえてきた。
「くっ、女を略奪する気か……! おのれ、海賊ども! 返り討ちにしてくれる!」
お前は心配ないだろ、と言いかけたが口をつぐむ。殴られるのが目に見え、
「いやぁ、アイナさんは大丈夫かと……」
「なんだと!?」
「ぐは?!」
ライクルが剣の鞘で殴られた。口は災いのもとだ。
『のりこむぞぁあああ! 野郎共!』
『ヒャァアアアハッハアアアアア!』
海賊船との距離は百メルテ。はっきりと狂暴そうな姿が見え、声も聞こえてきた。総勢五十人はいるだろうか。あの数を押し返せるだろうか。
と、その時だった。
「……ぁ、ぁああああ! もう頭にきたぁああ!」
「な、なん!?」
ライクルがキレた。
気合いを込めると周囲に魔法円を励起、オレンジ色に輝く複雑な紋様が浮かびあがった。
「――大気の精霊よ、水よ、雲よ、数多の礫よ、内に秘めし電位を撚り束ね、輝く怒りの雷神を呼びたまえ……」
魔法を放つつもりなのだ。
あの、雷撃の魔法を。
「海賊船、ぶつける気です!」
「回避……!」
海賊船は五十メルテ、もう目と鼻の先だ。側面にぶつけ、乗り込むつもりなのだ。
「ライクル、いっけぇええ!」
ディーユが叫んだ、その時。
上空に渦巻く雷雲が発生、黒い乳房雲がどろり、と海賊船に向けて舌を垂らした。海賊たちが上空の異変に気がつき騒ぎ出すが、既に遅かった。
「――轟雷撃滅ッ!」
目の眩むような光、鼓膜が破れんばかりの音と衝撃。
ズゴォオオオオオン!
雷鳴が轟き、海賊船のマストを砕いた。そして瞬きほどの間を置いて、海賊船は内側から爆発――。
「うぉおお!?」
ドッ! バァアアアアンと炎を吹き上げたかと思うと船体が真っ二つに折れた。海賊たちは真っ黒で、即死したのだろうか。ゴミのようにバラバラと海面に落下し沈んでゆく。
海賊船はやがて船首と船尾を見せながら、ズブブと海中へ没していった。
「はぁはぁ、命中……しました?」
「あ、あぁ……お見事、ライクル」
ディーユは安堵した。これがメルグ公爵との戦いで使われなかったことに。
<つづく>




