滅 ~世界の終わりと姫の歌
海賊の襲撃を退けた『希望の方舟号』は、順調に北への航路を進んでいた。
太陽が西の果てに没してゆく。赤黒い不気味な夕日が、燻る熾火のように西の空を焦がしている。
西の空、第二聖都の方角から広がった暗雲は今も拡大し続けていた。
「奇妙な
ほどに静かだな」
「……あぁ。マリア姫も妙な胸騒ぎがすると言っておられた」
「姫様が?」
「王族は元々、魔法に縁の深い一族だ。マリアシュタット姫は中でも直系の血筋にあたる。何か、お感じになることがあるのだろう」
「なるほど」
ディーユはアイナと甲板に出て、夜風にあたっていた。
船縁に寄りかかっていると、否応なく雷光が明滅する西の果てに視線が向く。
第二聖都がある大陸の南西、大陸の奥地に突如発生した巨大な嵐は、今も勢力を拡大している。
船は北へと進路を向けて進んでいるので、距離は次第に離れているはずだ。なのに暗雲と雷鳴がひたひたと後ろから追いかけて来ているような気がする。
事実、拡大を続ける超巨大な低気圧は異常だった。航海士たちの推計によると、今や大陸の半分を覆うほどに拡大しているのではないか、という。
「このまま何事も起きなければ良いがな」
「ディは心配性だな。海賊も撃退できたんだ。なんとかなるさ!」
「根拠に乏しいが前向きな意見だ」
「ははは、私は楽観主義なものでな」
「ま、そこがアイナらしいが」
「なんだそりゃ」
「言葉どおりさ」
微笑みながら幼馴染みに視線を向ける。
右の額から頬にかけて、火傷の痕が見えた。長く伸ばした前髪で右の顔を隠すそのスタイルは、物心ついた頃から変わっていない。
十歳の時に負った火傷の傷は、彼女の将来を悲観させるには十分だった。両親は女性としての幸せな未来を悲観したが、アイナは強かった。
流石にしばらくは塞ぎ込んでいたが、一ヶ月もすると元気を取り戻した。ディーユも周囲の「可哀想に」という視線など気にせず、普段通りに接した。アイナは一番の親友だったのだから当然と言えば当然だ。
そんなある日。偶然、村に魔物討伐で遠征に来た、国王陛下直属の騎士隊を見た。
誰も彼もが歴戦の猛者らしく、顔に傷があるのは当たり前、むしろ勲章ですらあった。中には凛々しい女性騎士の姿もあった。
アイナは彼女らに憧れを抱き、その生き様に感化された。
『すごい! 私も騎士になりたい!』
『え? そんな簡単になれるかよ』
『なれるさ! なるんだ! そうだディ、お前は頭がいい。先月の魔法特性の試験でも、才能ありと出たのだろう? 王宮の魔法師になれ!』
『なれって……、かってに決めんな』
『よし、聖都に行こう!』
『話を聞けよ』
『私は騎士に、ディは魔法師に! うん、良い考えだと思う!』
……やれやれだ。
そこから始まった腐れ縁。
なんやかんやと数年後には一緒に旅をして、第二聖都へと辿り着いた。試験を受けて無事合格、候補生として互いに学徒となった。しかしその後は互いに忙しく、たまに見かける程度だった。それでもアイナが王宮で頑張っている。その事実がディーユには心強かったし、かなりの心の支えになっていた。
だから上位魔法師らの辛い仕打ちや、陰湿なイジメに耐えることが出来た。
「……おまえには感謝してるよ」
「なんだ藪から棒に気持ち悪い。よせよ、遺言みたいだぞ」
そう言われて急に気恥ずかしくなった。
「ちょっと酔ったみたいだ」
「船にか? ワインにか?」
アイナがディーユの背中にばんっと手をかける。
「どっちもだ」
日が暮れてからどれくらい経っただろう。
先程まで開かれていた宴会は楽しかった。
マリアシュタット姫主催、自由への決起集会という名目だった。貴重な食料を船員たちと分けあいながらの、夕食は賑やかなものになった。
海賊撃退を成し遂げたライクルは一躍、時の人になった。海賊に遭遇することは珍しくないが、王侯貴族の乗船、あるいは所有物を意味する識別旗を掲揚していれば手を出してこない。民間の貨物船を装い、識別旗を掲揚してなかったことが狙われた理由らしかった。つまり海賊たちは「あれは訳ありの船」だ、と見抜いていたことになる。
メルグ公爵を倒したディーユとアイナは、まるで新郎新婦のように雛壇に座らされ、船員や戦士たちからワインを勧められた。
殊にもマリア姫はとてもご機嫌だった。自分が婚姻させられそうだった相手が「実は人食いの化け物だった!」という事で皆は納得してくれたのだから。
そして危機から救てくれた近衛騎士アイナと、加勢した魔法使いディーユに感謝のお言葉を述べられた。
犬耳少女のコロと猫耳娘のミゥにも、嬉しい変化があった。
宴会を通じて二人は打ち解けていた。テーブルに並んでいたチーズとパン、それにハムなどの食材を使って、二人は即席の手作りサンドイッチを作っていた。そして互いに食べあい、楽しそうに笑っていた。
「陸地に上れば元気になるさ。明後日にはミーグ伯爵領が見えてくる」
「そうだな、そこまでいけば」
ディーユとアイナの生まれ故郷は、もう目と鼻の先だ。
「……ん?」
ディーユは異変に気がついた。
風が凪いだ。
海が不気味な静寂に包まれていた。
無風で、波もほとんど消えた。空には満天の星々が煌めいている。吸い込まれそうなほどに深く、遠い星空。深宇宙の中を漂う船のような光景に息をのむ。
その時だった。
パッ、と西から太陽が昇った。
「なっ……!?」
「なんだあれは、朝日……か?」
唐突に輝いた光は、どんどん大きくなり、渦巻いていた嵐の雲を消し飛ばした。
まばゆい輝きは、昼間のように世界を照らす。星々が見えなくなり、海が青く輝いた。輝く球体は次第に広がり始めた。光が出現したのは、第二聖都の方角だ。
「あれは……太陽じゃない!」
「ば、爆発か!?」
光は音もなく膨れ上がると、太陽の五倍ほどの大きさになった。
しかし凝縮するように瞬時に消失。辺りが再び暗闇に包まれた。
それは一瞬だった。次の異変はさらに異質なものだった。今度は猛烈にぐるぐると渦を巻く、青白い輝きが半球形状に広がり始めた。
「ディーユ、あれは……?」
「やばいぞ、これは!」
青白い光の領域は拡大し、ガラス玉のように大陸全土を覆い尽くしてゆく。あの光の中で何が起きているかなど想像さえ出来ない。
青白い光のドームの端が東海岸へと達するや、ドウッ! と、衝撃波が白波を立てた。音はまだ聞こえない。
あまりにも遠く、静かな幻影のような光景だけが伝わってくる。光に照らされて浮かび上がったのは、巨大な壁のような波だった。白波がはっきりと見えた。巨大な波が発生し、津波のようにこちらに迫ってくるのだ。
艦橋でも異変に気づいた。
「――巨大な波だ!」
「――西の沿岸沿いに大波を確認! 推定……百メルテを超える巨大な……津波だ!?」
「――とりかじ一杯ッ! 推力全開! 船の舳先を波に向けろ! 総員伝達! 衝撃にそなえよ!」
船長たちがワッと走り出した。船員たちが船内で「つかまれ!」と叫ぶ。
「まずい、中にはいれアイナ!」
「マリア姫……!」
ディーユとアイナは船の中に駆け込んだ。
階段をかけ降りて船室へ。緊急事態を告げて、アイナとともにマリア姫のいる船室へと逃げ込む。
「アイナ……! 悲鳴が……ものすごい数の悲鳴が……世界に満ち満ちています」
「姫……!?」
マリアシュタット姫は泣きじゃくり、顔を覆っていた。アイナの胸へと飛び込む様子に、執事長ジェルジュが困惑しながら告げる。
「姫様が急に、苦しいと訴えられ」
「大勢の、いえ……無数の命が……一瞬で消えた……!? 悲鳴をあげられたものは、まだ……幸運? そんな……そんな……」
アイナは取り乱すマリア姫を抱き寄せたまま、近くの柱に移動。マリア姫と自身の身体をシーツで固定する。
「大丈夫です、私が……お守りします!」
「アイナ、みんな……消えてゆく。世界が……終わってしまうのです」
「世界が……?」
マリアシュタット姫の指で曰くありげな指輪が砕けた。
ディーユは、それが王家に伝わる魔法の指輪のひとつだと見抜いたが、それどころではなかった。
「そうだ、コロとミゥは!?」
二人がいない。
「さっきまでいましたが……、たしか向こうへ」
執事長のジョルジュが廊下を右手で指差す。二人で探検にでもいったのか。
と――。
この世の終わりを思わせる音が響いた。
「はっ!?」
「姫! お掴まりくださいッ!」
身体が宙に浮きあがった。
そしてすぐさま落下する感覚と、衝撃が襲いかかる。急激な落下の感覚とともに、全員が床に叩きつけられた。
「きゃぁ、あああ!?」
「うぉおお!」
「つかまれ! うぐぁあ!」
物が崩れる音、悲鳴、メリメリと船体が悲鳴をあげる。
巨大な波に突っ込んだのか、乗り越えたのか。船はまだ沈んではない。船長たちが必死に戦っているのだ。
地鳴りと嵐、海鳴り。ありとあらゆる災厄の音を混ぜて、何倍にも増幅したような音が鳴りやまない。まるで地獄の音だ。
「二人を探してくる!」
「ディーユ!」
アイナの叫びを背に駆け出した。
廊下には物が散乱し、人が倒れていた。声をかけると目を開け呻いた。頭を打ったらしいが無事のようだ。姫の部屋へいくようにと背中を押し、再び狭い廊下を進む。
魔法の水晶による照明が明滅し、先がよく見えない。
「うっ!?」
船が軋み音をあげながら大きく傾いた。今にも船体が砕け、沈没するのではないかという恐怖に足がすくむ。
「コロ! ミゥ! どこだ!?」
叫ぶ声は荒れ狂う音にかきけされた。
途中の部屋には人の気配はない。なんとか這うように進み、突き当たりの階段を降りる。子供は狭いところが好きだ。そんな直感がディーユを突き動かす。
アイナと近所の洞窟を探検したっけ。
その時もこんな風に暗くて、手を握り――
ドォン! と再び激しく船がバウンドする。何波にもおよぶ巨大な津波を乗り越えているのだ。落下する感覚、そして船体が軋み、ディーユの目の前で船底に亀裂が入った。
あちこちをぶつけ、激痛にうめく。
「……まずいっ!?」
ブシュアァアと船底から海水が噴きあがった。冷たく黒々とした海水が徐々に流れこんでくる。
「このままでは船が持たない!」
「にゃぁあ!?」
「きゃぁあ!」
悲鳴が聞こえた。間違いない、ミゥとコロだ。
「どこだ!?」
浸水した箇所を乗り越えてザブザブと進むと、小さな二つの影が、船を支える柱の陰で震えていた。
「ディーさん!?」
「にゃ!?」
魔法の明かりの向こう側で、コロの瞳が輝くのが見えた。
駆け寄って二人の無事を確かめる。
「おまえら無事か!? 怪我は!?」
「ふぇええ……」
「にゃぁ……」
激しく揺れてあちこちをぶつけたのだろう。元々あった傷と見分けがつかないが、とりあえずの無事にホッと胸を撫で下ろす。
「まったく心配させやがって」
二人の背中に手をかけて、頭を撫でる。
「どうして……?」
コロの瞳には、嬉しさとともに信じられない、とでもいうような戸惑いが浮かんでいた。
自分のような奴隷だった子の、半獣人として蔑まれ価値のない子のために、どうして――? とでもいいたげに。
「どうしてだと? そんなの……決まってるだろ! お前はもう俺の妹みたいなものだ。絶対に見捨てたりしない」
正直、しっくりくる言い方が見つからない。
仲間? 友人? いや違う。例えるなら血の繋がっていない妹のような、そんな感覚に似ていた。
それでもコロは目に涙を浮かべ、ぎゅっとディーユの背中に手を回す。
「ディーさんっ……ディーさんっ……!」
「泣くなよ、今は」
ぎゅっとコロを抱き締める。もう大丈夫だ。心配するなという囁きに、小さく頷く。
「にゃ……ぁ?」
「ミゥも戻ろう! アイナも心配している!」
しかし、振り返った背後ではメリメリと亀裂が拡大していた。海水がどんどん流れ込んでくる。このままでは沈んでしまう。
「海水が……!」
「もう無理だにゃぁ!」
「待ってろ! 絶対に助ける!」
ディーユは二人を勇気づけると、船体を支える木材に手をかけた。
「全力……ッ!」
――枯死再想、ウィードリコレクション!
全魔法力を注ぎ込む。枯れた木に生命を与える魔法で、船体を構成する材木をよみがえらせる。互いに根を絡ませ、一体化させ、亀裂を塞ぐ。
でも、それだけではだめだ。可能な範囲の、可能な構成部材を繋ぎ合わせて、強度を増すように成長させる。
だが船を構成する部材として位置、大きさを変えてはならない。表面と裏側、空間になる方にだけ枝と根を伸ばし、絡み合わせて強度を高めるッ!
「うぁおおおおお、オオオッ!」
全身全霊で魔法力を注ぎ、木材の一本一本を制御する。
極限まで集中し魔法力を操り、修復してゆく。
全魔法力が尽きても構わない。
全力、すべての力を解放する。
船を守る。
沈ませない。
コロもミゥも助けると誓った。
上で帰りを待つアイナも、マリア姫も誰も悲しませない。
「絶対に……守る…………ッ!」
「ディーさんっ!」
「水が止まったにゃ!」
船底には静寂が戻ってきた。
葉が繁り視界は悪いが、船の沈没は回避できた。
波の衝撃はまだ続いているが、だいぶ落ち着いてきたように思えた。
「よかっ……」
いったい何が起こったのか。
世界はどうなってしまったのか。
不安と見通せない闇のなかで意識が遠退いてゆく。
と――
「歌……?」
遠くからかすかに歌が聴こえた。
静かな、透き通るような音色の。
優しい旋律の癒しの歌が。
「姫様が……」
「歌っているにゃ……」
コロとミゥはディーユを支えながら聞き耳を立てた。
不安がる皆を勇気づけようと、暗闇に迷わぬように、光が行く先を照らすかのように。
そんな願いを込めてマリアシュタット姫は歌いつづけた。
外は荒れ狂う嵐。
青紫色の稲妻が光り、轟音が世界を撹拌する。
船は嵐の海に浮かぶ一枚の木の葉のように漂い続けた。
いつ果てるとも知れぬ闇の中を――。
<世界崩壊章 完結>
【作者より】
世界は終わりの刻を迎えました。
数億の命が一瞬で奪われたことを、ディーユたちはまだ知りません。
崩壊した世界での困難な旅路。
襲いくる困難、そして新たなる敵。
SSSランク魔法師、ラソーニ・スルジャンは果たして――
果てしなき旅路の果てに、希望は見つかるのか。
次回、新章突入!
【新世界編】
応援いただけたら幸いです★




