世界を小さくしましょうか
野獣は、この身に起きている奇跡を、いまだ信じられません。
娘の清らかなる心は、悪魔のように醜い野獣を前にしても、なんら変わらなかったのです。
「野獣さん、素敵な部屋をどうもありがとう」
「あらあら。夜更かしですか?」
「今日もいい天気ですわね。朝食をご一緒しても?」
「まぁ大変!怪我をしてるわ‥‥すぐに手当てしなくちゃ」
「野獣さん、ホットミルクはいかが?熱いから気をつけてくださいね」
「本がお好きなの?私もなのよ!じゃあ今度、図書室までご一緒しません?」
「晩餐を一緒に‥‥?いいえ、いいえ、嫌だなんて!とっても嬉しいわ!」
「なんて素敵なドレス‥‥わたくしに?今夜の晩餐に着てもよろしいの?」
「うふふ。野獣さん、どうかしら?」
クルッとベルがターンすれば、
黄色いドレスが花のように舞います。
凛と立つ彼女を、
いったい誰が田舎商人の娘だと思うでしょう。
「とても美しい。まるで女王のようだ」
彼女の愛を得るためなら、何度でも膝をつきたい。
彼女を自分のものにするためなら、国をも滅せる。
世界中の男たちを愚か者にしてしまう、
まさに傾国の美しさがそこにありました。
「ふふっ。では野獣さんは、わたくしだけの騎士かしら?」
ベルはそっと、野獣の鋭い爪のはえる手を握りました。なんの恐れもなく。
「ーーーっ!あぁ、ベル‥‥‥!」
そう。彼女は美しいだけでなく、世にも恐ろしい野獣に対して、天使のように清らかな心で接してくれる奇跡のようなひと。
屈託なく笑いかけ手を差し伸べてくれるベルに
野獣はもはや息も出来ぬほど溺れておりました。
「ねぇ私の騎士さま。踊ってくださいませんこと?」
「喜んで、私の女王さま‥‥」
彼女の折れそうなほど華奢な腰を抱き寄せれば、
花のような香りが野獣を包みます。
彼女の柔らかさ、香りに酔いながら、
野獣は人生でいちばん幸せな夜を過ごしました。
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野獣はベルと出会って、愛を知りました。
こんな野獣に対しても気遣える優しい心。
いつも癒しを与えてくれる笑顔。
あたたかく慈愛に満ちた翡翠の瞳。
女神すらも裸足で逃げ出すほどの美貌。
こんなに素晴らしい女性は
世界中探したっていないでしょう。
野獣はますますベルに傾倒しておりました。
「ベル‥‥ベル‥‥!」
しかし、そんな素晴らしい女性に、こんな醜い野獣が、いったいどうすれば男として愛してもらえるというのでしょう?
「これ以上望むべきではない‥‥分かっている‥‥分かっているのだ‥‥!」
野獣は自室にある魔法の薔薇を、ガラス越しに抱きしめ嘆きました。
息も出来ぬほど彼女を愛してしまったから。
ほんの少しでも、愛を返して欲しいと願ってしまうようになったのです。
そうすれば、この身にかかった野獣の呪いは、解けるのです。
「時間は、あまり残されていない‥‥」
野獣が抱きしめる魔法の薔薇の花弁は、残り3枚でした。
その花弁が全て落ちる前に、愛し愛されなければなりません。
「それでも私は恐ろしいのだよ、ベル」
おぞましい野獣から愛を告げられれば、
さすがのベルでも嫌悪してしまうのではないかと。
そう思うと、野獣はおそろしくて、愛を告げる勇気がなくなるのです。
「こんな野獣でもベルは優しい。慈しんでくれる。それだけでも、奇跡のようなことなんだ‥‥」
一生このままの姿でも、ベルを屋敷に閉じ込めてさえいれば。
彼女はこのまま自分を嫌悪しない。
優しく接してくれるはずだ。
不自由させぬよう、ありとあらゆる贅沢をさせてあげよう。
恐れさせぬよう、彼女には常に紳士的でいよう。
飽きさせぬよう、彼女の好きな本を読み切れないほど集めよう。
「だからベル、ずっと、ここにいてくれ‥‥」
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「ふふっ。可哀想な野獣さん♩孤独な野獣さん♩ずぅーっとここにいてあげるわ♩」
愛されたいと怯える、可愛い可愛い私の野獣さん。
あなたの瞳が、すでに私への愛で溢れていることに気づいているのよ。
でも、すぐには愛してあげない。
もっともっと私のことで悩んで。
私を求めて。苦しんで。
「もう君しかいないと、唯一だと、言ってくださいな‥‥」
貴方はまだ、私ほど素晴らしい女性はいない、と思ってらっしゃるわね。
数ある女の中に私を置いて考えるなんて、
まだまだ愛が足りていない証拠だわ。
「ふふふ。でも時間の問題‥‥」
もうすぐきっと、貴方には私だけだと気づくでしょう。
「その時は、泣いて縋って跪いて、愛を乞うてちょうだいね?」
その時、私は世界一しあわせになれるのよ。