第8話 十二歳令嬢、恋の相談を受ける
入学三日目の朝、私は鏡の前に座り、今日の髪型をどうしようかと考えていた。
「今日は、こちらを二つにいたしましょう」
アリアが私の髪を左右に分けながら提案してくれたので、少し高めにまとめてもらうことにした。
「少し高めでも可愛いかしら?」
「お嬢様でしたら、よくお似合いになりますよ」
「では、それでお願い」
鏡の中で、金色の髪がくるくるとまとめられていく。今日はお団子を二つ作り、根元には小さな白いリボンを結んでもらった。
前世では絶対にしなかった髪型。そもそも、四十代後半でお団子を二つ作って歩く勇気など、私には無理。
けれど、今は十二歳なのだから、できるうちにできることはしておきたい。
「可愛いわ」
「よくお似合いです」
鏡に映った自分の姿を眺めて、私は満足した。
今日は午前に歴史学、午後には楽しみにしていた領地経営論がある。昨日借りた本も夜のうちに半分ほど読んだので、残りを読むのも楽しみだ。
朝食を済ませて教室へ向かっていると、廊下の向こうで桃色の髪の少女が立ち止まった。
ミレーヌ・オルコット嬢。
昨日も朝から私の髪について何か言っていた方だが、今日もこちらをじっと見つめている。
「ご機嫌よう」
「……何ですか、それ」
「お団子ですわ」
「それは見れば分かります!」
「では、何でしょう?」
「なんで二つなんですか!」
難しい質問だ。お団子を二つにした理由など、可愛いと思ったからに決まっている。
「可愛いかと思いまして」
「そういうことじゃない!」
今日も元気である。
「昨日はスカーフだったし……今日はお団子……。悪役令嬢の面影がどんどんなくなっていく……」
最後の方はよく聞こえなかったけれど、悪役令嬢という言葉だけは聞き取れた。
昨日から何度も口にしているので、どうやら彼女の中では、私に何かの役が割り当てられているみたい。
十二歳、そういう遊びが楽しい年頃かもしれない。
「明日はどうしようかしら」
「まだ変えるんですか!?」
「ええ」
「縦ロールに戻してください!」
「あれは少し時間がかかるのよ」
「時間の問題なの!?」
ミレーヌ嬢が頭を抱えてしまった。
なぜそこまで私の髪型にこだわるのか分からないけれど、昨日の縦ロールがよほど気に入ったのね。
「またそのうちいたしますわ」
「そのうち……悪役令嬢が、そのうち縦ロール……」
何やらぶつぶつ言い始めたので、私は授業に遅れないよう挨拶を済ませ、教室へ向かった。
◇
放課後、楽しみにしていた領地経営論の初回授業を終え、私は寄宿舎へ戻った。
初回ということもあって基礎的な内容が中心だったけれど、領地ごとの主要産業や人口と税収の関係、街道の整備費、農地と商業地の比率など、興味深い話が多い。
セレイア領の報告書と照らし合わせながら考えてみたいことも、いくつかできた。
部屋へ戻ると、モフが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「きゅう!」
「ただいま」
抱き上げて柔らかな毛に顔を埋めると、それだけで一日の疲れがどこかへ行ってしまう。やはりモフのいる生活は素晴らしい。
「お嬢様。お茶になさいますか?」
「お願い。領地経営論の課題を先に済ませてしまうわ」
「かしこまりました」
アリアがお茶の準備を始めたので、私は机に教科書とノートを広げた。
ところが、最初の一行を書こうとしたところで扉が叩かれた。
「レティシア様!」
聞き覚えのある声。
アリアが扉を開けると、案の定、そこにはミレーヌ嬢が立っていた。
「少しお時間よろしいですか!」
「課題を始めるところでしたので、少しでしたら」
「十分です!」
元気よく入ってきたミレーヌ嬢のために、アリアがもう一客、茶器を用意してくれた。
椅子へ座るなり、彼女は待ちきれない様子で身を乗り出してきた。
「聞いてください! 今日もアディエル殿下とお話しできました!」
「まあ、それはよかったですわね」
「昨日はお花の話だったんですけど、今日は廊下で殿下の方からご挨拶してくださったんです!」
ミレーヌ嬢は嬉しそうに頬を緩めている。
やはりアディエル殿下がお好きなのだろう。昨日も殿下と話せたことを喜んでいたし、好きな男の子から声をかけてもらえたら、それだけで一日嬉しかったりするものだ。
十二歳らしくて可愛らしい。
「それから、カイル様に昨日のハンカチを返していただきました!」
「あら。もう?」
「ちゃんと洗ってありました! それで、『ありがとう』って! しかも笑って!」
「まあ、律儀な方ですのね。それはよろしゅうございました」
ずいぶん嬉しそう。
……ん?
アディエル殿下がお好きなのではなかったのかしら。
「あと、ユリウス様にも図書室でお会いしたんです。今日は向こうから『昨日の本は役に立ったか』って聞いてくださって!」
「まあ……」
私は紅茶を一口飲みながら、今の話を整理してみた。
アディエル殿下に、カイル様、それからユリウス様。
三人。
最近の十二歳は忙しい。
もっとも、私の前世でも、同じ時期に二人や三人を格好いいと思うことくらいはあったかのしれない。
誰かとお付き合いしているわけでもないのだから、今すぐ一人に決める必要もない。むしろ、この年頃なら自然なことなのかも。
「それでですね! カイル様は、次の剣術大会に出るそうなんです!」
「そうなの」
「応援に行こうと思って!」
「よろしいのではないかしら」
「ですよね!」
嬉しそうに笑うミレーヌ嬢へ、私も微笑み返した。
若い。実に若い。
昨日はアディエル殿下、今日はカイル様。その間にユリウス様も入ってくるのだから、なかなか忙しい青春ね。
「レティシア様は、どなたが一番いいと思います?」
突然そんなことを聞かれたので、私は少し考えた。
「何が?」
「攻略するなら!」
また攻略。
昨日も使っていた言葉だけれど、どうやらミレーヌ嬢は、気になる男性と親しくなることをそう呼んでいるらしい。
「それは、わたくしが決めることではないでしょう?」
「でも、客観的に!」
「ご自分がお好きな方が一番ではなくて?」
「全員好きですよ!」
「まあ」
即答だった。
なるほど、全員お好きらしい。
私は紅茶を置いたところで、ちょうどお茶を注ぎ足してくれたアリアと目が合った。
アリアも、ほんの少しだけ困った顔をしている。
「でも、最初はアディエル殿下を攻略しようと思ってたんです。ただ、カイル様も思った以上によくて、ユリウス様も実際に会うと格好いいんですよ!」
「そうなのね」
「ルシアン様も気になるし……セドリック様も捨てがたいんですよね」
「…………まあ」
五人になった。
十二歳は元気だ。
「悩みます!」
「そうでしょうね」
それしか言えなかった。
「レティシア様は、こういう時どうします?」
「どう、と言われましても……」
私には五人同時に気になった経験がない。前世を含めても、おそらくなかったと思う。
そもそも、まだ十二歳なのだから、今すぐ誰か一人に決めなくてもいいのではないだろうか。
「急いで決めなくてもよろしいのではなくて?」
「でも、イベントは待ってくれません!」
「いべんと?」
「会える機会です!」
「ああ、そういうことでしたら、皆様とお話ししてから考えてはいかが?」
「なるほど!」
ミレーヌ嬢の顔がぱっと輝いた。
「全員の好感度を上げてから決めればいいんですね!」
「……?」
少し違う気がする。
私は、実際にお話しして相手のことを知ってから考えればいいと言ったつもりだったのだけれど、彼女には別の意味で伝わったらしい。
まあ、本人が納得したのならいい。
「ありがとうございます、レティシア様! 私、頑張ります!」
「ええ。頑張って」
何をどう頑張るつもりなのかは、よく分からない。
けれど、楽しそうなので何より。
ミレーヌ嬢は紅茶を飲み干すと、勢いよく立ち上がった。
「では、明日はルシアン様に行ってきます!」
「いってらっしゃいませ」
「まだ明日じゃありません!」
「あら」
思わず笑ってしまうと、ミレーヌ嬢も少しだけ笑った。
そのまま扉へ向かった彼女は、何かを思い出したように振り返った。
「あ、でも。アディエル殿下のこと、本当に何とも思ってないんですよね?」
「ええ」
「本当に?」
「十歳の時に婚約のお話をお断りしておりますもの」
「……じゃあ、遠慮しませんからね!」
「どうぞ?」
「絶対ですよ!」
「ええ」
何度確認するのだろう。
私がアディエル殿下との婚約を望んでいないことは、以前から変わっていない。
それに、私が遠慮しなくていいと言ったところで、殿下のお気持ちは殿下ご自身のものだろう。
ミレーヌ嬢が納得した様子で帰っていくと、ようやく部屋が静かになった。
私はモフを膝へ乗せ直し、柔らかな頭を撫でた。
「恋というのは大変ね」
「きゅ?」
「あなたにはまだ早いわね」
モフは何のことか分からない様子で、私の膝の上に丸くなった。
アリアが静かに茶器を片づけながら、少し不思議そうに口を開いた。
「お嬢様。オルコット様は、アディエル殿下がお好きなのではなかったのでしょうか」
「私もそう思っていたのだけれど、どうやら他にも気になる方がいらっしゃるようね」
「五名に増えておりましたね」
「増えていたわね」
二人で少し考えたけれど、結局のところ、本人が楽しそうなのだから特に問題はないだろう。
「まあ、十二歳ですもの。素敵だと思う方が何人いても、おかしくはないでしょう」
「左様でございますね」
アリアも納得したように頷いたので、恋愛相談についてはそれで終わりにした。
私はモフを膝に乗せたまま、領地経営論の教科書を開いた。
人口と税収の関係について、授業中に気になったことをもう少し調べておきたい。
恋の悩みは本人に任せればいいし、私には私で考えなければならないことがある。
それに、明日はどんな髪型にするかも、まだ決めていなかった。




