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第7話 ヒロイン、攻略を始める

入学二日目。


 朝食を終えた私は、アリアに髪を整えてもらっていた。


「今日は、こちらを使ってみたいわ」


 手に取ったのは、淡い青色の細長いスカーフだった。


 昨日は入学式だったので、少し華やかにしようと髪を巻き、縦に整えてもらった。


 前世では、自分でするには手間がかかりすぎて、一度も試したことのない髪型である。


 せっかく毎朝アリアが髪を整えてくれるのだ。


 楽しまなければもったいない。


「では、少し緩く巻いて、こちらを編み込みましょうか」


「素敵ね。お願いするわ」


 鏡の中で、アリアの手が器用に動く。


 金色の髪へ青い布が少しずつ混ざっていく様子を眺めているだけでも楽しい。


「明日はお団子にしてみようかしら」


「左右に二つですか?」


「ええ。この年齢でなければ、なかなかできないでしょう?」


「よくお似合いになると思います」


 明日の予定まで決まった。


 満足して教室へ向かう。


 廊下へ出たところで、昨日の桃色の髪の少女と鉢合わせた。


 彼女は私を見る。


 通り過ぎる。


 数歩進んでから、戻ってきた。


 もう一度、私を見る。


「……レティシア様?」


「ご機嫌よう」


「髪は!?」


 思わず自分の頭へ手をやった。


「何かおかしいかしら?」


「縦ロールはどうしたのよ!」


「ああ、昨日の」


 髪のことだったらしい。


「昨日しましたので、今日は違う髪型にいたしました」


「毎日じゃないの!?」


「毎日同じでは飽きてしまいますわ」


「だって、立ち絵ではいつも……」


 少女は途中で口を閉じた。


 昨日から、この方は時々、不思議な言葉を使う。


 悪役令嬢。


 げえむ。


 開始イベント。


 今日は立ち絵。


 前世で似たような言葉を耳にした覚えはあるけれど、今の会話とどう繋がるのかまでは分からない。


 自分の中だけで通じる言葉を使いたくなる年頃なのかもしれない。


 私にも、若い頃は似たようなことがあった……ような、なかったような。


「昨日の髪型がお好きでしたの?」


「そういう問題じゃない!」


「そうなの?」


「もういい!」


 少女は髪を振り乱して去っていった。


 私はその背中を見送り、アリアを見る。


「元気ですわね」


「朝から何よりでございます」


 私たちも教室へ向かった。


     ◇


 その頃、桃色の髪の少女――ミレーヌ・オルコットは決意していた。


 悪役令嬢がおかしい。


 ゲームでは第一王子アディエルの婚約者で、ヒロインを目の敵にするはずだった。


 ところが婚約していない。


 嫌がらせもしない。


 昨日など、冤罪をかけようとした自分を医務室へ送り、最後には明日の試験勉強をしろと言ってきた。


 おまけに、今日は髪型まで違う。


「……でも、大丈夫」


 ミレーヌは自分へ言い聞かせた。


 レティシアがおかしいだけだ。


 攻略対象者たちは、ちゃんとゲーム通りに存在している。


 第一王子アディエル。


 騎士団長の子息カイル。


 宰相の子息ユリウス。


 侯爵令息セドリック。


 宮廷魔術師長の子息ルシアン。


 昨日、全員の姿を確認した。


 多少の違いがあったとしても、攻略対象さえゲーム通りなら問題はない。


「悪役令嬢が仕事をしないなら、私が先に攻略すればいいのよ」


 ミレーヌは拳を握った。


 まず狙うのは、もちろん王道の第一王子ルート。


 アディエルは優しく誠実で、身分の低いヒロインにも分け隔てなく接してくれる。


 ゲームでは、入学直後の中庭で花壇を眺めていると、最初の会話イベントが発生する。


 好きな花について尋ねられ、正しい選択肢を選べば好感度が上がる。


 ミレーヌは昼休みになると、急いで中庭へ向かった。


 花壇の前で待つ。


 しばらくすると、高等部の制服を着たアディエルが側近とともに歩いてきた。


 来た。


 ミレーヌは胸を高鳴らせながら、花へ顔を近づけた。


「まあ、綺麗……」


 聞こえるように呟く。


 アディエルが足を止めた。


「花が好きなのか?」


 来た!


 ゲームと同じ台詞だった。


「はい! 特に白いリリアが好きです!」


 正解の選択肢。


 アディエルは穏やかに微笑んだ。


「そうか。私も嫌いではないよ」


 成功。


 ミレーヌは心の中で拳を握った。


「昨日、階段で転んだ令嬢だね。怪我はなかったか?」


「私のことを覚えていてくださったんですか?」


「騒ぎになっていたからね」


 やっぱり優しい。


 しかも怪我まで心配してくれた。


 これは間違いなく好感度が上がっている。


「ありがとうございます、殿下!」


「ああ。今後は足元に気をつけなさい」


「はい!」


 アディエルは笑顔を残し、そのまま側近たちと歩いていった。


 ミレーヌは両手を胸の前で握る。


「やった……!」


 一つ目のイベントは成功した。


     ◇


 次は騎士団長の子息、カイルだった。


 放課後、ミレーヌは訓練場の近くで待った。


 予定通り、剣術訓練を終えたカイルがやって来る。


 額には汗が浮かんでいた。


「これ、使ってください!」


 ミレーヌは用意していたハンカチを差し出した。


 カイルが目を丸くする。


「俺に?」


「はい!」


「ありがとう」


 受け取った。


 イベント成功。


 ゲームではここで、カイルの好感度が上昇する。


「洗って返すよ」


「そのままで構いません!」


「いや、借りたものをそのままにはできないだろ」


 真面目。


 ゲーム通りだ。


 ミレーヌは嬉しくなった。


「では、またお会いできますね!」


「同じ学園なんだから、会うだろ?」


 カイルは不思議そうな顔をしながら去っていった。


 ミレーヌには、それすら照れ隠しに見えた。


 順調だった。


     ◇


 三人目は宰相の子息、ユリウス。


 図書室で、彼が手に取るはずの本を先に見つけて待つ。


 しばらくすると、本棚の向こうから腕が伸びた。


 同じ本へ二人の指が触れる。


「あっ」


「失礼」


 ユリウスが手を引いた。


 来た。


 図書室イベント。


「どうぞ。私は別のものを読む」


「え?」


「それが必要なのだろう?」


「でも……」


「遠慮はいらない」


 ユリウスは隣の棚から別の本を抜き、そのまま閲覧席へ向かった。


 ミレーヌは本を胸に抱いた。


 やっぱりイベントは起きる。


 悪役令嬢がおかしいだけで、ゲームそのものは壊れていない。


     ◇


 夕方。


 図書室から借りた本を抱えて寄宿舎へ戻る途中、廊下の向こうからミレーヌ嬢が駆けてきた。


「レティシア様!」


「ご機嫌よう」


 朝とは打って変わって、ずいぶん機嫌がよさそうだ。


「私、今日アディエル殿下とお話ししました!」


「まあ、そうでしたの」


「殿下の方から声をかけてくださったんです!」


「昨日のお怪我を心配してくださったのかしら。お優しい方ですものね」


「それだけじゃありません! お花の話もしました!」


「まあ」


 どうやら殿下と親しく話せたことが、よほど嬉しかったらしい。


 昨日は近づくなと言っていたくらいだ。殿下に好意を寄せているのだろう。


「それからカイル様にもハンカチを貸しました!」


「まあ。親切になさったのね」


「ユリウス様とは図書室で同じ本に手が触れました!」


「……それは、譲っていただけたの?」


「はい!」


「よかったですわね」


「そうなんです!」


 満面の笑みである。


 昨日は私を見るなり怒っていたのに、今日は楽しそうだ。


 学園生活に馴染めそうなら何よりである。


「つまりですね!」


 ミレーヌ嬢は胸を張った。


「私、順調なんです!」


「それは何よりですわ」


「攻略も順調です!」


「……こうりゃく?」


「はい!」


 聞き慣れない使い方だった。


 攻略といえば、難しい問題を解いたり、何かを成し遂げたりするときに使う言葉だった気がする。


「何をなさっているの?」


「だから、アディエル殿下たちを攻略しているんです!」


 なるほど。


 分からない。


 けれど、今日一日で三人の男性と話したことを嬉しそうに報告しているのだから、おそらく彼女なりの言い回しなのだろう。


「皆様と仲良くなりたいのね」


「まあ……そういうことです!」


「でしたら、頑張ってくださいませ」


「…………え?」


「学園には六年間おりますもの。気の合う方がたくさん見つかるとよろしいですわね」


 ミレーヌ嬢の笑顔が消えた。


 何か間違えただろうか。


「アディエル殿下ですよ?」


「ええ」


「私、殿下と仲良くなっているんですよ?」


「そうなのでしょう?」


「悔しくないんですか?」


 今度こそ分からなかった。


「なぜ?」


「だって……殿下を取られ……」


 そこまで言って、彼女は口を閉じる。


 ようやく意味が分かった。


「もしかして、わたくしも殿下をお慕いしていると思っていらっしゃるの?」


「違うんですか!?」


「昨日も申し上げましたけれど、婚約のお話はお断りしておりますわ」


「でも!」


「あなたが殿下をお好きなのでしたら、わたくしのことはお気になさらなくてもよろしいのよ」


 恋をしている相手に、ほかの女性が近づくのが不安なのだろう。


 十二歳なら、それも仕方がない。


 私だって、もう少し若い頃なら似たようなことで悩んだ……かもしれない。


 たぶん。


「応援しておりますわ」


「応援しないでよ!」


 なぜか怒られた。


 ミレーヌ嬢は顔を真っ赤にして廊下の向こうへ走っていく。


 私はその背中を見送りながら首を傾げた。


 恋する少女というものは難しい。


 部屋へ戻ると、モフが私の足音に気づいて駆けてきた。


「きゅう!」


「ただいま、モフ」


 抱き上げると、柔らかな毛が腕いっぱいに広がった。


 今日も一日よく頑張った。


 明日は初めての歴史学と領地経営論がある。


 髪は、お団子を二つ。


 楽しみなことが多くて忙しい。


 ミレーヌ嬢の恋がどうなるかは分からないけれど、私には私で、やりたいことがたくさんあった。


     ◇


 一方。


 自室へ戻ったミレーヌは、今日一日の成果を思い返していた。


 アディエルは自分を覚えていた。


 カイルはハンカチを受け取った。


 ユリウスとは図書室イベントが起きた。


 すべて順調。


「やっぱり、ゲーム通りじゃない!」


 悪役令嬢だけがおかしい。


 ならば放っておけばいい。


 攻略対象者たちは、ちゃんと自分へ好意を向け始めている。


 ミレーヌは知らなかった。


 アディエルが、騒ぎになった新入生だから彼女を覚えていただけだということを。


 カイルが、差し出された親切を素直に受け取っただけだということを。


 ユリウスが、読みたい本を譲っただけだということを。


 この日。


 攻略対象者の誰一人として、ミレーヌへ恋心を抱いてはいなかった。


 けれど彼女の中では。


 乙女ゲームは、極めて順調に進んでいた。

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