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第6話 十二歳令嬢、学園へ入る

「つまり、モフは学用品ですわね」


 王立貴族学園へ向かう馬車の中で、私は膝の上の毛玉を抱き直しながら言った。


「いいえ、お嬢様。魔法生物でございます」


 向かいに座るアルフレッドが、眼鏡の位置を直しながら淡々と訂正する。


「ですが、持ち込み許可証は出ておりますでしょう?」


「『愛玩動物』としてではなく、『人の精神を安定させる微弱な魔力を有する希少生物』として正式に登録されております。ただし、教室への同行は認められておりません。寄宿舎に用意されたお嬢様の居室で待機させることが条件でございます」


「持ってきてもよいのでしょう?」


「その言い方では、筆記具と同じ扱いになります」


「きゅう」


 当のモフは、自分が学用品に数えられかけていることなど気にも留めず、私の膝で気持ちよさそうに丸くなっていた。


 十二歳から十八歳までの六年間を過ごす王立貴族学園は、全寮制である。生徒の私室へ使用人を一人伴うことは許されているものの、動物の持ち込みは原則として禁止されていた。


 そこでアルフレッドが正式な鑑定書をそろえ、モフは単なる愛玩動物ではないと学園側へ訴えたのである。


 その結果、教室や食堂へ連れ出さず、居室と専用庭園の中で世話をするという条件つきで許可が下りた。


「居室にいてくれれば、放課後はいつでもモフモフできますもの。それで十分ですわ」


「お嬢様。学園へは勉学と社交のために入学なさるのですが」


「分かっております。やるべきことを終えてから、心置きなくモフを抱くのです」


「順番を守っていただけるのであれば、結構でございます」


 アルフレッドはそう答えたものの、モフを連れていくために最も奔走したのは彼である。


 きっと彼も、私が慣れない寄宿生活で寂しがらないようにと考えてくれたのだろう。


 ありがたいので、そこには触れずにおいた。


 こうして私は、モフという最高の癒やし――もとい、正式な鑑定を受けた希少な魔法生物とともに、六年間の学園生活へ乗り込んだ。


     ◇


 学園の正門をくぐり、寄宿舎へ荷物とモフを預けたあと、私はアリアを伴って入学式の行われる大講堂へ向かった。


 ところが、中庭へ入ったところで最初の障害が立ち塞がった。


「久しぶりだね、レティシア嬢。今日から同じ学園の生徒だな」


 春の日差しを背に、爽やかな笑みを浮かべて現れたのは、十五歳になった第一王子アディエル殿下だった。


 高等部の制服に身を包み、側近候補らしい男子生徒たちを従えている。


「ご機嫌よう、殿下」


 私は淑女として非の打ち所のない礼を取った。


「学園では私を頼るといい。分からないことがあれば、何でも聞きなさい」


「ありがとうございます。ですが、教師も案内係もおりますので、ご心配には及びませんわ」


「では、昼食は私の隣を空けておこう。食堂で待っている」


「先に同学年の友人を作りたいと思っておりますの。どうぞお気遣いなく」


「放課後なら、私が校内を案内しよう。敷地は広いからね」


「すでに詳細な案内図を頂いております。アルフレッドが各教室への最短経路まで書き込んでくれましたわ」


「……そうか」


 殿下は差し出しかけた手を宙で止め、わずかに笑みを引きつらせた。


 何を提案されても、今のところ私には必要がない。


 それでも殿下は諦めず、今度は私の荷物を持とうかと尋ねてきたが、それもアリアがすでに持っていた。


 十歳の誕生日から二年。


 どうやら殿下は、まだ私を諦めていないらしい。


 今日のところは、それでよい。


 あのときの言葉は、どうやら今日限りという意味ではなかったようだ。


 さらに、殿下の周囲にいた少年たちも、それぞれ意味ありげな視線を送ってくる。


 騎士団長の子息は、自慢らしい細身の剣へ手を添え、私と目が合うと胸を張った。


 宰相の子息は柱へ背を預け、腕を組んだまま低い声で「フッ……」と笑っている。何がおかしいのかは分からない。


 侯爵令息は声をかけてきた令嬢を冷たくあしらい、誰にもなびかない自分を演出していた。


 宮廷魔術師長の子息に至っては、初対面だというのに私のそばへ来て、こう囁いた。


「君の瞳には、特別な魔力を感じるね」


「そうですの? 定期鑑定では、そのような結果は出ておりませんけれど」


「いや、鑑定では測れない、運命のようなものさ」


「測れないのでしたら、確認のしようがございませんわね」


 少年は口元に浮かべていた笑みを固めた。


 前世で四十代後半まで生きた私からすると、彼らの振る舞いは少々眩しすぎる。


 彼らなりに、余裕のある大人の男性を演じているのだろう。しかし、背伸びをしていると分かるだけに、見ているこちらの方が落ち着かない。


 十代の少年というものは、どうして普通に挨拶ができないのかしら。


「それでは殿下、皆様。わたくしは新入生説明会がございますので、これで失礼いたします」


 穏やかに微笑んで一礼し、私は彼らが次の言葉を探している間にその場を辞した。


     ◇


 事件が起きたのは、講堂へ続く大階段の踊り場だった。


 新入生たちが案内を受けながら移動していると、突然、甲高い悲鳴が響いた。


「きゃああっ!」


 振り返ると、同じ新入生の制服を着た少女が、派手な音を立てて踊り場へ膝をついていた。


 春らしい薄桃色の髪をした、可憐な少女である。


 彼女は涙を浮かべて周囲を見回し、私を見つけるなり、まっすぐ指を差した。


「レ、レティシア様に押されました……!」


 それまで賑やかだった踊り場が静まり返り、生徒たちの視線が一斉に私へ集まる。


 少女は恐怖に震えているような顔をしていたが、その瞳には隠しきれない期待が浮かんでいた。


「あの縦巻きの金髪……間違いないわ。悪役令嬢レティシア……。これで開始イベントが……」


 小声で何やら呟いている。


 私の名前を知っていることは不思議ではない。公爵家の一人娘であり、入学前から第一王子との婚約話が噂されていたのだから。


 しかし、悪役令嬢や開始イベントとは何のことだろう。


 前世で読んだ物語の中には、そのような役柄もあった気がするが、私は彼女と会うのも今日が初めてである。


「……あの」


 私は首を傾げながら、少女へ尋ねた。


「わたくしが、いつ、どちらの手であなたを押したのか、説明していただけますかしら?」


「え……? こ、今です! 右手で背中を……!」


「そのとき、わたくしはあちらの先生方と、語学授業の日程について話しておりました」


 私が手で示すと、新入生担当の教師がすぐに頷いた。


「ええ。ローゼンバーグ公爵令嬢は、ずっと私どもと話しておられました」


 アリアだけでなく、その場にいた数人の生徒も同意する。


 私と少女の距離は、およそ十歩。間にはほかの新入生たちも立っていた。


「それほど離れたところまで、わたくしの右手が伸びるとお思いになったのかしら?」


「えっ……?」


 少女は初めて周囲の状況に気づいたらしく、大きく目を見開いた。


 誰かに押されたという筋書きを用意することへ夢中になり、肝心の私がどこにいるのか確かめていなかったのだろうか。


「あ、あれ……? でも、確かに誰かに……」


「こちらの床は、先ほど清掃を終えたばかりで、少し滑りやすくなっているようですわ。入学初日ですもの。緊張して足を取られたのではなくて?」


 私は彼女を責めず、痛むところがないか確かめるように腰を屈めた。


「お怪我はございませんか?」


「え……」


「アリア、医務室へ案内して差し上げて」


「かしこまりました、お嬢様」


 アリアが少女へ手を貸し、立ち上がらせる。


 周囲では、「あれほど離れていたのに」「言いがかりをつけられたのでは?」という囁きが交わされていた。


 その声に気づいた少女は、慌てたように私を見る。


 ここで彼女を責め立てれば、入学早々に大きな騒ぎとなる。公爵令嬢と下位貴族の令嬢が争ったとなれば、家同士の問題へ発展する可能性もあった。


 怪我がなく、証人もそろっているのなら、これ以上関わる必要はない。


「きっと何かの勘違いでしょう。慣れない場所では、誰にでも失敗はございますもの」


 笑顔でそう告げると、少女はなぜか悔しそうに唇を噛んだ。


「どうして……。イベントが、消えた……?」


 アリアに連れられていく間も、理解できない言葉を呟いている。


 不思議な方である。


 それにしても、私へ冤罪をかけるつもりだったのなら、せめて手が届く距離で転んでほしい。


 あまりにも雑すぎて、怒る気にもなれなかった。


     ◇


 放課後。


 寄宿舎の居室へ戻った私は、膝にモフを乗せ、セレイア領から届いた報告書へ目を通していた。


 今年は開花が早いらしい。


 花畑を見に来る旅行客も増えており、古い別邸を利用した宿泊施設は、春から初夏にかけてほぼ満室となっていた。


 次のページをめくろうとしたところで、扉が強くノックされた。


 アリアが応対すると、昼間の桃色の髪をした少女が立っている。


「レティシア様! さっきは……その、失礼しました!」


 口では謝っているものの、私を見る目には敵意が残っていた。


「もうよろしいのよ。お怪我はなかったかしら?」


「ありません! それより、レティシア様はアディエル殿下のことを、どう思っているんですか?」


 謝罪から突然、第一王子の話へ飛んだ。


「どう、と言われましても……王族として努力しておられる、立派な王子様だと思いますわ」


「やっぱり! 本当は殿下を狙っているんでしょう! 裏でほかの令嬢を威圧して、近づかないように仕向けているんじゃないですか!?」


「どこからそのお話が出てまいりましたの?」


「だって、あなたは悪役令嬢で……」


「先ほどもおっしゃっていましたけれど、それは何かの役名ですの?」


「えっ」


 少女は口を開けたまま固まった。


 どうやら、本人も説明できない言葉だったらしい。


「とにかく! 殿下へ近づかないでください!」


「殿下の方から近づいていらっしゃるのですけれど」


「なら、きっぱり断ればいいでしょう!」


「すでに十歳の誕生日にお断りしておりますわ」


「えっ?」


「ご本人へ直接お伝えしました」


「でも、ゲームでは婚約者で……」


「げえむ?」


「な、何でもありません!」


 よく分からないが、彼女の中では、私と殿下が婚約していなければ都合が悪いらしい。


 しかし、現実の私は多忙である。


 私は膝の上のモフを撫でながら、机に積まれた書類を示した。


「わたくし、そのようなことをしている暇はありませんの」


「え?」


「領地から届いた報告書の確認、四か国語の復習、明日から始まる授業の予習。それから、十六歳になったら西の自治領へ行けるよう、旅行計画も立てております」


 目的地に公営カジノが含まれていることは、まだ伏せておく。


 十二歳の少女が四年も前からカジノへの旅行を計画していると知られれば、余計な誤解を招きかねない。


「あなたが、わたくしをどのような役へ当てはめようとなさっているのかは存じません。けれど、学園で過ごせる六年間は有限ですのよ」


「な、何よ……偉そうに……!」


「わたくしへ身に覚えのない罪を着せたり、殿下との関係を問いただしたりするお時間がおありなら、教本をお読みになった方がよろしいのでは?」


 私は淑女教育で身につけた、非の打ち所のない笑顔を浮かべた。


「明日は早速、語学の確認試験がございますわよ」


「っ――!」


 少女の顔が赤くなり、握った両手が小刻みに震える。


「キーッ!」


 甲高い声を上げると、彼女は勢いよく身を翻し、廊下を駆けていった。


 扉が閉じたあとも、私はしばらく同じ場所を見つめていた。


「……『キーッ』とおっしゃる方、初めて見ましたわ。本当に口にする方がいらっしゃるのね」


「わたくしも初めて拝見いたしました」


 隣に立つアリアも、珍しい生き物を見送ったような顔をしている。


「きゅう」


 モフが膝の上から短く鳴いた。


「ええ。学園とは、思っていた以上に騒がしい場所ですわね」


 私はモフの柔らかな毛へ顔を埋め、深く息を吸い込んだ。


 モフを連れてきて、本当によかった。


     ◇


 一方、自分の居室へ戻った桃色の髪の少女は、誰もいないことを確かめてから頭を抱えた。


「どうしてよ……!」


 この世界は、彼女が前世で夢中になった乙女ゲーム『君と咲く恋のドレス』に違いない。


 本来なら、入学前から第一王子と婚約しているはずの悪役令嬢レティシア。


 学園でヒロインへ嫌がらせを繰り返し、攻略対象者たちから断罪される、恋物語の障害。


 そのはずだった。


 ところが現実のレティシアは、第一王子との婚約を自分から断り、ヒロインを突き飛ばさず、言いがかりをつけられても咎めなかった。


 それどころか、恋愛より領地経営と語学の試験を優先している。


「どうして悪役令嬢が、何も嫌がらせをしてこないのよ――!」


 少女の叫びが、寄宿舎の一室に響き渡った。


 そんな騒ぎが起きているとも知らず、私はモフを抱きながら、翌日の時間割を確認していた。


 恋愛騒動から全力で距離を取る私の学園生活は、こうして幕を開けたのだった。

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