第5話 十歳令嬢、領地をもらう
十歳の誕生日を迎えた。
この世界に生まれ直してから、もう十年。
公爵家の一人娘として大切に育てられ、正式な跡継ぎとして教育を受け、財産も順調に増えている。
家事をする必要はなく、毎日の食事は美味しい。両親は健在で、私の意思も尊重してくれる。
前世で望んだ条件は、今のところすべて守られていた。
実に素晴らしい。
このまま平穏に、裕福に、面倒事とは距離を置いて生きていきたいものである。
「レティシア。十歳の誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます、お父様」
「まあ、レティ。とても綺麗よ」
「お母様が選んでくださったドレスですもの」
今日は私の誕生日を祝うため、公爵家と親しい方々が屋敷へ招かれていた。
まだ十歳なので、夜会ほど大がかりなものではない。それでも広間には花が飾られ、楽団が穏やかな曲を奏で、客人たちは私へ次々と祝いの言葉を贈ってくる。
もちろん、贈り物も忘れてはいない。
美しい刺繍の施された布。
外国から取り寄せた菓子。
子供向けとは思えないほど高価な装飾品。
どれもありがたく受け取った。
自分で欲しいとは思わなくとも、換金できる物に罪はない。
客人たちへの挨拶が一段落した頃、広間の入り口が騒がしくなった。
「第一王子殿下のご到着です」
その声を聞いた瞬間、お父様の笑顔が固まった。
お母様は扇で口元を隠す。
私は心の中で、来たか、と呟いた。
五歳の頃、王家から婚約の打診があった。
お父様は私の意思を尋ねてくれたので、丁重にお断りした。将来の王妃という役職には、仕事が多すぎる。公爵家を継いだ方が財産も自由も多く、生活の質も高い。
私にとっては、悩む余地のない選択だった。
ところが、王家は完全には諦めていなかったらしい。
第一王子殿下は、祝いの品を載せた従者を伴って広間へ入ってきた。
十三歳になった殿下は、以前より背が伸び、王族らしい華やかさも増している。金色の髪も、青い瞳も、物語に登場する王子様としては申し分ない。
だからといって、私が王妃になりたいとは限らないのだが。
「レティシア嬢。十歳の誕生日を迎えたこと、心から祝う」
「ありがとうございます、殿下」
私は教わったとおり、非の打ち所のない礼をした。
王子は満足そうに頷き、従者から細長い箱を受け取る。
「王家からの祝いだ。君に似合うものを、私が選んだ」
箱の蓋が開かれると、青い宝石を連ねた首飾りが現れた。
中央には大粒の石が輝いている。
これは高い。
宝石そのものだけでなく、王子が選んだという由来まで付く。売ることは難しいだろうが、財産としては申し分なかった。
「まあ。美しい首飾りですこと」
「そうだろう。いずれ君が私の隣に立つときにも、よく似合うはずだ」
お父様の眉間に深い皺が刻まれた。
お母様の扇が止まる。
周囲にいた客人たちは、聞こえないふりをしながら、こちらへ神経を集中させていた。
私は首飾りから顔を上げる。
「殿下の隣に、でございますか?」
「ああ。父上たちも、君ほど王太子妃にふさわしい令嬢はいないと考えている。以前はまだ幼かったから、君の父上も婚約を決めることに慎重だったのだろう。だが、私たちはもう十歳と十三歳だ。そろそろ将来について考えてもよいと思わないか?」
なるほど。
以前の婚約話が流れたのは、お父様が私を手放したくなかったからだと思っているらしい。
確かに、お父様は私を溺愛している。できることなら一生屋敷に置いておきたいと考えていても不思議ではない。
しかし、最終的に断ったのは私である。
「殿下」
「なんだ?」
「ひとつ、訂正させていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんだ」
「以前の婚約をお断りしたのは、お父様ではございませんわ」
王子が目を瞬かせた。
「では、誰が反対したのだ?」
「わたくしです」
「……君が?」
「ええ」
広間が静かになった。
楽団だけが、何も知らないように演奏を続けている。
「なぜだ?」
王子は本当に分からないらしい。
「わたくしは公爵家の一人娘であり、正式な跡継ぎですもの。王家へ嫁げば、この家と領地を継ぐことができなくなります」
「それなら、君の家から養子を迎えればいい」
「わたくしが継げるものを、なぜ他の方へ譲らなければなりませんの?」
「王太子妃になれるのだぞ?」
「公爵家当主にもなれますわ」
「いずれは王妃だ」
「仕事が増えますわね」
王子の口が閉じた。
「王宮で暮らせる」
「今のお屋敷の方が落ち着きます」
「国中の宝石やドレスが手に入る」
「自分で買えますわ」
王子は助けを求めるようにお父様を見た。
お父様は、とても良い笑顔で視線を逸らした。
「それに、王妃になれば王太子である私と――」
「殿下」
私は微笑んだまま、話を遮った。
「わたくし、欲しいものは自分で選びたいのです」
王子が言葉を失う。
少し気の毒ではある。
彼は王子として育てられ、多くの令嬢が自分との婚約を望んでいることも知っている。王太子妃の座を差し出せば喜ばれると、疑ったこともないのだろう。
だが、私はいらない。
「お祝いの首飾りは、ありがたく頂戴いたします。けれど、婚約とは別のお話ですわ」
「……そうか」
「はい」
王子はしばらく黙っていたが、やがて表情を整えた。
「今日のところは、それでいい」
今日のところは。
聞き逃したふりをしておこう。
これ以上追及すれば、せっかくの誕生日が婚約交渉の場になってしまう。
「ご理解いただき、ありがとうございます」
私は丁寧に礼をした。
王子は最後まで納得していない顔をしていたものの、王族としての体面もある。祝いの席で騒ぎを起こすことなく、しばらく滞在したあと王宮へ戻っていった。
馬車を見送ったお父様は、大きく息を吐いた。
「レティ。よく言った!」
「あなた。殿下がお帰りになった直後ですわよ」
「だって、また私のレティを連れていこうとしたんだぞ!」
「わたくしはどこにも参りませんわ」
「そうだね! ずっとここにいていいからね!」
それでは公爵家を継ぐ頃になっても、当主の座を譲ってもらえないのではないだろうか。
「お父様。そろそろ、わたくしへの贈り物を見せてくださいませ」
「ああ、そうだった!」
お父様は急に機嫌を直すと、使用人へ合図した。
運ばれてきたのは、蓋のついた大きな籠だった。
中から、がさり、と音がする。
「……動きましたわね?」
「開けてごらん」
促されるまま、留め具を外す。
蓋を持ち上げた瞬間、白銀色の毛玉が飛び出してきた。
「きゅう!」
「まあ!」
毛玉は私の腕へしがみつき、そのまま胸元へ顔を埋めた。
ふわふわである。
想像を超えて、ふわふわである。
小さな体を抱き上げると、つぶらな瞳が私を見つめた。丸い耳がぴくりと動き、長い尾が私の腕へ巻き付く。
「森の近くで保護されたそうだ。親らしい獣も見つからなくてね。人に慣れているし、危険性もないと確認してある」
「この子を、わたくしに?」
「レティは動物が好きだろう?」
「大好きですわ!」
私は毛玉を抱き締めた。
「きゅう!」
毛玉も嬉しそうに鳴いた。
「お名前はありますの?」
「まだないよ」
「では、モフにいたしますわ」
アルフレッドが眼鏡の位置を直した。
「見たままでございますね」
「分かりやすさは大切ですもの」
モフは自分の名前を気に入ったのか、もう一度「きゅう」と鳴いた。
「それから、もうひとつある」
お父様が一枚の書類を差し出した。
「こちらは?」
「レティの名義へ移した土地の権利書だよ」
私はモフを抱いたまま、書類へ目を落とした。
公爵領の外れにある小さな土地だった。森と湖、それから小さな集落が含まれている。古い別邸も一軒あるらしい。
「領地をくださるのですか?」
「いずれは公爵領のすべてを継ぐことになるけれど、その前に自分の土地を持っていた方が、領主の仕事を学びやすいだろう? もちろん、難しいことは私と管理人が手伝う。レティの好きに使っていいよ」
好きに使っていい土地。
なんと素晴らしい響きだろう。
「ありがとうございます、お父様!」
「喜んでくれたかい?」
「もちろんですわ!」
「レティ。お父様からの贈り物ばかりではありませんのよ」
お母様が微笑むと、後ろに控えていた少女が一歩前へ出た。
年は私より少し上だろう。淡い栗色の髪をきちんとまとめ、緊張した面持ちで頭を下げる。
「アリアと申します。本日より、レティシアお嬢様の身の回りのお世話をさせていただきます」
「わたくしの侍女ですの?」
「ええ。これまではわたくし付きの侍女たちのもとで学ばせていましたの。あなたも十歳になりましたし、これからは自分専属の侍女が必要になるでしょう?」
お母様からの贈り物は、人だった。
もちろん、人そのものを所有するという意味ではない。私の予定や衣装、持ち物を管理し、今後長くそばで支えてくれる者を選んでくださったのだ。
顔を上げたアリアは、まだ少し緊張している。
「わたくしは、自分でできることまで何でも自分でしたいとは思っておりませんの」
「はい」
「面倒なことは、遠慮なくお願いいたしますわ」
アリアが一度目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「かしこまりました。お嬢様が心置きなくお過ごしになれるよう、精いっぱいお仕えいたします」
「頼もしいですわね。これからよろしくお願いいたします」
「はい!」
こうして私は十歳の誕生日に、自分の領地と、最高級の抱き枕と、専属侍女を手に入れた。
どれも、王妃の座より私の生活を豊かにしてくれる贈り物だった。
◇
誕生日からひと月後、私は贈られた土地を訪れた。
馬車にはお父様とお母様、アルフレッド、アリアが同乗している。当然ながら、モフも一緒だ。
窓の外を流れる景色を、モフが興味深そうに眺めている。
「モフ。窓から落ちてはいけませんわよ」
「きゅう」
返事だけは良い。
現地で管理人に迎えられ、私は初めて自分の土地へ足を踏み入れた。
集落は小さかったが、家々はよく手入れされていた。森では木材や木の実が採れ、湖では魚が獲れる。暮らしていけないほど貧しくはないものの、大きな収入源もない。
古い別邸は湖を見下ろす場所に建っていた。
修繕は必要だが、石造りの外壁は丈夫で、屋根も残っている。窓を大きくすれば、部屋にいながら湖を眺められそうだ。
「気に入りましたか、レティ?」
「ええ、お母様。静かで、景色も美しくて、とても気に入りましたわ」
「それは良かった」
お父様も満足そうに頷いている。
別邸を見たあとは、管理人の案内で湖の近くを歩いた。
水面が日の光を反射し、森から吹く風が木々を揺らしている。王都より空気が澄んでおり、人の声も少ない。
私は心の中で、ここを将来の避難場所にしようと決めた。
社交に疲れたとき。
仕事をしたくないとき。
誰にも会わず、モフを抱いて一日中寝ていたいとき。
公爵家当主には、そのような場所も必要である。
湖畔の道を歩いていると、前を進んでいたモフが突然立ち止まった。
「きゅ?」
鼻をひくひくと動かし、道の脇に顔を向ける。
「モフ?」
「きゅう!」
「あっ、待ちなさい!」
モフは草むらへ飛び込んだ。
銀色の尾が一度見えたものの、すぐに茂みの向こうへ消えてしまう。
護衛たちが慌てて追いかけ、私たちもそのあとを進んだ。
草むらを抜けた先で、視界が青紫色に染まった。
湖から少し離れた湿地に、見たことのない花が群生している。
幾重にも重なる花弁は、水面に浮かぶ睡蓮に似ていた。けれど、それらは銀緑色の葉を広げ、黒く湿った土へ根を張っている。
風が吹くたび、花畑全体がゆるやかに波打った。
「まあ……」
お母様が感嘆の声を漏らす。
私も言葉を忘れて、その景色を眺めた。
花の間から、モフが顔を出す。
「きゅう!」
全身に青紫色の花びらをつけ、いかにも自分が見つけたと言いたげな顔をしていた。
「モフ。どこへ行っていましたの」
抱き上げた途端、甘く澄んだ香りが鼻をくすぐった。
華やかなだけではない。青葉を思わせる爽やかさが混じり、深く息を吸うと肩の力が抜けていく。
「……あなた、良い香りになりましたわね」
「きゅう」
「この花に名前はありますの?」
私が尋ねると、管理人が花畑を見渡した。
「私どもは、眠り花と呼んでおります。乾燥させた花を枕元へ置くと、よく眠れると言われておりますので。ただ、ここ以外では見かけませんし、売り物になるようなものでもございません」
「これほど良い香りがするのに?」
「はい。昔から咲いている野花ですから」
身近にありすぎる物の価値は、案外気づかれないものである。
私はアリアに一輪摘んでもらい、花弁へそっと触れた。
「成分と効能を調べてもらいましょう」
「商品になさるのですか?」
「まだ分かりませんわ。使い道がなければ、眺めて楽しみます」
湖と森に囲まれた、青紫色の花畑。
それだけでも、この土地をもらった価値は十分にある。
「ところで、眠り花という名前では少々地味ですわね」
「新しい名をお付けになりますか?」
「セレイアにいたしましょう」
「セレイア、でございますか」
「ええ。その方が、美しい花に似合いますもの」
モフが腕の中で鳴いた。
発見者からも異論はないらしい。
◇
調査の結果、セレイアには緊張を和らげ、穏やかな眠りを助ける性質があると分かった。
湯へ入れれば体を温め、香油として使えば肌を乾燥から守る。念のため薬師たちに何度も調べてもらったが、依存性や危険な作用も見つからなかった。
そこで私は、花を使った香水と香油、入浴用の香料を少量だけ試作させた。
売るためではない。
お母様へ差し上げるためである。
「まあ、レティ。これをわたくしに?」
「ええ。お母様がお好きそうな香りでしたので」
お母様は小瓶の蓋を開け、香りを確かめた。
「素敵……。甘いのに重くなくて、湖のそばを歩いているような香りがするわ」
「気に入っていただけました?」
「もちろんよ。大切に使わせてもらうわね」
喜んでもらえて、私も満足だった。
これで話は終わったと思っていた。
ところが、ひと月ほど経ったある日。
領主教育を終えて部屋へ戻ると、机の上に見慣れない書類の束が置かれていた。
「アルフレッド。こちらは何ですの?」
「セレイアを使った品々に関する注文書でございます」
詳しく聞けば、私が贈った香水をつけて夜会へ出たところ、貴婦人たちが香りに気づいたらしい。
どこの店の商品なのか。
いくらで買えるのか。
自分にも譲ってもらえないか。
問い合わせが相次ぎ、お母様が親しい方へ少量ずつ分けているうちに、公爵家の商会まで動き出したという。
「わたくし、販売を許可した覚えはありませんわ」
「奥様は、群生地を傷めず、お嬢様へ利益が入る条件であれば問題ないだろうと」
「お母様らしいですわね」
悪意はない。
むしろ私の土地にある花の価値を高めようとしてくれたのだろう。
私が贈った物をお母様が気に入り、その香りをほかの方々も欲しがった。
そこまでは結構である。
問題は、その翌日にやってきた。
「セレイアの栽培地を、現在の三倍まで広げたいと考えております」
公爵家と取引のある商人は、机の上へ計画書を広げた。
「需要に対して、収穫量があまりに少ないのです。湖畔の土地を整備して苗を植えれば、来年には生産量を増やせます。さらに、群生地の近くへ加工場を建設すれば運搬費も抑えられます」
「却下ですわ」
商人の説明が止まった。
「まだ収益の見込みをお話ししておりませんが」
「湖の近くへ、大きな建物を造るのでしょう?」
「はい。蒸留と乾燥、瓶詰めまでを現地で行える施設です。雇用も増えますし、領地の発展にも繋がります」
「煙は?」
「多少は出ます」
「廃水は?」
「浄化したうえで――」
「荷馬車も増えますわね」
「生産量を考えれば、当然ながら」
「では、却下です」
商人は困惑している。
「お嬢様。この機会を逃せば、他国の商品に市場を奪われる可能性もございます」
「奪わせておけばよろしいのではなくて?」
「しかし、利益は今の何倍にもなります」
「わたくし、すでにお金持ちですもの」
商人が黙った。
お金が足りないのなら、景観を犠牲にしてでも稼ぐ必要があるかもしれない。
だが、私はすでに十分な財産を持っている。
美しい湖畔を工業地帯へ変えてまで、数字を増やす理由がなかった。
「花は運べますけれど、景色は運べませんわ。加工は領地の外にある工房でなさい。収穫量も、群生地を傷めない範囲に留めます」
「それでは、注文に応じきれません」
「応じなくて結構です」
「奥様からも、お嬢様を説得していただけませんか」
同席していたお母様は、ゆっくりと首を傾げた。
「どうして?」
「今こそ事業を拡大する好機でございます。奥様も、セレイアの香りを気に入っておられるのでしょう?」
「ええ。とても好きよ」
「でしたら――」
「でも、レティが嫌がっているのでしょう?」
「利益は大きくなります」
「娘が喜ばないお金を増やして、何になりますの?」
商人はとうとう何も言えなくなった。
お母様は私を見て、優しく微笑む。
「レティが大切にしたい土地ですもの。レティの好きになさい」
「ありがとうございます、お母様」
こうして、セレイアの栽培地は広げないことになった。
領地で行うのは、決められた量の花を摘み、傷まないよう乾燥させるところまで。蒸留や調合、瓶詰めは、街にある既存の工房へ任せる。
摘み手には領民を雇い、収穫量を制限する代わりに、相応の賃金を支払うことにした。
生産量を増やせないのであれば、価格を上げるしかない。
その結果、セレイアを使った品は、誰もが欲しがる希少な高級品になった。
私は一切売り込んでいない。
お母様へ贈っただけである。
世の中とは、不思議なものだった。
◇
自分の領地を持ってから、領主教育の内容は一気に具体的になった。
以前は教本の中に並ぶ数字だったものが、今では自分の土地で暮らす人々の生活と結びついている。
森から得られる収入。
湖の漁獲量。
別邸の修繕費。
セレイアの採取に必要な人手と、領民へ支払う賃金。
書類の数字を変えれば、誰かの暮らしも変わる。
それが分かると、勉強は以前より面白くなった。
「この道を広げれば、荷馬車が通りやすくなります」
「では、工事をお命じになりますか?」
「いいえ。先に、道沿いに暮らす方々へ話を聞きますわ。便利になるのが商人だけでは意味がありませんもの」
教師は満足そうに頷いた。
お父様も私の報告書へ目を通し、嬉しそうに褒めてくれる。
どうやら、誕生日に領地を贈ったのは、単なる親心ではなかったらしい。
「お父様。好きに使ってよい遊び場とおっしゃいましたわよね?」
「うん。好きに使っていいよ」
「領主教育の教材になることも、最初から考えていらしたのではなくて?」
「レティは賢いねえ」
「否定なさらないのですね」
見事に嵌められた気もするが、土地そのものは私の財産である。
学んだ分だけ価値を守れるのなら、悪い話ではない。
領主教育と並行して、淑女教育も続いた。
礼儀作法、会話術、舞踏、刺繍、衣装、社交界の慣習。
覚えることは多い。
ある日の午前中、領主教育の教師は私へ言った。
「領主たる者、人の上に立つ威厳を身につけなければなりません」
その日の午後、淑女教育の教師は言った。
「淑女たる者、殿方を立てる慎ましさを忘れてはなりません」
「同じ日に教える内容として、矛盾しておりませんこと?」
教師は一瞬だけ沈黙した。
「どちらも、必要な教養でございます」
「便利な言葉ですわね」
とはいえ、淑女教育を無駄だとは思わない。
礼儀を身につけていれば、正面から断っても非礼とは言わせずに済む。笑顔を保ったまま相手の要求を退ける技術は、領主になってからも役立つだろう。
第一王子を追い返す際にも、すでに効果を発揮している。
扇舞いの稽古も順調だった。
最初は剣の代わりだったが、続けてみれば私にはこちらの方が合っていた。
軽く、美しく、衣装も華やかだ。
刃物ではないので、間違っても稽古相手の首は飛ばない。
扇を大きく開き、音楽に合わせて体を翻す。足を運び、腕を伸ばすたび、袖と裾が遅れて舞う。
閉じた扇を構え、次の瞬間には花が咲くように開く。
「お見事でございます、お嬢様。以前より、動きが滑らかになりましたわね」
曲が終わると、見守っていたアリアが拍手をした。
「毎日続けていらっしゃいますから」
「激しい運動ではありませんし、ちょうどよいですわ」
「ですが、ひとつの演目を通して舞われると、相応に体力を使うのでは?」
「汗をかくほどではありませんもの」
汗をかかず、美しく見え、運動にもなる。
私にとって理想的な習い事だった。
そうして、誕生日に領地をもらってから二年が過ぎた。
古い別邸の修繕は終わり、窓から湖と花畑を眺められるようになった。
セレイアは変わらず湖畔の一角にだけ咲いている。香水や香油は手に入れることさえ難しい品となったが、私は相変わらず商売へ口を出していない。
景色が守られ、領民へ利益が入り、私の資産が勝手に増えているのであれば、それでよかった。
領主教育も、淑女教育も、扇舞いも順調。
アリアは私の専属侍女として立派に成長し、アルフレッドの指導を受けながら、予定や持ち物を完璧に管理している。
モフも元気である。
少々大きくなったものの、今でも私の膝を自分の寝床だと思っている。
「お嬢様。学園へお持ちになる荷物の確認をお願いいたします」
アリアの声に、私は机の上から顔を上げた。
部屋の中央には、荷造りを終えた箱が並んでいる。
制服。
教本。
扇舞いに使う扇。
お母様が用意してくれた菓子。
そして、私の膝で眠るモフ。
「モフも持ち物に含まれますの?」
「ご本人は、そのおつもりのようでございます」
「きゅう」
寝たまま返事をした。
十二歳の春。
とうとう、貴族の子供たちが通う学園へ入学する。
勉強にも友人にも、それなりに興味はある。
ただし、王子との恋愛だけは不要だった。
十歳の誕生日に、本人へ直接お断りしたはずである。
――今日のところは、それでいい。
ふと、王子の言葉を思い出した。
私は膝の上のモフを撫でながら、窓の外を見た。
まさか、まだ諦めていないということはないだろう。
ないと、信じたい。




