第25話 教会が欲しいもの
教会からの使者が帰った翌日も、私の夏休みは平和だった。
朝食を少し遅めに取り、モフを連れて湖のそばまで散歩をした。昼前には別邸へ戻り、窓を開けた居間で本を読んでいるうちに眠くなったので、そのまま昼寝をした。
教会のことは、特に考えなかった。
こちらの返事はすでに伝えてある。
教会を建てる場所なら貸す。賃料もいらない。必要な通行も認めるし、それ以外に本当に必要なものがあるなら、その都度相談すればいい。
それでも土地そのものが欲しいというのなら、今度は教会側が理由を説明する番である。
私が考えてあげることではない。
午後のお茶を終えたころ、アルフレッドが一冊の薄い帳面を持ってやってきた。
「お嬢様。先日お申し付けいただいた件について、いくつか確認が取れました」
「あら」
私は膝の上で丸くなっていたモフの背中を撫でながら、顔を上げた。
「教会が、どうして私の土地を欲しがっているのか分かったの?」
「確定した、と申し上げるにはまだ早いかと存じます。ただ、少々気になることがございます」
「聞きますわ」
アルフレッドは向かいの席へ座り、帳面を開いた。
「まず、今回の教会建立についてですが、周辺住民からの要望を受けて始まったものではないようです」
「やっぱり?」
「はい。少なくとも、この土地の集落から新しい教会を求める申し出は確認できませんでした。現在の礼拝堂についても、特に問題は報告されておりません」
それは以前に聞いていた話と同じである。
小さいながら礼拝堂があり、司祭も一人いる。結婚や葬儀なども、これまでそこで行われてきた。
「では、誰が新しい教会を欲しがっているの?」
「教会側からの提案でございます」
「そう」
地域の人々が欲しいと言っているわけではない。
それなのに、地域の信仰生活のために必要だと言って、私の土地を欲しがっている。
少し順番がおかしい気がする。
「それから、もう一点ございます」
「何かしら」
「教会が新たな施設を建立する際、貴族から土地の寄進を受けること自体は、珍しいことではございません」
「昨日も、そのようなことをおっしゃっていたわね」
「はい。ただし、必ず寄進でなければならないという決まりはございません。土地を借りている例もございます」
私はモフを撫でていた手を止めた。
「あるの?」
「ございます」
「無償で?」
「無償の例もございます」
私はしばらくアルフレッドを見た。
アルフレッドも私を見る。
「では、昨日の提案で問題ありませんわね?」
「教会を建立し、礼拝の場として使用することだけを目的とするのであれば、前例のない条件ではございません」
「そうよね」
よかった。
私が何かとんでもなく非常識なことを言ったわけではなかったらしい。
もちろん、前例がなくても土地を差し上げるつもりはなかったけれど。
「それなのに、三度も寄進を求めてきたのね」
「左様でございます」
「昨日も、貸すと言ったのに持ち帰った」
「はい」
ますます分からない。
モフが私の膝の上で寝返りを打ったので、落ちないように抱き直した。
「ほかには?」
「今回の建立候補地について、教会内部でどのような検討が行われたのかまでは確認できておりません。ただ、少なくとも公爵家に対し、ほかの土地を正式に求めた記録はございませんでした」
「お父様の土地は?」
「求めておりません」
「私のところだけ?」
「現在確認できている限りでは」
それは、ずいぶん分かりやすい。
私は窓の外へ目を向けた。
湖の向こうには森が広がり、そのさらに先には山が見える。この土地は気に入っているけれど、教会を建てる場所として特別便利だとは思わない。
公爵領は広い。
街道に近く、もっと人が集まりやすい場所だってある。
それなのに、そちらは求めず、私のところへ三度も手紙を送ってきた。
「アルフレッド」
「はい」
「教会が欲しいのは、やっぱり教会を建てる場所ではありませんわね」
「その可能性は高くなったかと存じます」
「でも、何が欲しいのかは分からない」
「現時点では」
土地そのものが欲しい。
そこまでは分かった。
けれど、なぜ私の土地なのかは、まだ分からない。
セレイアがあるからなのか。
湖があるからなのか。
街道との位置関係なのか。
それとも、私の知らない別の理由があるのか。
今の段階で決めつけても仕方がない。
「もう少し調べられる?」
「もちろんでございます。ただ、教会内部の事情となりますと、多少お時間をいただくことになるかと」
「構いませんわ。急いでいませんもの」
向こうが土地を欲しがっているのであって、私が何かを欲しがっているわけではない。
待って困るのは私ではなかった。
「それと、昨日いらした方々からのお返事は?」
「まだ届いておりません」
「そう」
私は再び本を開いた。
「では、届いたら教えてちょうだい」
「かしこまりました」
アルフレッドが立ち上がりかけたところで、ふと思いついた。
「そうだわ」
「はい?」
「もし教会から、建物以外にも土地が必要だと言ってきたら、何に使うのか全部聞いてちょうだい」
「全部、でございますか?」
「ええ。庭なら庭、馬車置き場なら馬車置き場、司祭様のお住まいならお住まい。必要な広さも」
昨日は話を聞きながら答えたけれど、考えてみれば簡単なことだった。
「必要なものなら、お貸しすればいいでしょう?」
「左様でございますね」
「でも、何に使うのか分からない土地は貸しませんわ」
「承知いたしました」
アルフレッドが一礼する。
これでいい。
必要なら貸す。
必要でなければ貸さない。
まして、何に使うのかも分からない土地を、慣例だからという理由だけで差し上げるつもりはない。
アルフレッドが部屋を出ていったあと、私は本へ視線を戻した。
数行読んだところで、膝の上のモフが小さく鳴いた。
「きゅう」
「何?」
モフは顔を上げると、窓の外を見た。
つられて私もそちらを見る。
湖では、お父様が一人で釣りをしていた。
昨日から何度か挑戦しているけれど、まだ一匹も釣れていない。
「……今日も駄目そうね」
「きゅ」
「見に行きましょうか」
私は本を閉じ、モフを抱いて立ち上がった。
教会が何を欲しがっているのかは、アルフレッドが調べてくれる。
お父様が今日こそ魚を釣れるのかは、今すぐ見に行かなければ分からない。
今の私にとっては、そちらの方が重要だった。




