第23話 三通目の手紙
お父様と湖へ舟を出した翌日も、そのまた翌日も、別邸の時間は穏やかに流れていた。
朝は小鳥のさえずりで目を覚まし、焼きたてのパンと冷たい果実水をいただく。
日中は木陰の長椅子でモフを撫でながら昼寝をし、気が向けばお母様とお茶を飲みながら湖を眺める。
夕方には湖畔を散歩し、夜はぬるめの湯に浸かって早々に寝台へ潜り込む。
夏休みとは、こうあるべきだ。
誰の機嫌も取らず、何の義務にも追われない。
二度目の人生の贅沢をこれでもかと噛み締めていた、滞在六日目の午後だった。
「お嬢様」
居間で寛いでいた私の元へ、アルフレッドが静かにやってきた。
その手には、見覚えのある銀のトレイ。
そして、その上に載せられた白い封書。
立派な封蝋には、見慣れた教会の紋章が刻印されている。
「……またですの?」
思わず眉が寄った。
アルフレッドは表情一つ変えずに一礼する。
「はい。教会より、三通目の書状でございます」
「……」
私は静かに封書を受け取った。
一通目なら分かる。打診である。
二通目も、まあ分かる。一度断られたので、理由を補足してお願いしてきたのだろう。
だが、二通目に対して私は明確に断りを入れた。
その上で、「教会を建てる土地が必要なら、ローゼンバーグ公爵家へ相談してほしい」と、公爵家の本家へ話を振ったはずなのだ。
ペーパーナイフで封を切り、手紙を開く。
相変わらず長々とした時候の挨拶と神への賛辞を斜め読みし、本題へと視線を走らせる。
『先般のご回答につきまして、レティシア様のお考えは重々承知いたしました』
承知したのなら、話は終わりのはずである。
だが、文章はそこで途切れていなかった。
『しかしながら、当教会といたしましては、かの地こそが新たな祈りの場として最も相応しいものと考えております。つきましては、地域の信仰の発展のため、改めて土地のご提供についてご検討いただきたく――』
私は手紙を裏返した。
何もない。
もう一度、表面の文字を最初から最後まで丹念に追った。
「アルフレッド」
「はい」
「お父様の土地についての記述は?」
「触れられておりません」
「わたくし、新しい教会を建立する場所については、ローゼンバーグ公爵家へ相談していただくようお返事しましたわよね?」
「間違いなく、そのようにお伝えいたしました」
「……」
私は手紙を机の上へ置いた。
教会を建てたい。
土地が必要である。
だから、所有者である私へ土地を譲ってほしいと頼んできた。
ここまではいい。
けれど私は、「私の土地は出さない。土地が必要なら、外側にいくらでも土地を持っている公爵家へ相談してほしい」と返したのだ。
教会を建てる場所が欲しいだけなら、話は簡単である。
街道沿いには、平らで人が集まりやすい公爵家の土地がいくらでもある。教会の言う「より多くの人々が祈りを捧げられる場所」としては、山に囲まれた私の土地の奥深くよりも、街道沿いの平野部の方が遥かに適しているはずだ。
それなのに、この手紙はお父様の土地の話を完全に無視している。
代替地には一言も触れず、ただ「やはりレティシア様のあの土地が相応しい」と、私個人へ突き返してきた。
まるで――外側に広がる広大な土地など最初から目に入っておらず、別邸のある私の所有地でなければならないと言わんばかりに。
「アルフレッド」
「はい」
「この方々、教会を建てるための土地が欲しいのではありませんわね」
アルフレッドが、眼鏡の奥の目をわずかに細めた。
「と、申しますと?」
「わたくしの土地が欲しいのですわ」
教会を建てたいから土地を探しているのではない。
なぜかは分からないが、最初から「私の土地」を指定して欲しがっている。
理由は分からない。
けれど、ただ教会を建てたいだけなら、公爵家の土地の話を完全に無視する理由がない。
「アルフレッド」
「はい、お嬢様」
「調べてちょうだい」
「何をでございますか?」
「教会が、どうして私の土地を欲しがっているのか」
自分で調べるより、専門の知識と人手を持っているアルフレッドに頼んだ方が早くて確実だ。
「承知いたしました。至急、確認の手配をいたします」
「お願いね。……分かったら教えてちょうだい」
「かしこまりました」
指示は出した。
あとは結果を待てばいい。
「さて」
私は長椅子へ腰を下ろし、膝の上に飛び乗ってきたモフの背中を撫でた。
「では私は寝ます」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
アルフレッドの丁寧な返事を背中に聞きながら、私は目を閉じた。
理由が何であれ、大切にしている私の土地を、見ず知らずの相手に一片たりとも譲るつもりはない。
夏休みは、まだたっぷり残っている。
私は再び、穏やかな微睡みの中へと落ちていった。




