第22話 お断りと、二通目の手紙
翌朝、目を覚ました私は昨日と同じように急いで起きる理由がないことを確認すると、しばらく寝台の上でのんびりしてから朝食を取り、モフを連れて湖畔へ向かった。
今日も湖から吹く風は涼しく、木陰に置かれた長椅子は快適である。
昨日と違うところがあるとすれば、教会から届いた手紙が一通増えたくらいだ。
「お嬢様、昨日の教会からの書状につきまして」
長椅子へ腰を下ろしたところで、アルフレッドが静かに声をかけてきた。
「返信はどうなさいますか。まだ正式な要請ではなく、打診の段階ではございますが」
「お断りしてちょうだい」
モフの喉元を指先で撫でながら答えると、アルフレッドはいつもの無表情で頷いた。
「理由はいかがいたしましょう」
「大切に使っている土地ですので、お譲りできません。それで十分でしょう?」
「もう少し丁寧な言い回しに整えても?」
「内容が変わらなければ、お任せしますわ」
「承知いたしました」
これで終わりである。
土地を譲ってほしいと言われたので、譲らないと返事をした。それ以上でも、それ以下でもない。
私は持ってきた本を開いた。
今日は昨日より長く読もうと思っていたのだが、五頁ほど進んだところでモフが私の太腿へ頭を載せた。
温かい。
湖から吹いてくる風も気持ちいい。
やがて文字を追うのが面倒になり、私は本を閉じた。
せっかくの夏休みなのだから、眠いときには寝ればいいのである。
◇
それから三日後、予定通りお父様とお母様が別邸へ到着した。
「レティ、元気にしていたかい?」
「ええ、お父様。毎日よく寝ていますわ」
「それは何よりだ」
久しぶりに会った娘から聞く夏休みの報告として、それでいいのだろうか。
本人が満足そうなので、たぶんいいのだろう。
「まあ、本当に涼しいですわね。王都とは全然違うわ」
馬車を降りたお母様は、湖から吹いてくる風に髪を揺らしながら嬉しそうに辺りを見回した。
「レティ、少し日焼けしたかしら?」
「湖のそばにおりますから」
「ちゃんと帽子は被っている?」
「アリアに被せられております」
「それなら安心ね」
お母様は満足そうに頷いた。
荷物の整理は使用人たちに任せ、昼食は別邸のテラスで取ることになった。
湖を眺めながら冷たい果実水を飲み、料理人が用意してくれた食事を三人で楽しむ。お父様は学園で何か変わったことはなかったかと尋ね、お母様は王都で見つけた新しい菓子店の話をしてくれた。
モフは途中からお父様の隣へ移動し、撫でてもらって満足そうに目を細めている。
誰かの機嫌を取る必要もなく、社交のために話題を選ぶ必要もない。ただ家族で美味しいものを食べながら、思いついたことを話す。
こういう時間も、私が二度目の人生で欲しかったものの一つだった。
◇
両親が別邸へ来て二日ほど経った午後、私たちはテラスでお茶を飲んでいた。
お母様と私は冷たい果実茶を、お父様はいつもの紅茶を飲んでいる。モフは私の足元で寝転がり、ときどき尻尾だけを動かしていた。
そこへアルフレッドが一通の封書を持ってやってきた。
「お嬢様。教会より、再び書状が届いております」
「……またですの?」
思わず眉を寄せる。
先日の返事は、きちんと送ったはずである。
「教会から?」
お父様がティーカップを置いた。
「レティ宛てにかい?」
「ええ。先日、私の土地の一部を教会建立のために譲ってほしいと手紙が届きましたので、お断りしましたの」
「そんな話が来ていたのか」
「はい。もう終わったと思っておりましたけれど」
私はアルフレッドから封書を受け取り、封を切った。
前回と同じように、丁寧な挨拶と神への感謝、公爵家への祝福が続いている。そこを読み進めていくと、今回は前の手紙よりも詳しい説明が加えられていた。
この地域に暮らす者たちが、より豊かな信仰生活を送れるようにするため。
より多くの人々が祈りを捧げられる場所を設けるため。
そして、そのために私の厚意を賜りたい。
書かれていること自体は、もっともらしい。
けれど、一つ分からないことがある。
「アルフレッド。この集落には、礼拝堂がありましたわよね?」
「はい。以前から小規模な礼拝堂があり、司祭が一名常駐しております」
「何か困っているの?」
「私が確認している限りでは、礼拝や冠婚葬祭に支障があるという報告はございません。領民から新たな教会を求める要望も出ておりません」
「そう」
それなら、なおさら分からない。
新しい教会を建てること自体に、私が口を出すつもりはない。必要だというのなら、必要な場所へ建てればいい。
けれど、なぜ私の土地なのだろう。
「お父様」
「なんだい?」
「この土地の外に、教会を建てられる場所はございます?」
お父様は少し考えるように視線を上げたものの、すぐに頷いた。
「もちろんあるよ。街道の周辺にも森や平地はあるし、教会一つ建てる場所に困るような領地ではないね」
「そうですわよね」
私はもう一度、手紙へ目を落とした。
この土地は公爵領の中にあるけれど、十歳の誕生日にお父様から譲られた、私個人の所有地である。
外周の多くは山に囲まれているものの、街道が通る側は開けていて、その先にはお父様が所有する広大な土地が続いている。
新しい教会を建てたいというだけなら、場所はいくらでもあるらしい。
それなら、私が土地を手放す必要はない。
「アルフレッド。もう一度、お断りしてちょうだい」
「承知いたしました」
「新しい教会を建てることに異存はありませんけれど、私の土地を提供するつもりはありません、と。それから、建立する場所についてはローゼンバーグ公爵家へ相談していただけばよろしいのではないかしら」
「そのようにお伝えいたします」
お父様は黙ってやり取りを聞いていたが、私が手紙を畳むと小さく笑った。
「私の名前で断らなくていいのかい?」
「だって、私の土地ですもの」
「そうだったね」
お父様はそれだけ言うと、再び紅茶へ口をつけた。
自分の土地をどうするかは、自分で決める。
教会を建てる場所が必要なら、お父様と相談すればいい。
これで今度こそ、私がすることはなくなった。
「さて」
私は足元で寝ていたモフを抱き上げた。
「きゅ?」
「モフ、舟に乗りませんこと?」
「きゅう!」
「レティ、私も行こうかな」
お父様が楽しそうに立ち上がる。
「では、ご一緒しましょう。お母様は?」
「私はここで本を読んでいるわ。戻ったらお茶にしましょうね」
「はい」
教会への返事はアルフレッドに任せた。
土地を探すのも私の仕事ではないし、教会を建てるのも私の仕事ではない。
私は私の土地を譲らないと決めただけである。
それ以上することがないのなら、夏休みの続きを楽しめばいい。
そうして私は、お父様とモフを連れて湖へ向かった。




