第19話 中間試験と、例外の例外
学園最初の関門である中間試験は、三日間にわたって行われた。
試験中の教室には、ペンが紙を走る乾いた音だけが響いている。
数学。
これは問題ない。
前世でも家計を預かっていたし、今世では領地の収支報告を読む機会も多い。数字は、計算方法さえ間違えなければ答えが出る。
領地経営論。
これも問題ない。
十歳から実際に自分の領地を持ち、収入も支出も、人件費も修繕費も見てきた。
(……これ、実際にやっていますものね)
街道を整備した場合の費用と利益を求める問題を解きながら、そんなことを思う。
法学も同じだった。
次期公爵として、知らなければならないことは幼い頃から叩き込まれている。
土地の権利、契約、相続、商取引。
法律は知らなくても生きてはいけるが、知らなければ損をすることがある。
ならば覚える。
実に分かりやすい。
少々困ったのは歴史だった。
主要な出来事や制度の変化は覚えている。
街道が整備された理由。
交易制度が変更された背景。
戦争によって国境や税制がどう変わったのか。
そういう話なら、現在の制度にも繋がるので面白い。
しかし。
(……七十三年前の晩餐会で、第三席に座っていた方ですか)
知らない。
いや、習った。
習った覚えはある。
だが、まったく興味がなかった。
しばらく答案と睨み合ったあと、それらしい名前を書いて次へ進んだ。
そして――迎えた最終科目、西方交易公用語の筆記試験。
大問の三番。
『問三:主語の身分による敬意の度合いを考慮し、空欄に入る最も適切な語尾変化を選択しなさい』
(出ましたわね)
先日、図書室でユリウス様から教えていただいたところである。
主語が宮廷の上位者であるため、音を濁らせない語尾を選ぶ。
迷わず答えを書き入れた。
問題は、その次だった。
『問四:問三の語形に対し、主語が親族かつ私的な書簡である場合の例外変化を記述しなさい』
「…………」
ペン先が止まった。
(……知りませんわ)
例外の、さらに例外である。
普段なら何も考えずに話せる。
相手が親しい人なら、それに合わせた言葉が自然と口から出る。
なのに、正式な文法規則として書けと言われた途端、分からなくなる。
(こちら……だったかしら)
いや、違う気もする。
しかし、いつまでも一問に時間を使ってはいられない。
(……まあ、こちらで)
それらしい綴りを書き入れた。
こうして、私の初めての中間試験は幕を閉じた。
◇
数日後。
採点された答案が返ってきた。
「レティシア様、見てください!」
エミリー様が嬉しそうに答案を持ってきた。
「数学が、今までで一番よかったんです! 果樹園の収穫で考えたら、最後まで解けましたわ」
「まあ。よかったですわね」
「はい!」
ソフィア様も答案を手にしている。
「私も領地経営論が思っていたよりよくて。三人で勉強して正解でしたわね」
「本当ですわ」
私も自分の答案を順番に確認した。
数学、満点。
領地経営論、満点。
法学、満点。
このあたりは予定どおりだった。
歴史も十分に高い。
ただし、答案を見ると、ところどころ妙なところで点を落としている。
制度の変遷や戦争後の領地再編についてはほぼ正解しているのに、王族の婚姻や宮廷行事に関する細かな問題をいくつか間違えていた。
(……やはり、興味の差が出ましたわね)
自覚はある。
必要なところは覚えている。
面白いところも覚えている。
それ以外は――まあ、次はもう少し頑張ろう。
そして。
最後の答案を開く。
西方交易公用語。
悪い点ではない。
会話文の読解も、聞き取りを文章へ直す問題も、ほとんど間違えていなかった。
問題は文法である。
問三には丸がついている。
だが、問四。
例外の例外。
見事に赤い線が引かれていた。
「……会話なら、難なく通じますのに」
思わず呟くと、隣から答案を覗いたソフィア様が笑った。
「試験は会話ではございませんもの」
「ぐうの音も出ませんわね」
「でも、前より文法問題も解けていますわ」
「ユリウス様に教えていただいたところは正解していましたものね」
「ええ。理由が分かれば覚えられるのですけれど」
私は問四を見る。
「例外の、さらに例外まで覚えろと言われますと……」
「覚えるしかありませんわね」
「……そうですわね」
正論である。
諦めて復習しよう。
そう思ったところで。
「レティシア様!!」
勢いのある声が飛んできた。
振り返る。
ミレーヌ様だった。
「ご機嫌よう、ミレーヌ様。試験、お疲れ様でしたわね」
「そんなことより、聞きましたわよ!」
「何をですの?」
「図書室で、ユリウス様に勉強を教えていただいたって、本当ですか!?」
「ええ」
「やっぱり!」
「文法を一つ教えていただきましたわ」
「……一つ?」
「はい」
「それだけ?」
「それだけですわ」
ミレーヌ様が黙った。
何を想像していたのだろう。
「でも、ユリウス様に教えていただいたんでしょう!?」
「ええ。ちょうど近くを通りかかられたので」
「ずるいです!」
「……何がですの?」
やはり分からない。
以前から、ミレーヌ様は時折こうして男性が関わると妙な対抗心を燃やす。
本人なりに何か重要なことがあるのかもしれないが、私にはさっぱりだった。
そのとき、ミレーヌ様が手にしている答案が目に入った。
一番上は、西方交易公用語。
何気なく見えた点数に、私は目を瞬いた。
「まあ」
「な、何よ」
「ミレーヌ様、語学がお得意なのですね」
「え?」
ミレーヌ様まで目を瞬いた。
「とてもよい点数ですわ」
「そ、それは……まあ、得意ですけど」
私は自分の答案を持ち上げ、問四を示した。
「こちら、正解なさいました?」
「え? これ?」
ミレーヌ様が覗き込む。
「親族への私的な書簡でしょう? それなら文末の母音を重ねて親愛を示すのよ。正式な文書では使わないけど、私信ならこちら」
すらすらと答えが返ってきた。
「まあ」
「何?」
「分かりやすいですわ」
「……そう?」
「ええ。私、こういう文法の規則を覚えるのが苦手ですの」
答案を見れば、ミレーヌ様が適当に答えたわけではないことくらい分かる。
ほかの文法問題も、ほとんど正解していた。
「でしたら今度、教えていただけるかしら」
「…………え?」
「こちらの例外規定ですわ。ソフィア様にも教えていただいているのですけれど、得意な方が増えるなら心強いですもの」
「……私が?」
「ええ」
ミレーヌ様が自分を指差す。
「レティシア様に?」
「そうですわ」
「語学を?」
「先ほどから、そう申し上げておりますけれど」
「…………」
なぜそんなに驚くのだろう。
分からないことがある。
知っている人がいる。
ならば教えてもらえばいい。
ただそれだけの話。
しばらく固まっていたミレーヌ様は、やがて何を思ったのか、すっと背筋を伸ばした。
「……ふ、ふん!」
そして胸を張る。
「そこまで言うなら、教えて差し上げてもよろしくてよ!」
「まあ、助かりますわ」
「その代わり!」
「はい?」
「次の期末試験は、絶対に負けませんから!」
びしりと指を向けられた。
私は首を傾げる。
「……何の勝負ですの?」
「全部よ!!」
そう言い残すと、ミレーヌ様は答案を抱えて去っていった。
残された私たちは、その背中を見送る。
「……相変わらず、勢いのある方ですわね」
ソフィア様が呟いた。
「ええ」
私は自分の語学の答案へ目を戻した。
問四には、相変わらず赤い線が引かれている。
けれど。
「次は、教えていただけそうですわね」
語学を教えてくれる人が、一人増えた。
それはなかなか、ありがたいことだった。




