第13話 増える昼食の席と、遠くの鳴き声
演習の翌日。
心地よい筋肉痛をわずかに感じながら、私は朝の教室へ向かった。
昨晩はアリアに手際よく足をマッサージしてもらい、香草湯にゆっくりと浸かったおかげで、目覚めは実に爽快だった。
今日の髪型は、後ろで三つ編みにして毛先を丸めたシニヨンスタイル。
首元がすっきりして、読書や書き物をするには一番落ち着く。
教室に入り、自分の席へ腰を下ろして教科書を取り出していると、遠慮がちな足音が近づいてきた。
「あ、あの……レティシア様。ご機嫌よう」
顔を上げると、昨日の演習で同じ班だったエミリー様とソフィア様が、並んで立っていた。
エミリー様の手には、綺麗な刺繍入りの小袋が握られている。
「ご機嫌よう、エミリー様、ソフィア様。昨日はお疲れ様でしたわね。お身体は痛くならなくて?」
「はい! レティシア様が歩きやすいルートを選んでくださったおかげで、まったく平気でした」
「それで……その、昨日いただいた美味しいサンドイッチとお茶のお礼にと思いまして。我が家から送られてきた、領地の林檎を使った焼き菓子なのですが……お口に合えば嬉しいです」
差し出された小袋からは、ほんのりと甘酸っぱい果実とシナモンの香りがしていた。
公爵家の料理人が作る芸術品のような菓子も素晴らしいが、こうした地方の素朴な手作り菓子も、前世の小市民心がくすぐられて実に魅力的だ。
「まあ。お気遣いなさらなくてもよろしかったのに……ありがとうございます。午後のお茶の時間に、美味しくいただきますわね」
「喜んでいただけてよかったです……!」
二人はパッと顔を明るくし、嬉しそうに自席へと戻っていった。
昨日の今日できちんとお礼を用意してくるあたり、大変に行儀のよい、気持ちのいい方々である。
演習の協力関係から生まれた、実に清々しい一幕であった。
――これで一件落着、そう思っていた。
◇
そして昼休み。
私は昨日と同じく、中庭の噴水のそばにある、風通しのよい白塗りの丸テーブルに腰掛けていた。
今日のお弁当は、公爵家の料理長特製のキッシュである。
ベーコンとほうれん草、そして濃厚なチーズが香ばしく焼き上げられ、添えられた温かいポタージュスープからは湯気が立ち上っている。
「アリア、今日も素晴らしい仕上がりね」
「はい。料理長が、昨日の演習でお疲れのお嬢様のために、少し塩気を効かせたそうでございます」
さあ、至福の昼食を始めようとフォークを手にした、その時だった。
「あの……レティシア様」
控えめな声に顔を上げると、お弁当箱を抱えたエミリー様とソフィア様が、もじもじと立っていた。
「あら、エミリー様、ソフィア様。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、レティシア様。あの……もしご迷惑でなければ、ご一緒してもよろしいでしょうか……?」
二人は少し緊張したように、しかし期待の籠もった瞳でこちらを見つめている。
私としては、一人で食べるのも静かで好きだが、誰かと食べることを拒む理由もない。広々とした丸テーブルには、席がまだいくつも空いている。
「ええ、もちろん。どうぞ座ってくださいな」
「ありがとうございます……!」
ほっとしたように二人が向かいの席に腰を下ろす。
二人が広げたお弁当は、家庭的で色鮮やかなサンドイッチや果物だった。
「美味しそうなお弁当ですわね」
「母が持たせてくれたんです。レティシア様のお料理、とっても綺麗……!」
「キッシュというのです。よろしければ、一切れ召し上がってみる?」
「えっ、よろしいのですか……!?」
一切れずつ分けて差し上げると、二人は目を輝かせて頬張り、「美味しい……!」と感嘆の声を漏らした。
美味しいものを分け合って食べる。それだけで、他愛もない雑談が自然と弾んでいく。
すると、その穏やかな空気の中、遠くの校舎の方から――。
――キーーーーーッ!!
静かな中庭を切り裂くような、凄まじい甲高い悲鳴が響き渡った。
「…………っ!?」
エミリー様がフォークを止めて肩を跳ねさせた。
ソフィア様も目を丸くして、悲鳴の聞こえた方角を見つめている。
「な……何でしょう、今の音……?」
「鳥……かしら? でも、ずいぶん大きな鳴き声でしたわね……」
「ミレーヌ様ではないかしら」
「え?」
私がスープを一口すすりながら答えると、二人が揃って首を傾げた。
「オルコット様……ですか?」
「ええ。とてもお元気な方ですの」
「ずいぶん……肺活量のある方ですのね……」
二人は顔を見合わせた。
私はもう一口、温かいスープをいただいた。
その後もエミリー様が実家の果樹園の話をしてくれたり、ソフィア様が好きな物語の本の話をしてくれたりと、実に穏やかな時間が流れた。
(……学園というところは、思っていたより昼食を大勢でいただくものらしいわね)
私は温かい紅茶を飲みながら、ふんわりとそんなことを考えていた。
前世の小市民時代、会社の休憩室で派閥や人間関係に気を遣いながら食事をしていた身からすれば、誰も他人の悪口を言わず、美味しいお菓子や好きなことの話だけが飛び交うこの空間は、実に居心地がよかった。
◇
その日の放課後。
寄宿舎の居室へ戻ると、机の上にアルフレッドから届けられた、一通の封書が置かれていた。
「お嬢様、セレイア領の管理人より、春の月次報告書が届いております」
「まあ、待っていたわ」
私はモフを抱き上げ、ふかふかの膝の上に乗せると、封を解いた。
春のセレイアの開花状況。
群生地を傷めないよう決められた分量だけの花の収穫量。
乾燥させた花を街の工房へ納品した記録と、手作業で丁寧に花を摘んでくれた領民たちへ支払われた、割増の賃金総額。
そして――湖畔の古い別邸が、いつでも私が泊まりに行けるよう、管理人によって静かに清潔に保たれているという報告。
数字の並ぶ書類を指でなぞりながら、私は午前の授業で取ったノートを開いた。
担当教師の熱弁が思い出される。
――『領地経営とは、ただ規模を拡大することではない。領民の生活の安定と、固有の資源の価値をいかに適正に維持するかが肝要である』。
「ふふ……なるほどね」
無理に規模を広げず、景観と希少価値を守る。
あのとき自分なりに考えて決めたことが、今日の授業で聞いた話と綺麗に重なっていた。
セレイア領から上がる利益は十分すぎるほど確保され、領民の手取りも増え、私の大切な避難場所である別邸の静けさも守られている。実に気分のいい数字の並びだった。
「アリア、明日の放課後は図書室へ行ってみようかしら」
「図書室でございますか?」
「ええ。今日の講義で出た、街道整備と特産品の流通に関する専門書をもう少し詳しく読んでみたいの。手引きになるような本があるか探してみるわ」
「かしこまりました。帰りのお迎えの時間を調整いたしますね」
窓の外の夕焼けを眺めながら、私はモフの喉を鳴らした。
遠くの廊下の奥で、誰かが「今日はカイル様に訓練用のタオルを渡せたわ!」と誇らしげに語っている声がしたような気もしたが――。
まあ、あちらがあちらで青春の課題をこなしているなら、結構なことだ。
私は明日、図書室で街道整備の本を探さなくてはならない。
十二歳の学園生活というのも、なかなか忙しいものである。




