第11話 ヒロインの朝の挨拶
入学から二週間が過ぎた。
学園での生活リズムもすっかり落ち着き、私の毎朝の楽しみである「髪型選び」は、もはや欠かすことのできない日課となっていた。
「本日はどのようにいたしましょうか」
「そうね。今日は座学ばかりですもの。両脇の髪を少し取って、後ろで細いリボンで留めるハーフアップにしてもらえるかしら」
「かしこまりました。昨日の領地からの便りに同封されていた、淡い青紫色のリボンを使いましょう。セレイアの花の色によく似ております」
「まあ、素敵ね。それにしましょう」
手際よく結い上げられていく髪を鏡越しに眺める。
落ち着いていて、それでいて華やか。大変結構である。
身支度を整え、教科書を抱えたアリアを伴って寄宿舎の廊下へ出た。
そして――曲がり角を曲がったところで、予想通り、壁に背を預けて腕を組んでいる人物がいた。
ミレーヌ・オルコット嬢である。
「…………」
「ご機嫌よう、ミレーヌ様」
「……ハーフアップ」
「ええ。今日は実技もありませんので」
「縦ロールは……」
「今朝は少し寝坊をいたしましたの。あれは巻くのに手間がかかりますでしょう?」
「寝坊……! 悪役令嬢が寝坊で髪型を妥協するなんて……!」
彼女は頭を抱えて唸った。
毎朝のこのやり取りも、もはや点呼のようなものになりつつある。
ひとしきり天を仰いだあと、ミレーヌ嬢は咳払いをひとつして、居住まいを正した。
どこか居心地悪そうに視線を泳がせながら、小さな声で口を開く。
「……あの」
「はい?」
「昨日の、フィナンシェ」
「ええ」
「……美味しかったです」
「まあ。料理長に伝えておきますわ。喜ぶと思います」
「あ、アンタを褒めたわけじゃないんだからね! それとこれとは別ですから!」
急に声を張り上げ、ビシッとこちらへ指を突きつけてきた。
「お菓子をひとつもらったくらいで、私が懐くと思ったら大間違いよ! 私たちは敵同士なんですからね!」
「……そうでしたの?」
「キーーーッ!! そうに決まってるでしょーーーっ!!」
廊下に響き渡る絶叫。
朝から本当によく声が出る。肺活量が素晴らしい。
「いいこと!? 私は今日も忙しいんだから! 昨日はカイル様とユリウス様のフラグを回収したし、今日はアディエル殿下との中庭イベントをリベンジするの! アンタに構ってる暇なんてないんだからね!」
「まあ、それなら早く行かれませんと。予鈴が鳴ってしまいますわよ」
「言われなくても行くわよ! フンッ!」
踵を返し、桃色の髪を激しく揺らしながら走っていく。
後ろ姿を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
「元気で何よりですわねえ」
「左様でございますね、お嬢様」
アリアもすっかり慣れた様子で頷いている。
敵と言いながら毎朝わざわざ待ち伏せをして、お菓子の礼を言いに来るあたり、根は素直な子供なのだろう。
私は穏やかな気持ちで、午前の教室へと足を向けた。
◇
その日の昼休み。
ミレーヌは勝利の笑みを浮かべて中庭を闊歩していた。
(ふふん……完璧! 今日の殿下へのアプローチは完璧だったわ!)
噴水の前で書類を読んでいたアディエル殿下へ、落としたハンカチを拾って渡すというクラシックなイベントを発生させたのだ。
『あ、ありがとう。……君は、よく見かけるね』
『はい! ミレーヌ・オルコットと申します! 殿下のお役に立てて光栄です!』
『そうか。オルコット嬢、だったね。覚えたよ』
(名前を! 名前を覚えてくれた……!!)
入学当初は「騒ぎを起こした新入生」だったのが、ついに「名前を呼んでもらえる関係」へランクアップしたのだ。
ミレーヌの脳内では、好感度ゲージが急上昇していた。
「よしっ! この調子で午後はカイル様ね!」
スキップ混じりで廊下を歩いていると、掲示板の前に人だかりができているのが見えた。
「何かしら?」
近寄って人垣の隙間から覗き込むと、そこには羊皮紙に書かれた大きな告知が張り出されていた。
『春季学術調査演習 班分け発表』
「あっ……!」
ミレーヌは息を呑んだ。
春の学術調査演習。
学園の近郊にある広大な自然公園へ出向き、学年混成の小グループで課題の植物や鉱石を採取・調査する、学園の伝統行事である。
そして――ゲーム『君と咲く恋のドレス』における、最初の大型共同作業イベントだった。
(来た……! ここよ! ここで攻略対象と同じ班になって、吊り橋効果で一気に距離を縮めるの!)
必死に自分の名前を探す。
一年生、ミレーヌ・オルコット。
「あった! 第七班……!」
震える指先で、同じ班のメンバーを辿っていく。
三年生:カイル・フォン・ベルンシュタイン(騎士団長子息)
二年生:ユリウス・フォン・クライン(宰相子息)
一年生:ミレーヌ・オルコット
「きゃっ……!」
思わず口元を押さえた。
カイル様とユリウス様がいる。二人の攻略対象と同じ班になれるなんて、まさにヒロイン補正の賜物ではないか。
(やった……! 神様ありがとう! これで演習中に、私の家庭的で健気なところをアピールして、一気に好感度を荒稼ぎよ!)
歓喜に沸くミレーヌは、ふと気になって他の班の名簿に目を走らせた。
悪役令嬢レティシアの名前を探す。
「……あ、あった。第三班」
そこには、レティシアの名前と、見知らぬ女子生徒二名の名前が並んでいた。
(攻略対象が一人もいない……! 悪役令嬢イベントも発生しない班じゃない! ふふん、これで邪魔される心配もないわね!)
ミレーヌは意気揚々と拳を握りしめ、来るべき演習の日に向けて作戦を練り始めた。
◇
その頃。
私は寄宿舎の居室で、第三班の課題一覧に目を通していた。
「お嬢様、学術演習の班分けが発表されたそうでございますね」
お茶を淹れながらアリアが尋ねてくる。
「ええ。先ほど担任の先生から伺ったわ。同級生の令嬢お二人とご一緒よ。お二人とも物静かな方だから、揉め事も起きなさそうで安心したわ」
第一王子や高位貴族の令息たちと同じ班になどされたら、気を使って息が詰まる。
女性だけの班なら、余計な気兼ねもいらない。実に気楽で結構なことだ。
「アリア、演習地となる自然公園の資料はあるかしら」
「こちらに。アルフレッド様から届いた報告によりますと、歩道は整備されているものの、気候が変わりやすく、午後は少し冷え込むとのことです」
「そう。なら、歩きやすい靴と、軽くて風を通さない外套を一着手配してもらえるかしら。それから、折りたたみの携帯椅子も」
「かしこまりました。お茶の道具と、日持ちのする焼き菓子も用意いたしますか?」
「お願いね。午前中に手早く課題を終わらせて、昼休憩をゆっくり取りたいもの。班の方々のお茶菓子も、多めに持っていくとしましょう」
課題は指定された薬草のスケッチと採取。
効率よく回る段取りさえつけておけば、慌てる必要は微塵もない。
誰かが闘志を燃やしていることなど露知らず、私は膝の上で丸くなるモフの顎の下を撫でながら、演習の日の昼食メニューに思いを巡らせていた。




