隠蔽工作と、聖女の直感
「やっべーな、これ」
フィオナが去った後、俺は鏡の中の自分の首筋を見て冷や汗をかいた。
エルフレイデ様がつけた乱暴な紅い跡。その周囲だけが、フィオナの精密なヒールによって、まるでスポットライトを浴びたように白く輝き、強調されている。
これ、どう見ても『別の誰かが丁寧に手入れしました』って言ってるようなもんだ。エルフレイデ様が見たら、またあのビンタが飛んでくるぞ…
俺は慌ててベッドのシーツを剥ぎ取ると、それをローマの貴族か何かのように体に巻き付けた。首筋を完璧にガードし、あたかも全裸にシーツという、それはそれで変態度の高い格好で入り口を向く。
その直後だった。
カチリ、と結界が解ける冷徹な音が響く。
「カイル。何をしているのかしら、その…不審な格好は」
扉の向こうに立っていたのは、公務を終えたばかりのエルフレイデ様だった。
民衆の前で慈愛を振りまいてきたはずの彼女だが、その瞳は酷く淀んでいる。
手には、この前よりも一回り太いお仕置き用の魔導鞭が握られていた。
「聖女様、公務お疲れ様でした!いやぁ、今日は一段と冷えると思って、ちょっと最新のファッションを試してまして」
「嘘をおっしゃい。この部屋は常に魔法で適温に保たれているわ」
…。
エルフレイデ様はゆっくりと、獲物を追い詰める肉食獣のような足取りで俺に近づいてくる。
彼女の鼻先が、ピクリと動いた。
「それに…何かしら、この匂い。私の匂いじゃない…鼻につくほど上品で、小癪な癒やし手の香油の匂いがするのだけれど?」
「っ。い、いや、それはその…湿気対策で、神殿の清掃員が撒いたんじゃないですかね?」
「カイル…そのシーツを、解きなさい」
「いえ、今はちょっと、コンディションが悪くて…その」
「解・け・と・言っているのよ!!」
彼女の叫びと共に、魔導鞭が床を叩き、凄まじい衝撃波が俺の足元を揺らした。
前世で、締切直前に進捗を隠そうとしてブチギレた部長に詰め寄られた時と同じ…いや、それ以上のプレッシャー。
俺は諦めて、ゆっくりとシーツを首元からずらした。
「なっ…ぁ…っ!!」
俺の首筋を視界に入れた瞬間、エルフレイデ様の顔が、怒りと、そして言葉にできない屈辱でドス黒く染まった。
「これ!これは、何よ!!私が、私が一生懸命刻んだ『汚れ』を…誰が、誰がこんな風に、磨き上げるような真似をしたのよ!!」
彼女の手が、怒りでガタガタと震え出す。
フィオナの思惑通りだ。
彼女が残した丁寧な手入れは、エルフレイデ様にとって、自分の愛用している道具を勝手に他人に磨かれ、自分の痕跡をバカにされたのと同じ。
「答えて、カイル。誰よ。誰が、私の許可なく…貴方に触れたの?」
エルフレイデ様は鞭を捨て、両手で俺の顔を挟み込んだ。
キスをする流れでは、無い。
その爪が、俺の頬に食い込む。
彼女の瞳には、狂おしいほどの嫉妬と、そして二度と誰にも触らせないという歪んだ決意が、業火のように燃え盛っていた。
「ふん、いいわ。その、別の誰かの気配…今すぐ、私の『暴力』で上書きして、消し炭にしてあげるわよ…っ!」
…あ、これ、今日は定時退社どころか、命の予備が足りないやつだ…
俺の呟きは、再び始まった聖女様の、昨日よりも十倍激しい浄化の嵐にかき消されていった。




