流しの癒やし手と、新たな案件(ヒロイン)
「…あ、聖女様…ヒール、忘れてる…痛た」
静まり返った部屋で、俺は赤く腫れた頬をさすりながら呟いた。
仕事終わりのアフターケア(ヒール)こそ、この職場の唯一の福利厚生なのに。
エルフレイデ様、完全に怒りに任せて業務を丸投げ(放置)して行きやがったな。
自費、というか、自前で治すスキルはないし。これじゃ次のシフトまでに腫れが引かないぞ。上司の八つ当たりによる負傷を隠すのも、サンドバッグの務めなんだが…
俺がそんな社畜の悩みに浸っていた、その時だった。
ジャリっという足音と共に。
コンコン♪
扉の向こうから、エルフレイデ様の激しいノックとは対照的な、控えめで上品なノックの音が響いた。
ん?忘れ物か?それとも、あの聖女様が冷静になって戻ってきたのか?
「…どうぞ、開いてますよ。というか、結界を解かないと入れませんけど」
俺が声をかけると、カチリ、と耳慣れない魔力音がして、重厚な扉がゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは…
「あの、失礼します…ヒールは、要りませんか?」
「え?…流しのヒール売り?」
思わず、前世の流しのマッサージ師みたいな呼び方をしてしまった。
そこにいたのは、エルフレイデ様のような威圧的な金髪ではなく、どこか儚げな、夜の湖を思わせる深い藍色の髪をした少女だった。
法衣のデザインからして、彼女もまた神殿に仕える聖職者だろう。
だが、その瞳にはエルフレイデ様のような傲慢さはなく、むしろ獲物を狙う小動物のような、危うい熱が宿っている。
「私は、フィオナ。癒やし手、ヒーラーの末端を務めております、カイル様」
「俺の名前、知ってるんですか?」
「ええ…神殿中、いえ、聖女候補たち一部の間で、今、貴方の噂でもちきりですから…『どれだけ殴っても折れず、どれだけ注いでも壊れない、最高品質のゴミ箱』がいるって」
フィオナと名乗った少女は、音もなく部屋に入り込み、俺の目の前に立つ。
彼女の手が、俺の赤く腫れた頬にそっと触れる。
【ヒール】
エルフレイデ様の熱い指先とは違う、ひんやりとした、けれど体の芯まで染み通るような心地よい魔力。
「…あぁ…ひどい。聖女様ったら、こんなに強く打たれて…貴方のその、少し歪んだ頬さえ…愛おしいわ」
「いや、仕事ですから…それで、フィオナさん?あなたも、俺に『汚れ』をぶつけに来たんですか?」
フィオナは、柔らかく微笑んだ。
その微笑みは、エルフレイデ様の表の顔よりもずっと聖女らしいが、彼女が俺の胸板に耳を押し当てた瞬間、その本性が漏れ出す。
「私は、エルフレイデ様のように乱暴なことはいたしません…ただ、私の中に溜まった、この、どろどろとした慈愛の残滓を…貴方に、ゆっくりと、時間をかけて…飲んでいただきたいだけ」
彼女の呼吸が、一気に熱くなる。
俺は直感した。
エルフレイデ様がドSな激情型なら、このフィオナという少女は独占欲の強い、粘着質な依存型だ。
「あぁ…貴方の鼓動、素敵…私の魔法を、こんなに素直に受け入れてくれるなんて…聖女様が執着する理由が、わかった気がします」
「おいおい。俺、まだ前のシフトが終わったばかりなんですけど…残業代、ちゃんと出るんでしょうね?」
「ええ。私のすべてを、貴方に捧げることでお支払いいたしますわ」
フィオナの指が、俺の首筋に絡みつく。
新たな案件の到来。
どうやら俺のホワイトな隠居生活(監獄生活)は、ますます遠のいていくらしい。
「はぁ。まあ、いいですよ。それじゃあ、新規クライアントの『検品』から始めましょうか」




