表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステレス令嬢の華麗なる事情 〜婚約者と兄が恋人同士らしいので、全力で成立させます〜  作者: つるぎまる
始まりは一冊の本から

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/25

■番外編「最初に触れた本音」

番外編です。


本編より少し前、

“始まり”の話になります。


 それは、まだ婚約が正式に決まる少し前のことだった。


 王太子としての時間は、いつも決まっている。

 誰と会い、何を話し、どのように振る舞うか。

 すべてが“正しく”整えられている。


「殿下、この案で問題ございません」

「ええ、素晴らしいご判断です」


 並ぶ言葉は、どれも同じだ。


 肯定。

 賛辞。

 そして、否定の不在。


(……本当に、そうか?)


 書類に目を落とす。


 並んだ数字。

 整えられた文章。


 違和感はある。


 だが、それを口にする者はいない。


(誰も、言わない)


 言わないのか。

 言えないのか。


 どちらでも、同じことだった。


「……以上で、本日の報告を終えます」


 頭を下げ、側近たちは退出する。

 部屋に残るのは、静寂だけ。


 レオンハルトは、椅子にもたれた。


(分からないな)


 自分の判断が正しいのか。

 それとも。


(間違っているのか)


 誰も、教えてくれない。


 ──いや。


(教えては、くれない)


 それが、この立場だ。


 分かっている。

 分かっている、が。


「……」


 小さく息を吐く。

 視線を上げた、その先。


 扉の前に、一人の少女が立っていた。


「失礼いたします」


 淡々とした声。

 揺らぎのない立ち姿。


「公爵令嬢、アルセリア・フォン・ルーヴェンと申します」


 形式通りの挨拶。


 だが、その視線には。


(迷いがない)


「入ってもよろしいでしょうか」


 確認の言葉。

 だが、拒まれるとは思っていない声音。


「……ああ」


 思わず、そう答えていた。


 アルセリアは静かに室内へ入り、机の上の書類に視線を落とす。


「先ほどの案について、一点よろしいでしょうか」


 唐突だった。


「このままでは、損失が出ます」


 空気が、止まる。


「……何?」


 思わず聞き返す。


「三項目目の配分が不適切です」

 淡々と。

 感情を乗せることなく。


「このまま実行すれば、資源の消費が想定より二割増えます」


 指摘は、具体的で。

 明確だった。


 だが。


(誰も、それを言わなかった)


 レオンハルトは書類に視線を落とす。

 そして。


(……確かに)


 気づく。


 見えていなかった部分が、浮かび上がる。


「……なぜ、それを」


 言いかけて、止まる。


 “なぜ気づいた”ではない。

 “なぜ言った”だ。


 その問いに。


「必要だからです」


 アルセリアは、迷いなく答えた。


「殿下が誤った判断をなさるのは、損失ですので」


 そこに。

 遠慮はなかった。

 恐れも。

 媚びも。


 ただ。


(正しさ、だけがある)


 レオンハルトは、しばらく言葉を失った。


 そして。

 ふ、と小さく笑った。


「……そうか」


 初めてだった。


 誰かに、こうして。


(本当のことを言われたのは)


 胸の奥に、何かが落ちる。

 それは、不快ではなかった。


 むしろ。


(……心地いい)


 奇妙な感覚だった。


「他にもございますが」


 アルセリアは続ける。


「今の状態では、判断の精度が低いかと」


「……手厳しいな」


「事実ですので」


 即答。


 思わず、笑みが深くなる。


 そして、その時。

 レオンハルトは気づいた。


(この人は)


 自分を。


(王太子としてではなく)


(“一人の人間”として見ている)


 その事実に。

 胸の奥が、わずかに熱を帯びた。


 それは。


(手放したくない)


 そう思わせる種類の感情だった。


 ──数日後。


 再び、彼女と顔を合わせる。


 庭園の片隅。

 人気のない場所。


 書類を手にしたまま、思考に沈んでいた時だった。


「また、同じ箇所で止まっていらっしゃるのですね」


 声が、落ちる。

 顔を上げる。


 そこに、アルセリアがいた。


「……見ていたのか」


「視界に入っておりましたので」


 淡々とした返答。


「原因は三つです」


 間髪容れずに続く。


「一つ目は──」


 説明は簡潔で、無駄がない。

 逃げ道も、曖昧さもない。


 ただ、正確に。

 問題を、切り分けていく。


 そして。


「……以上です」


 言い切る。


 沈黙。


 レオンハルトは、しばらく動かなかった。


 やがて。


「……助かった」


 そう、呟く。


 本心だった。

 飾りではなく。

 形式でもなく。


 それに対して。


「そうですか」


 アルセリアは、わずかに頷くだけだった。


 その時。

 ふと。


「……非効率ですわね」


 小さく、零れる。


「この配置では、同じ問題を繰り返します」


 ほんの少しだけ。

 口調が、崩れる。


 完璧な令嬢ではない。


 ただの。


(……人だ)


 その瞬間。


 レオンハルトの中で、何かが変わった。


 明確な音もなく。

 劇的なきっかけもなく。


 ただ、静かに。


(ああ)


 理解する。


(俺は、この人が)


 好きなのだと。


 それは。

 あまりにも自然で。


 あまりにも、確かな感情だった。


 その日の帰り際だった。


 庭園を抜ける途中。


「……アルセリア」


 呼び止める。


 彼女は、わずかに足を止めて振り返った。


「何かしら」


 相変わらず、揺るがない声音。


 ほんの少しだけ。


 “素”に近い。


「もし」


 言葉を選ぶ。

 こんなふうに、迷うのは初めてだった。


「もし、俺が」


 一度、言葉が途切れる。


 だが。

 それでも、続けた。


「間違えた時は」


 視線が、まっすぐ向く。


「……教えてくれるか」


 静寂。

 ほんの、数秒。


 それはやけに長く感じられた。


 そして。


「当然ですわ」


 即答だった。


 迷いもなく。


 当然のように。


「殿下が誤るのは非効率ですもの」


 いつもの調子。


 その言葉は。

 どこまでも、真っ直ぐだった。


 レオンハルトは、小さく息を吐く。


 そして。


「……なら」


 ほんのわずかに、口元が緩む。


「ずっと、見ていてくれ」


 それは。


 願いに近い言葉だった。


 風が、止まる。


 アルセリアは、一瞬だけ目を瞬かせた。


「構いませんわ」


 返答は、変わらない。


「それが最適であるなら」


 それだけを残して、彼女は歩き出す。


 その背を見送りながら。


 レオンハルトは、静かに目を細めた。


(……約束だ)


 声には出さない。


 だが、その言葉は。

 確かに、胸の奥に残った。


 そして。


 その“約束”が。


 後に。


 彼自身を、縛るものになることを。


 まだ、誰も知らない。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


この時の言葉が、

今のすべてに繋がっています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ