第5話「届かない距離」
第5話です。
ここから、
“もう一人の認識”になります。
最初に、違和感を覚えたのは。
いつだっただろうか。
はっきりとは、思い出せない。
ただ。
確かにあった。
ほんの、わずかな変化。
***
「本日もお美しい、アルセリア」
いつも通りの言葉。
いつも通りの距離。
(……違う)
返ってくる微笑が、変わった。
正確には。
変わっていない。
だからこそ、分かる。
(遠い)
元々、近くはなかった。
今は、違う。
届かない。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに。
そこに、いない。
***
最近、彼女は変わった。
理由は、分からない。
だが確実に。
距離を詰めようとしている。
──自分ではない、誰かとの。
(……ヴァルク)
思い浮かぶ名前に、小さく息を吐く。
あいつは、昔からそうだ。
自然に隣に立つ。
無理をしない。
気づけば、そこにいる。
そして。
アルセリアも、それを拒まない。
拒まないどころか。
(……違う)
これは、偶然ではない。
(近づけようとしている)
自分と、ヴァルクを。
意図的に。
(……俺は、最初から選ばれていない)
胸の奥に落ちる結論は、驚くほど静かだった。
***
訓練場。
彼女が来た時。
正直に言えば。
嬉しかった。
珍しいことだったからではない。
ただ。
そこに来てくれたことが。
嬉しかった。
それだけだった。
「ちょうど兄もおりますし」
その一言で。
すべてが、変わった。
(……そうか)
理解する。
自分では、ない。
最初から。
目的は、別にあった。
***
腕を掴んだ時。
考えるより先に、体が動いていた。
「怪我はないか」
声が、わずかに揺れる。
返ってきたのは。
完璧な礼。
完璧な距離。
そして。
「ヴァルク、殿下にお礼を」
その言葉だった。
(……違うだろう)
思わず、そう言いかけて。
やめる。
言えるはずがない。
そんな立場では、ない。
***
そして。
今日。
「お二人の直接的なやり取りの機会を、増やすべきかと」
静かな声で。
彼女は、そう言った。
迷いなく。
躊躇なく。
まるで。
それが正しいと、信じているかのように。
(……俺は)
一瞬、言葉が出なかった。
何を言えばいいのか。
分からなかった。
(どうして)
その問いは。
声にならない。
代わりに出たのは。
「……その“関係”は、誰のためのものだ」
そんな、遠回りな言葉だった。
返ってきたのは。
「殿下にとって、有益であると判断いたしました」
迷いのない、答え。
正しい。
きっと。
彼女にとっては。
それが。
最も、正しい。
(……そうか)
それ以上、何も言えなかった。
言えば。
壊れてしまう気がした。
何が、とは分からない。
だが。
戻れなくなる気がした。
(……言えば、きっと)
壊れるのは。
この距離ではなく。
――彼女の中にある“前提”だ。
***
「……君は」
呼び止めた。
理由は、分からない。
ただ。
このままでは。
何かが、終わる気がした。
だが。
言葉は、続かない。
結局。
「……いや、何でもない」
そう言って。
視線を逸らすことしかできなかった。
***
扉が閉まる。
静寂が落ちる。
誰もいない室内。
残されたのは。
言えなかった言葉と。
届かなかった想いだけ。
(……いつからだ)
こんなにも。
遠くなったのは。
――いや。
違う。
最初から。
届く距離には、いなかったのかもしれない。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この時点で、
もう同じ場所には立っていません。
次話、
さらにズレていきます。




