■溺愛番外編⑧「甘さの被害者たち」
少し軽めのお話です。
それは。
特に理由のない、いつもの昼だった。
——はずだった。
***
「こちらの書類ですが」
「後で確認する」
淡々としたやり取り。
変わらない。
はずだった。
違う。
(……近い)
アルセリアは、冷静に認識する。
現在位置。
レオンハルトの隣。
距離。
ほぼ接触。
状態。
手を取られている。
(……固定)
問題はない。
むしろ。
最近の標準である。
「殿下」
「何だ」
「この状態での執務は、効率が低下する可能性が」
言い切る前に。
指先に、わずかに力が入る。
逃がさないように。
「問題ない」
即答。
迷いなし。
そして。
書類に目を落としたまま。
「お前がここにいる方が、効率がいい」
さらっと言う。
周囲の空気が、止まる。
誰も動かない。
音が消える。
沈黙。
完全停止。
「……は?」
誰かが、思わず声を漏らす。
だが。
当の本人は、気にしない。
レオンハルトは、淡々と仕事を続けている。
アルセリアも、頷く。
「……なるほど」
理解した。
「殿下の思考速度は、私との会話時に向上しますので」
冷静に分析。
「近距離維持は合理的です」
一拍。
「むしろ推奨される状態です」
言い切る。
沈黙。
数秒。
そして。
「……いやいやいや」
ヴァルクが、ついに声を上げた。
「何その結論」
「事実です」
即答。
「違うだろ絶対」
さらに即ツッコミ。
周囲の貴族たちが、遠巻きに見ている。
誰も近づかない。
明らかに。
巻き込まれたくない空気。
「……殿下」
別の騎士が、恐る恐る声をかける。
「報告を――」
「後だ」
即遮断。
視線すら向けない。
そのまま。
アルセリアの手を、軽く引く。
距離が、さらに近くなる。
当然のように。
「……今はこっちが優先だ」
静かな一言。
だが。
致命的だった。
沈黙。
誰も、何も言えない。
ヴァルクが、顔を覆う。
「……終わったな」
ぼそりと呟く。
「何がでしょう」
アルセリアが問う。
「全部だよ」
一拍。
「主に俺の精神が」
ため息。
そして。
「……もう誰も近寄らねえぞ」
その言葉の通り。
周囲の人間は、完全に距離を取っていた。
誰も。
関わろうとしない。
関われない。
レオンハルトは、それを確認し。
わずかに、満足そうに目を細めた。
そして。
当然のように。
アルセリアの手を、離さなかった。
その様子を見ていた誰もが。
理解する。
──あれは。
最初から。
近づいていい距離ではなかったのだと。
周囲の人たちはだいぶ大変そうです。
当人たちはいつも通りですが、見え方は変わってきました。




