■番外編②「逃がさない距離」
距離が一気に近づいた後のお話です。
最近。
アルセリアは、一つの事実に気づいていた。
(……逃げ場がない)
物理的な意味ではない。
もっと単純で。
もっと明確なこと。
***
「アルセリア」
呼ばれる。
振り返る。
その瞬間。
腕を取られた。
「……っ」
引かれる。
距離が、一気に詰まる。
背が、壁に触れる。
逃げ場が、消える。
(……逃走経路、完全封鎖)
「……殿下?」
見上げる。
近い。
視線が、合う。
逸らせない。
逸らさせない。
レオンハルトの手が、アルセリアの腕を押さえている。
強くはない。
だが。
逃げられる強さではない。
「最近」
低い声。
すぐ近くで、落ちる。
「前は、もっと避けていたはずだ」
(……観測)
アルセリアは、その言葉を受け止める。
「はい」
素直に答える。
「殿下といる時間に、慣れてきましたので」
その瞬間。
レオンハルトの目が、わずかに細くなる。
「……そうか」
短く、呟く。
だが。
手は、離れない。
むしろ。
ほんのわずかに、距離が詰まる。
「なら」
さらに、近い。
息が、触れる。
「遠慮はいらないな」
(……?)
意味を処理するより早く。
顎に、指が触れた。
軽く。
持ち上げられる。
「……っ」
視線が、固定される。
逃げられない。
逃がされない。
「今、どう思っている」
問い。
近すぎる距離で。
アルセリアは、息を整える。
(……逃げない)
今回は。
逃げない。
「……近い、です」
正直に言う。
「それで?」
間を置かず、返される。
逃げ道はない。
だが。
今は、それでいい。
「……嫌では、ありません」
言い切る。
その瞬間。
レオンハルトの指先が、わずかに止まる。
ほんの一瞬。
だが、確かに。
「……そうか」
低く、息を吐く。
そして。
そのまま。
アルセリアの頬に触れる。
指先だけで。
確かめるように。
なぞる。
「なら」
さらに一歩。
距離が、完全に消える。
「このままの方がいい」
囁くような声。
近い。
あまりにも。
だが。
アルセリアは、目を逸らさない。
「……はい」
小さく、答える。
その瞬間。
レオンハルトの手が、壁に触れる。
アルセリアのすぐ横。
完全に、囲まれる形。
逃げ場は、完全に消えた。
(……捕捉)
思考が浮かぶ。
だが。
それ以上に。
胸の奥が、わずかに熱い。
理由は——もう、分かる。
「……アルセリア」
名前を呼ばれる。
低く。
抑えた声。
だが。
明確に、感情がある。
「お前は」
一瞬。
言葉が止まる。
そして。
「本当に、逃げないな」
静かな確認。
アルセリアは、迷わない。
「……はい」
答える。
「殿下が、離さないので」
一拍。
沈黙。
そして。
レオンハルトが、わずかに笑う。
「……そうだな」
否定しない。
そのまま。
距離を、保ったまま。
見下ろす。
逃がさない距離で。
逃がさない視線で。
「だったら」
ほんのわずかに、声が低くなる。
「もう少し、慣れてもらう」
その宣言は。
穏やかで。
そして。
まったく、遠慮がなかった。
***
「……いや待て」
少し離れた場所から、声。
ヴァルクだった。
沈黙。
状況確認。
そして。
「……お前ら、何してんだ?」
率直すぎる問い。
アルセリアは、迷わず答える。
「距離の最適化です」
「違うだろ絶対」
即座に返る。
レオンハルトは、ようやく手を離す。
だが。
完全には離れない。
指先だけ。
軽く、触れたまま。
「問題ない」
「あるわ」
ヴァルクが、頭を抱える。
「いや、前より悪化してねえか?」
「改善だ」
「どこがだよ」
ため息。
そして。
「……もう知らん」
投げた。
だが。
去る前に、一言。
「……ほどほどにしろよ」
その言葉に。
レオンハルトは、ほんのわずかに笑う。
「善処はする」
そう言いながら。
指は、離れないままだった。
距離の定義が少しずつおかしくなっています。
殿下の方は、あまり戻す気はないようです。
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