番外編①「距離の再定義」
本編後、少しだけ距離の感覚が変わり始めた頃のお話です。
距離とは、測定可能なものだと思っていた。
物理的な数値。
位置関係。
接触の有無。
(……違う)
アルセリアは、静かに考える。
(これは、別の問題)
視線の先。
レオンハルトが、こちらを見ている。
その距離。
以前よりも、近い。
視線が、熱い。
まだ、触れていない。
(……未接触)
分類する。
胸の奥が、わずかに騒ぐ。
理由は、まだ分からない。
「アルセリア」
呼ばれる。
「はい」
返す。
いつも通り。
次の瞬間。
「……来い」
低く、短い声。
一拍。
「……離れている意味がない」
(……?)
指示の意図を処理する。
(接近要請)
アルセリアは、一歩近づく。
その瞬間。
腕を引かれた。
(……接触)
一瞬で、距離が消える。
「……っ」
思考が止まる。
視界が近い。
息が近い。
そして。
包まれる。
(……?)
処理が、追いつかない。
(これは)
腕。
背中。
体温。
(拘束?)
違う。
力は強くない。
だが——
逃がさないように、確かだ。
(……抱擁)
結論に至る。
しかし、理解が追いつかない。
わずかに。
抱きしめる力が、強くなる。
「……逃げるな」
低い声。
耳元で落ちる。
思考が、空白になる。
(……逃走の意思はない)
だが、言葉にならない。
「……殿下」
声が、わずかに揺れる。
自覚する。
(制御不安定)
一拍。
さらに、わずかに腕が締まる。
「……嫌か」
問い。
だがその声には。
わずかに、余裕がない。
アルセリアは、迷う。
(……嫌ではない)
それどころか。
(……落ち着く?)
初めての感覚。
「……問題ありません」
そう答える。
その瞬間。
「……それを言うな」
すぐ近くで、低く返る。
「……?」
「“問題ありません”じゃない」
一瞬、理解が遅れる。
「……どう表現すれば?」
本気で困る。
言葉が、見つからない。
沈黙。
そして。
レオンハルトが、小さく息を吐いた。
わずかに、額が触れる。
「……そのままでいい」
静かに言う。
一瞬。
思考が止まる。
(……そのまま)
つまり。
(分析不要)
それは、アルセリアにとって。
最も難しい指示だった。
目を閉じる。
考えるのを、やめる。
ただ。
そのまま。
体を預ける。
鼓動が、わずかに速い。
理由は、まだ定義できない。
だが。
不快ではない。
むしろ。
(……安心)
新しい分類。
数秒。
あるいは、それ以上。
時間の感覚が曖昧になる。
やがて。
レオンハルトが、ゆっくりと腕を離した。
距離が戻る。
だが。
完全には、戻らない。
「……慣れろ」
再び言う。
その声音は。
先ほどよりも、少しだけ柔らかい。
アルセリアは、小さく頷く。
「……はい」
その返答は。
ほんの少しだけ。
自然に近づいていた。
(……距離)
それはもう。
以前と同じ定義では、測れなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
まだ本人はあまり自覚していませんが、少しずつ変化が出てきています。
よろしければ、続きもお付き合いいただけると嬉しいです。




