EP 8
底辺アイドルの日常
ポポロ村の広場には、手作りの木箱――『みかん箱』と呼ぶらしい――がぽつんと置かれていた。
その上に立ち、泥のついた服をひらひらと揺らしながら、青い髪の少女が熱唱している。
「絶対無敵のスパチャアイドル! 五円が積もれば山となる! 御縁をちょーだい、キラキラ☆キラリ! 推しの生活、支えてちょーだい!」
ポンコツ人魚、リーザの営業活動(路上ライブ)だった。
観客は、通りすがりに温かい(哀れみの)視線を向ける農作業中のおばちゃん数人と、野良犬が一匹だけ。
スピーカーもマイクもない、完全なアカペラ。
だが。
(……やけによく響く声だ)
日課の見回りをしていた優太は、広場の端で足を止めた。
リーザの歌声は、物理的な音量以上に、奇妙なほど真っ直ぐ鼓膜を打つ。
戦術医療の観点から見れば、彼女は圧倒的な栄養失調状態だ。主食が『パンの耳』と『雑草』の体で、あんな肺活量と声帯の震えを維持できるはずがない。
(人魚族特有の共鳴器官か? ……妙だな。ただ歌を聞いているだけなのに、少し心拍数が上がっている)
優太は自身の首筋に指を当て、脈を測る。
錯覚ではない。疲労していたはずの筋肉に、微かな熱が巡っている。まるで、高純度のアドレナリンを極微量注射されたかのような、不思議な高揚感。
「ハイ! ハイ! スパチャよろしくぅ!」
最後の決めポーズと共に、リーザが木箱からピョンと飛び降り、手作りの『お賽銭箱』を観客(野良犬とおばちゃん)へ差し出す。
おばちゃんたちが苦笑いしながら、籠の中に大根や太陽芋を放り込んだ。
「ありがとうございますぅ! これで今夜は芋のフルコースです!」
「……相変わらず逞しい奴だ」
優太はため息をつきながら、彼女の元へ歩み寄った。
その姿を認めた瞬間、リーザの目が『¥(円)』の形に変わる。
「あっ! メロンパンの太客! 今日のステージ、いかがでしたか!? 魂、震えちゃいました!?」
「鼓膜は震えたな。近所迷惑だ」
冷たく返しつつ、優太はポケットに手を入れる。
空中のUIを密かに操作し、『100円ショップのレジ横にある、五円玉チョコ(大量パックからの一枚)』を1pで召喚。それを本物の硬貨のように、親指で弾いてお賽銭箱に投げ入れた。
チャリン。
「わぁっ! 黄金に輝く五円玉!……って、これ甘い匂いがします! 食べられるお金ですか!?」
『ピコンッ』
【善行:飢える芸術家へのパトロン行為により 2p 獲得しました】
(よし。これで16p)
優太は内心で算盤を弾きながら、目を輝かせるリーザを見下ろした。
「おい。お前、普段はパンの耳ばかり食ってるくせに、なんであんな無駄にエネルギーを消費するような真似をする。カロリーの無駄遣いだ。生存戦略として完全に間違っている」
医官としての純粋な疑問だった。
だが、リーザは五円チョコを大事そうにポケットにしまいながら、胸を張った。
「ユウタさん。それは、アイドルへの冒涜ですよ」
普段の図太い彼女からは想像もつかない、真剣な瞳だった。
「お腹が空いてるからって、下を向いてたら誰が笑ってくれますか? アイドルは、みんなに『元気』をあげるお仕事です。私が歌えば、畑仕事で疲れたおばちゃんも、迷子のワンちゃんも、ちょっぴり笑顔になるんです!」
リーザは、泥だらけの靴で地面をトンッと叩いた。
「私の声には、世界を救う力があるんですから! ……今はまだ、大根とお芋をもらうのが限界ですけど!」
最後はやっぱり食欲に負けているが、その言葉には一片の嘘もなかった。
優太は、リーザの真っ直ぐな視線を受け止め――小さく鼻で笑った。
「……バカバカしい。歌で世界が救えるなら、軍隊も医者もいらない」
「むっ! ユウタさんはリアリストすぎます! 今に見ててくださいよ、私の歌がポポロ村を、ううん、世界を救う日が絶対来ますから!」
プイッとそっぽを向くリーザを横目に、優太は背を向けた。
戦場において、音楽は傷を塞がない。歌声は銃弾を止めない。
それは、優太の生きてきた世界では絶対の真理だった。
だが。
(……まあ、悪くない響きだった)
自身の中に巡った微かな高揚感を思い出し、優太は歩き出す。
この『底辺アイドルの矜持』が、やがて来る絶望の戦場において、文字通り【村を救う最大の戦術兵器】として覚醒することを、今の優太はまだ知る由もなかった。




