EP 5
ポポロ亭の店主と男の会話
ポポロ村での初日、優太は「兵站の確保」という名目で、村で唯一の宿屋兼酒場『ポポロ亭』の扉を押した。
カラン、と古びたベルが鳴る。
店内には、香ばしい肉の焼ける匂いと、微かな紫煙が漂っていた。
「いらっしゃい……」
カウンターの奥から響いたその低い声に、優太の足がピタリと止まった。
黒をベースにした赤のジャケット。
長身で無駄のない筋肉を包んだその男は、カウンター越しに気怠げな視線を向けてきた。
口元には、異世界にあるはずのない紙巻きタバコ――『マルボロの赤』。
男はそれを深く吸い込むと、小皿に盛られた「角砂糖」を無造作に放り込み、ガリッと噛み砕いた。
(……なんだ、この男は)
優太の背筋を、強烈な悪寒が駆け抜けた。
剣を構えられたわけでも、殺気を放たれたわけでもない。
だが、その男の瞳の奥にある「虚無」は、優太がアメリカの銃撃戦で見た狂人や、実戦を潜り抜けた元SEALsの教官が極稀に見せる『死線の底』と同じ色をしていた。
男もまた、タバコを咥えたまま優太の目を見た。
ほんの一瞬。二人の視線が交差する。
「……メシか」
先に口を開いたのは、男の方だった。
「ああ。食えるものなら何でもいい」
優太は警戒を解かず、最も死角の少ないカウンターの端に腰を下ろした。
それきり、二人の間に会話はない。
男――龍魔呂は、無言でフライパンを振るう。
ガチャン、と無骨に出されたのは、厚切り肉のステーキと山盛りの温野菜だった。
見た目は粗野だが、火の通りは完璧だ。
優太は一口食べ、小さく息を吐いた。美味い。疲労した体に、塩分とタンパク質が染み渡っていく。
この村の兵站は、信用できる。
「……ごちそうさまでした。だが、あいにく今は無一文だ」
優太が完食して皿を押しやると、龍魔呂はタバコの灰を落としながら片眉を上げた。
「代わりに、皿洗いでも何でもする。労働で対価を払わせてくれ」
『ピコンッ』
(よし。善行ポイントの稼ぎ時だ)
優太の真の目的は、ポイントの獲得だった。
龍魔呂は何も言わず、顎で厨房の奥にある洗い場をしゃくった。
厨房に入った優太は、山積みになった鉄鍋や皿を見て、小さく舌打ちした。
魔獣の肉を焼いた脂だろうか。黒く焦げ付き、ベトベトになった油汚れは、この世界の粗悪な石鹸や水では到底落ちそうにない。
(効率が悪すぎる)
優太は迷わず、空中の電子ボードをタップした。
『検索:業務用強力油汚れクリーナー(水酸化ナトリウム・界面活性剤配合)』
『消費ポイント:2p。確定しますか?』
(確定だ)
優太の手の中に、地球の厨房でお馴染みの「強力業務用洗剤」のボトルが顕現した。
彼はゴム手袋(1p)を装着すると、頑固な焦げ付きがこびりついた魔獣用の大鍋に、緑色の液体を惜しげもなくスプレーした。
シュワワワワッ……!
化学反応の音が響く。
強アルカリ性の成分が、異世界の魔獣の脂を分子レベルで容赦なく分解していく。
あとは水で軽く流すだけだ。スポンジで撫でた瞬間、分厚い黒焦げの層が「ヌルッ」と滑り落ち、新品同様の銀色の地肌が輝いた。
「「「……っ!!?」」」
背後で、息を呑む音がした。
振り返ると、いつの間にか厨房の入り口に、龍魔呂と数人の村人たちが鈴なりになって固まっていた。
「お、おい……嘘だろ……」
「炎竜の脂がこびりついた『呪いの黒鍋』が、一瞬でピカピカに……!」
「あ、あの緑色の液体は何だ!? もしかして、伝説の『浄化のエリクサー』か!?」
村人たちが、優太が持っているプラスチックのボトルを神を崇めるような目で見つめている。
「……いや。ただの界面活性剤だ」
優太は冷静に訂正したが、誰も聞いていない。
「すげぇ! さすが村長を救った大魔法使い様だ!」と、厨房は謎の熱狂に包まれてしまった。
騒ぎの中、龍魔呂だけは冷静だった。
彼は洗いたての大鍋の表面を指でなぞり、その滑らかさを確かめる。
「……悪くない腕だ」
龍魔呂は、口元に微かな笑みを浮かべてタバコの煙を吐き出した。
「お前のメシも、悪くなかった」
優太も手袋を外し、短く応じる。
多くは語らない。だが、過酷な世界を生き抜くための「確実な仕事」を互いに認め合った瞬間だった。
『ピコンッ』
【善行:完璧な清掃と労働により 3p 獲得しました】
静かなるリアリストの医官と、死を呼ぶ過去を持つバーテンダー。
二人の男の奇妙な共犯関係は、こうして泡とともに始まった。




