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EP 8

無自覚ジゴロの流儀

夜のポポロ亭。

『BARの刻』を迎えた店内には、魔導蓄音機からショパンの『夜想曲ノクターン 第20番 嬰ハ短調 遺作』の美しくも物悲しい旋律が、静かに流れていた。

カウンターの奥。

赤黒いジャケットを羽織った鬼神・龍魔呂は、手元のグラスを布で無言で磨き上げている。その所作は洗練されており、静寂の中に氷がグラスに触れる微かな音だけが響く。

カラン……。

扉が開き、優太が疲労困憊の足取りで店内に入ってきた。

彼は一番端の席にドサリと座ると、軍用マッチでアメスピに火を点け、深々と紫煙を吐き出した。

「……おう、ヤブ医者。今日は遅いな」

龍魔呂が、優太の前に冷えたチェイサーを無造作に置く。

「……誰のせいだと思ってんだ、誰の」

優太は、殺意すら混じった目で龍魔呂を睨みつけた。

「いいか、龍魔呂。村の女どもは今、完全にイカれてる。あいつらがパチンコに狂ってるのはギャンブル依存症じゃねぇ。お前に貢いで『頭ポンポン』されるための、ただの『ホスト狂い』だ」

「ホスト狂い……。前にも言ってたな。俺にはさっぱり分からん」

龍魔呂は真鍮製のオイルライターをカチッと鳴らし、マルボロ赤に火を点けながら眉をひそめた。

優太がTCCCの専門用語を交えて『承認欲求と貢ぎのメカニズム』を説明しようとした、その時だった。

カラン、カラン、カラン……。

重苦しい足音と共に、ポポロ亭の扉が開いた。

そこに入ってきたのは、地獄の底から這い上がってきたような、三人のボロボロの女たちだった。

「……たつまろ、さん……っ」

先頭のキャルルは、目の下に真っ黒なクマを作り、自慢のウサギ耳は力なく垂れ下がっている。

続くルナは、神聖なエルフの衣がヨレヨレになり、髪もボサボサだ。

最後尾のキュララに至っては、天使の羽根が抜け落ち、スマホを握りしめる手は極度の寝不足でブルブルと震えている。

だが、彼女たちの目だけは、狂気に満ちた異常な光を放っていた。

ドンッ!!

三人はカウンターに、それぞれが命を削って手に入れた『戦利品』を力強く置いた。

「龍魔呂さん……これ……っ。特賞の『ドンペリニヨン・魔力入り』ですぅ……!」

「私からは……『超高級フルーツ盛り合わせ』よ……っ」

「私……リスナーから集めたスパチャで……『黄金のキャビア』……引いてきたよぉ……」

それは、かつての彼女たちなら絶対に手を出さない、ルナミスパーラーの超高額景品の数々だった。

彼女たちは、フラフラの体で龍魔呂を見上げ、あの『ご褒美(頭ポンポン)』を待つ犬のように、熱を帯びた瞳で彼をジッと見つめている。

「…………」

龍魔呂は、カウンターに置かれた豪華な景品と、限界を超えてボロボロになった三人の少女たちを、静かな目で見下ろした。

彼の『バイブル』であるドストエフスキーの『罪と罰』。そして、死を呼ぶ四番(DEATH4)としての『鬼の龍儀』。

第一の掟:カタギの者には手を出さない。

第二の掟:居る地域は守る対象。

(……俺が作った飯を食わずに、毎日こんなガラクタ(景品)ばかり持ってきやがる)

龍魔呂にとって、彼女たちは守るべき『カタギ(村の日常)』だ。

そのカタギが、身をすり減らしてこんな状態になっている。それは、彼の流儀において絶対に見過ごせない『エラー』だった。

龍魔呂は、手にしたマルボロを灰皿に押し付けた。

そして、カウンター越しに身を乗り出し、彼女たち三人の顔を真っ直ぐに見据えた。

「……お前たちが、毎日これをくれたおかげで。村の子供たちが、腹いっぱい菓子を食うことができた。……感謝している」

「あぁ……っ、龍魔呂、さん……っ!」

その低く甘い声に、三人の女たちの顔にパァッと歓喜の色が広がる。やはり自分たちの苦労は報われたのだと。

だが、龍魔呂はそこで言葉を切らず、かつてないほど真剣で、そして哀しげな瞳で彼女たちに告げた。

「だがな」

「……え?」

「お前たちが、こんなにボロボロになってまで……辛い目に遭うことは、俺の流儀ルールに反する」

龍魔呂は、大きく骨張った手を伸ばし、キャルル、ルナ、キュララの頭を、順番に、この上なく優しく撫でた(頭ポンポン)。

「俺は、お前たちに傷ついてほしくない」

静寂。

ショパンのノクターンだけが、切なく店内に響き渡る。

「…………っっっっ!!!!」

三人の少女の顔が、一瞬にして林檎のように真っ赤に染まった。

心臓の鼓動が、ルナミスパーラーの爆音よりも激しく早鐘を打つ。

(龍魔呂さんが……私のために、悲しんでくれている……っ!?)

(私たちが傷つくのを、見たくないって……ッ!!)

「ちょ、おま……バカッ!!」

端の席で見ていた優太が、持っていたアメスピを落として立ち上がった。

(ただでさえ狂ってる女に、そんな少女漫画のテンプレみたいなド直球のイケメン台詞を吐くな!! それは鎮静剤カウンセリングじゃない、火に油を注ぐ爆薬カンフルザイだ!!)

優太の危惧は、一秒と経たずに最悪の形で現実となった。

「龍魔呂さん……。ごめんなさい、私たち、龍魔呂さんを悲しませて……」

ルナが、ポロポロと涙をこぼしながら呟く。

「……でも、私たちがこんなに傷ついてるのって、そもそも何が原因なんだろう?」

キュララが、虚ろな目で問いかける。

「決まってますぅ……。私たちが傷つく元凶……。龍魔呂さんを悲しませる、絶対の悪……」

キャルルが、ゴクリと喉を鳴らす。

三人の女たちは、ゆっくりと顔を見合わせた。

その瞳から、ホスト狂いの熱情がスッと消え去り、代わりに……純度100%の『絶対的な殺意』が宿った。

「「「ルナミスパーラーだ」」」

彼女たちの出した結論は、極端にして完璧な物理的排除だった。

「行くわよ、キャルル、キュララ」

「うんっ! 龍魔呂さんの笑顔を取り戻すために!」

「リスナーのみんな! 今から害悪施設をぶっ壊す配信始めるよぉぉっ!!」

バーンッ!! と扉を勢いよく蹴り開け、三人の女たちは、疲労など完全に忘れ去ったかのような凄まじい魔力を全身から立ち昇らせながら、夜の村へと飛び出していった。

「……あいつら、どこ行くんだ?」

龍魔呂が不思議そうに首を傾げる。

「……お前の、その無自覚なジゴロのせいだ」

優太は、絶望的な顔で頭を抱えた。

「……俺たちの兵站が、お前のその甘い言葉一つで、今から物理的に吹き飛ぶんだよ!!」

ルナミス商人の陰謀も、確率論も。

すべてを物理と魔力で更地にする『極限の勘違いと殺意』が、今、放たれたのだった。

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