EP 6
静かなる医官の敗北
「キュキュキュキュイィィィィン!!」
「いっけぇぇぇぇっ! リーチ! 激アツだぁぁっ!」
鼓膜を破るような魔導電子音と、光の暴力が渦巻くルナミスパーラー・ポポロ支店。
優太は、耳を塞ぐことなく、G-SHOCKのタイマーをセットし、白衣のポケットから『行動心理学』のデータが記された戦術ノートを取り出した。
(患者数3名、重度の認知の歪み(ギャンブル依存症・ホスト狂い併発)。これより、ロジックによる心理的トリアージを開始する)
優太が最初にターゲットに定めたのは、最も金銭感覚がバグっている次期エルフの女王・ルナだった。
「おい、ルナ。少し耳を貸せ」
優太は、台のボタンを親の仇のように連打しているルナの肩を叩いた。
「なによユウタ! 今、タロウ様がトラックに轢かれそうな大事なリーチなのよ! 話しかけないで!」
「いいから液晶から目を離せ。……いいか、パチンコというのは『完全確率』だ。この台の大当たり確率は319分の1。お前がいくらボタンを強く叩こうが、台に念を送ろうが、レバーを引いた瞬間に結果(乱数)は決まっている。オカルトは存在しない」
優太はノートを開き、完璧なグラフ(大数の法則)を突きつけた。
「さらに言えば、胴元(店)が絶対に儲かるように『ボーダーライン(損益分岐点)』が設定されている。お前が打てば打つほど、期待値はマイナスに収束し、村の経済(兵站)は削られていくんだ」
論理的で、冷徹なまでの『真実』。
知能の高いエルフである彼女なら、この数字の暴力を理解し、正気に戻るはずだ。優太はそう確信していた。
だが。
「……期待値?」
ルナは、血走った美しい瞳で優太をギロリと睨み返した。
「バカ言わないで。私の『期待値』はね、龍魔呂さんが私に向かって微笑んでくれる確率のことよ!!」
「は……?」
「319分の1? 上等じゃない! 私の龍魔呂さんへの愛の力で、乱数ごとねじ伏せてみせるわぁぁぁっ!! いけぇぇ、タロウ様ぁぁぁっ!!」
ピカァァァァァッ!!
ルナの狂気的な執念(ボタン強打)に応えるように、液晶画面で建国者タロウがトラックに見事に撥ね飛ばされ、ルチアナが降臨した。
『キュインキュイン! 7・7・7! 大当たりぃぃぃッ!』
「うおおおおぉぉっ! 見たかユウタ! これが愛の力よぉぉっ!! これで龍魔呂さんに『最高級ブランデー』が貢げるわぁぁっ!!」
「……ッ」
優太の提示した大数の法則が、エルフのオカルト(愛)によって完全に物理破壊された瞬間だった。
(チッ……! 理屈(確率)じゃダメだ。心理学で攻める)
優太は気を取り直し、隣で魔導端末を片手に泣きながら台を打っている天使・キュララへと標的を変えた。
「キュララ。お前はもう銀玉(軍資金)が尽きかけてるだろ。今すぐやめろ」
「や、やめられないよぉ……! ここまで回したんだもん……っ! 次の10回転で絶対当たる気がするのぉ!」
「それが『コンコルド効果(サンクコストの罠)』だ」
優太はズバリと切り捨てた。
「これまでに投資した時間や金を取り戻そうとするあまり、さらに損失を拡大させる心理的バグだ。今ここでやめるのが、一番損失を最小限に抑える『撤退戦術』だ。損切りしろ」
「損切りぃ……?」
キュララが、純白の羽根を震わせながら優太を見上げた。
「これは損失じゃないよ……! 龍魔呂さんに貢ぐための、私の愛の『投資』だもん!! リスナーのみんな、お願い! 龍魔呂さんの『頭ポンポン』を獲得するために、私にスパチャ(軍資金)をぉぉっ!! 天井まで回すのぉぉっ!!」
『天使ちゃんの愛のために! 1万ゴルド寄付!』
『いけーっ! 限界まで回せぇ!』
魔導端末の画面に、狂ったリスナーからの投げ銭が滝のように流れ始める。
「……バカな。サンクコストを他人の金で無限に補填しやがっただと……!?」
優太の戦術ロジックが、またしても崩れ去る。
「ふふんっ! ユウタさん、いくら数字を並べても無駄ですよぉ!」
横から口を挟んできたのは、すでにドル箱のタワーを築き上げ、完全に「歌舞伎町の頂点に立つ女」の顔になったウサギ村長、キャルルだ。
「パチンコは愛! 龍魔呂さんへの想いの強さが、台の基盤に直接作用するんです! 私のウサギ耳の直感が、そう告げていますぅ!」
「基盤に作用するわけねぇだろ! ただの不正改造だそれは!!」
優太が思わず怒鳴るが、三人の女たちはもう誰も優太の言葉を聞いていなかった。
「「「龍魔呂さんのために、回せ回せぇぇぇっ!!」」」
狂気の合唱と共に、彼女たちは再びハンドルを握りしめ、液晶画面に釘付けになる。
「ぐへへ……確率論……。私のガムテープの回収率は、百パーセント……ぐへへ……」
足元では、リーザが完全に別の次元で銀玉を拾い続けている。
「…………」
優太は、両手をだらりと下げ、手にしていた『行動心理学』のノートをポロリと床に落とした。
『戦術的戦傷救護(TCCC)ハンドブック』にも。
『標準外科学』にも。
『グリーンベレー式戦闘技術』にも。
【ホストに狂ってオカルトを信じ始めた女たちを、正気に戻す方法】は、ただの一行も記されていなかった。
(……俺の、負けだ)
現代医学も、確率論も、冷徹な算盤も。
「推しへの愛」という非論理的なバグ(狂気)の前には、完全に無力だった。
「……あいつら、もう俺の手には負えん。外科手術(物理排除)の領域だ」
優太は、疲れ切った顔でパーラーの出口へと足を向けた。
これ以上ここにいれば、医官である自分の脳の細胞まで溶けてしまう。
「こうなったら、病原菌の発生源に直接対処させるしかねぇ……」
静かなる戦術医官は、ポポロ村に来て初めて、完璧な敗北感を味わいながら、赤いマルボロの煙を吹かしているであろう『元凶のジゴロ』の元へと、重い足取りで向かうのだった。




