EP 4
伝説の頭ポンポン(悪夢の始まり)
「……シュボッ」
ポポロ亭の裏口。
優太は、軍用マッチを擦って火を起こし、くわえていたタバコ――無添加の『アメリカン・スピリット』にゆっくりと火を点けた。
深く吸い込み、紫煙を空へ吐き出す。
SEALsの教官が言っていた。『タバコは現地民や現場の奴と仲良くなる最強のツールだ』と。
地獄に浸かって、その地獄を綺麗にするのが兵士(医官)の役目。だが今のポポロ村は、硝煙や血の匂いではなく、けたたましい電子音とギャンブルという『目に見えない泥沼』にズブズブと沈みかけている。
(……チッ。大数の法則も還元率も理解できない連中に、どうやってロジックを叩き込むか)
優太が頭を悩ませながら勝手口から店内へ戻ると、そこには優雅な空間が広がっていた。
静かに流れる魔導蓄音機のBGMは、J.S.バッハの『無伴奏チェロ組曲 第1番』。
昼の小料理屋としての仕込みの刻。
厨房に立つ190センチの長身、鬼神・龍魔呂は、赤と黒のジャケットの袖をまくり、真剣な眼差しで砥石に向かっていた。
シャッ……、シャッ……。
シャプトン刃の黒幕から始まり、最高峰の仕上砥(#8000)へと至る完璧な研ぎのルーティン。彼の手にあるのは、刃渡り330ミリの本焼き『柳刃包丁』だ。暗殺の凶器ではなく、あくまで極上の刺身を引くための神聖な刃である。
「……龍魔呂。少し相談が――」
優太が声をかけようとした、その時だった。
「た、たつまろさぁぁぁんっ!!」
カランカランッ! と勢いよくベルを鳴らし、ウサギ耳の村長・キャルルがポポロ亭に飛び込んできた。
その両腕には、彼女の小さな体には不釣り合いなほど巨大な、パステルカラーの箱がいくつも抱えられている。
「なんだ、騒々しい」
龍魔呂が柳刃包丁を置き、カスタム・レザーナイフロールの上にそっと休ませてから振り返る。
「えへへへっ! 見てくださいコレ! ルナミスパーラーで大連チャン(フィーバー)しちゃって! 景品の『超高級洋菓子セット』を全部もらってきちゃいました!」
キャルルは鼻息を荒くして、ドサリと箱をカウンターに置いた。
ビギナーズラック。ギャンブルにおいて最も恐ろしい『最初の成功体験』である。
「……お前まであの毒牙にかかったのか」
優太が額を押さえてため息をつくが、キャルルは全く気にしていない。
「私、甘いものも好きですけど、こんなにたくさん食べきれないから……。いつも美味しいご飯を作ってくれる龍魔呂さんに、プレゼントです!」
キャルルは、上目遣いでえへへと笑いながら龍魔呂を見上げた。
龍魔呂は、積まれた高級菓子の箱と、泥と汗にまみれながらも嬉しそうに笑うウサギの少女を交互に見た。
彼には『無自覚な天然ジゴロ』という、ある種の呪いのような性質がある。
彼自身は全くその気はないのだが、その一挙手一投足が、劇薬のように女の心臓を撃ち抜いてしまうのだ。
「……そうか」
龍魔呂は、手拭いで丁寧に手を拭くと、カウンター越しに長い腕を伸ばした。
そして、キャルルの頭の上に、その大きく無骨な手をそっと乗せた。
ポン、ポン。
「助かる。……村の子供たちにやろう。お前のおかげで、あいつらも喜ぶ」
深く、低く、どこまでも優しい声。
そして、頭を撫でるその手の温もり。
「あ…………っ」
その瞬間、キャルルの脳内で、致死量の化学反応が発生した。
パチンコでの大当たりの強烈な脳汁。
そして、龍魔呂からの優しさと承認欲求が満たされた快感。
その二つが、キャルルの純粋な精神の中で、最も最悪な形で『結合』してしまったのだ。
キャルルの瞳孔がカッと開き、ウサギ耳がピンッと限界まで直立する。
(パ、パチンコで勝てば……高級なお菓子がもらえる)
(そのお菓子を渡せば……龍魔呂さんに、頭を撫でて褒めてもらえる……っ!)
(しかも、子供たちも喜んで……村のためになる!!)
パチンコ = 龍魔呂さんの笑顔 = 村の平和。
完全にイカれた三段論法が、キャルルの脳内に真理として刻み込まれた。
「わ、私……っ! もっと、もっと村のために(龍魔呂さんのために)頑張ってきますぅぅぅっ!!」
キャルルは顔を真っ赤にして叫ぶと、弾かれたようにポポロ亭を飛び出していった。
その目は完全に『推し(ホスト)に貢ぐことを決意した女』のそれだった。
「……あいつ、何で泣きそうになって走って行ったんだ?」
龍魔呂が不思議そうに首を傾げ、傍らに置いてあった真鍮製のオイルライターを手に取る。カチッ、と重厚な音を立てて火を点け、マルボロを吹かした。
「……お前、自分が何をしたか分かってないのか」
カウンターの隅でその一部始終を見ていた優太は、戦術医療(TCCC)の限界を悟り、絶望的な顔で天を仰いだ。
「ドーパミンの過剰分泌に、恋愛感情という非論理的なバグ(承認欲求)を上書きしやがった。……あれはもう、ただのギャンブル依存症じゃない。歌舞伎町でよく見る『ホスト狂い』の初期症状だぞ」
「ホスト狂い? なんだそれは」
「お前が元凶なんだよ、天然ジゴロが!」
優太の叫びは、バッハの優雅なチェロの音色に虚しく吸い込まれていった。
外からは、ルナミスパーラーの狂ったような「キュインキュイィィン!!」という音が鳴り響いている。
だが、本当の地獄はこれからだ。
この『お菓子を渡せば龍魔呂に頭をポンポンされる』という情報が、エルフや天使といった規格外の力を持つヒロインたちに伝わった時……ポポロ村は、パチンコという枠を超えた、底なしの狂気に包まれることになる。




