EP 7
忍び寄る「視えざる敵」
伝説の暴食呪文『豚神屋(二郎系)』によって完全に胃袋を掌握された翌朝。
ポポロ村の端にある空き小屋で、行商人に偽装した三人のスパイたちは、予定外の事態に直面していた。
「……ハァ、ハァ……ッ」
アバロンの幻術使い、メフィストが、荒い息を吐きながら床に倒れ伏していた。
彼の青白い肌には、不気味な赤い発疹が無数に浮かび上がり、全身が異常な高熱に焼かれている。
「おい、メフィスト! しっかりしろ! ……まさか、昨夜の飯に遅効性の毒が!?」
レオンハートのガロが、慌てて抱き起こそうとする。
「いや……違う。毒殺なら、我々全員に症状が出ているはずだ。それにこの発疹の広がり方、何かの『呪い』か……?」
ルナミスのシャドウが、警戒しながら周囲を探る。
「……違う。これは、呪いでも毒でもない……」
メフィストが、掠れた声で呻いた。
「アバロンの南部の沼地で、一度だけ見たことがある……。魔力を持たない『見えない蟲(病魔)』が、血の中に侵入して体を食い破る、死の奇病だ……ッ」
風土病。あるいは未知のウイルス感染症。
大国のエリートスパイとしてあらゆる毒や拷問への耐性訓練を積んできた彼らも、自然界の『未知の病原菌』に対する免疫までは持ち合わせていなかった。
「どうしました!? 大丈夫ですか!」
そこへ、偶然小屋の近くを通りかかったキャルルが、メフィストの苦しむ声を聞きつけて飛び込んできた。
彼女の背後には、心配そうに覗き込むリーザの姿もある。
(し、しまった……! 村長に見つかった!)
シャドウが焦るが、もはや逃げる余裕はない。
「ひどい熱……! それにこの赤い斑点。すぐに治療します!」
キャルルは、相手が素性の知れない行商人であるにもかかわらず、一切の躊躇なくメフィストのそばに膝をつき、両手をかざした。
「『癒やしの光』……!」
キャルルの手から、温かい魔力の光が溢れ、メフィストの身体を包み込む。
(……おお。なんという慈愛。敵国かもしれない余所者のために、貴重な魔力を惜しみなく使うというのか……)
ガロが、キャルルの優しさに胸を打たれ、感極まって涙ぐむ。
だが。
魔法の光が収まった直後。
「ガハッ……! ゲホッ、ゴホォォォッ!!」
メフィストが、先ほどよりも激しく血を吐き、全身を痙攣させ始めた。
赤い発疹は消えるどころか、むしろ勢いを増して彼の首筋まで広がっていく。
「えっ……? う、嘘。どうして……ヒールが効かないの……!?」
キャルルが青ざめ、さらに強い魔力を注ぎ込もうとする。
「だめです、キャルルちゃん! なんだか、メフィストさんの顔色、もっと悪くなってますぅ!」
リーザが慌ててキャルルの腕を引くが、キャルルは首を横に振った。
「私が治さなきゃ……! このままじゃ、この人が死んじゃう!」
トラウマがキャルルを駆り立てる。彼女は自身の体力を削り、魔力枯渇の頭痛に顔を歪めながらも、決死の覚悟でヒールの出力を最大まで引き上げようとした。
「そこまでだ、アホウサギ。お前まで死ぬぞ」
ガシッ。
背後から伸びてきた力強い手が、キャルルの肩を強引に掴んで引き剥がした。
「……ユウタ、さん……! でも、私の魔法が効かなくて!」
現れた優太は、すでに口元を白い不織布マスクで覆い、両手にはゴム手袋を装着していた。
「当然だ。回復魔法ってのは、細胞の分裂(再生)を異常に加速させるものだろ」
優太は、冷徹な目で倒れ伏すメフィストを観察しながら、戦術医官としての『事実』を告げる。
「もし患者の体内に『ウイルス』や『細菌』が入り込んでいた場合……ヒールで細胞を活性化させれば、病原菌に『新鮮なエサ(細胞)』を大量に与えて、逆に爆発的に増殖させるだけだ。魔法じゃ、感染症は治せない」
優太の言葉に、スパイたちは息を呑んだ。
(ば、馬鹿な……! 魔力を持たない微小な外敵の存在など、三大国の宮廷魔術師ですら数人しか提唱していない最先端の理論だぞ!)
(この男……一瞬で病の正体を見抜き、魔法の致命的な欠陥まで完全に理解しているというのか!)
「ユウタさん、じゃあこの人は……」
「下がってろ。飛沫感染のリスクがある」
優太は、自分のポケットから予備のマスクを数枚取り出し、キャルル、リーザ、そして立ち尽くしているシャドウとガロの顔面へ無造作に投げつけた。
「それを口と鼻に当てろ。……今からここは、隔離病棟に指定する」
優太は、メフィストのそばにしゃがみ込み、首筋に指を当てて脈拍とリンパの腫れを確認する。
「高熱、発疹、頻脈。重度の急性感染症だ。……この世界の人間には抗体がないかもしれんが」
優太は、空中に半透明の電子ボードを呼び出した。
(魔獣や呪いじゃない。相手はただの『視えざる敵』だ)
(俺の戦術ロジック(現代医学)が、一番輝く戦場に過ぎない)
「……待ってろ。俺の兵站(病院)で、患者は絶対に死なせない」
静かなる医官の瞳に、絶対的な自信と冷酷なまでの合理性が宿る。
大国のスパイたちは、その圧倒的な「医療従事者としてのプレッシャー」の前に、ただマスクを握りしめて立ち尽くすことしかできなかった。




