EP 6
ポポロ亭の「ニンニクマシマシ」
屋根裏での「全世界デジタル処刑」から数時間後。
すっかり日の落ちたポポロ村で、三大国のエリートスパイたちは物理的にも精神的にも限界を迎えていた。
(……腹が、減った)
ルナミスの暗殺者シャドウが、虚ろな目で腹を押さえる。
(無理もない。我々は潜入して以来、極度の緊張と恐怖で水一滴すら喉を通っていないのだからな……)
アバロンの幻術使いメフィストが、やつれた頬を掻く。
(このままでは、餓死するか、精神崩壊するかの二択だ。……ええい、背に腹は代えられん。あの『酒場』に潜入し、兵糧の確保と内部偵察を同時に行うぞ!)
レオンハートの獣人ガロが、悲壮な決意で提案した。
三人はメフィストの高度な幻術によって「しがない行商人」の姿に偽装すると、震える足で村の中心にある唯一の酒場――『ポポロ亭』の扉を押し開けた。
カラン、と古びたベルが鳴る。
店内は、復興作業を終えた村人たちで賑わっていた。
「……いらっしゃい。空いてる席へどうぞ」
カウンターの奥から響いた、地を這うような低い声。
スパイ三人の背筋が、一瞬で凍りついた。
厨房に立っていたのは、赤と黒のジャケットを着た長身の男。
伝説の殺人鬼【DEATH4】こと、龍魔呂だった。
彼は口に咥えたマルボロの煙を細く吐き出しながら、巨大な鉄鍋で何かを煮込んでいる。
(ひぃぃぃッ! ほ、本物だ……!)
(あの手つき……ただ鍋をかき混ぜているだけなのに、対象の急所を的確に抉る暗殺者の動きだ!)
(目を合わせるな! 殺されるぞ!)
三人はガタガタと震えながら、一番目立たない部屋の隅のテーブル席に身を縮めて座った。
「……注文は?」
龍魔呂が、冷徹な視線を向けてくる。
「あ、あ、あの……! な、何でもいいです! 適当に、腹にたまるものを……!」
シャドウが裏返った声で叫ぶと、龍魔呂は「……分かった」とだけ短く応じ、再び厨房の奥へと消えた。
それから数分後。
ドンッ!!
三人の目の前に、凄まじい衝撃音と共に『それ』が置かれた。
「本日の気まぐれ裏メニュー。……ルナミス帝国の裏路地発祥、伝説の暴食呪文『豚神屋(二郎系)』インスパイアだ。食え」
スパイたちは、目の前の光景に息を呑み、そして絶望した。
それは、もはやラーメンという概念を超越した『暴力の塊』だった。
洗面器のような巨大な丼。
その上に、雪山のように高くうず高く積まれたモヤシとキャベツ。
側面には、分厚い魔獣の肉が岩石のように張り付き、頂上には……親の仇のように盛られた、強烈な刺激臭を放つ『刻み生ニンニク』と『背脂』の雪崩。
「ニンニクマシマシ、ヤサイアブラカラメだ」
龍魔呂が、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべて言い放つ。
(ば、馬鹿な……! なんだこの致死量のニンニクと脂は!?)
ガロが、獣人の敏感な嗅覚を刺激され、涙目で鼻を押さえる。
(これは……食事ではない。我々の胃袋を物理的に破裂させるための『生体爆弾(拷問器具)』だ!)
メフィストが、青ざめた顔でブルブルと首を振る。
(くそっ……! 幻術で偽装しているとはいえ、よそ者の我々をすでに怪しんでいるんだ! 『これを食えなければスパイとみなして殺す』という、無言の圧力……ッ!)
シャドウが、冷や汗を滝のように流しながら推理(深読み)を完了させる。
逃げ場はない。カウンターの端では、あの恐怖の指導者ナカムラ・ユウタが、コーヒーを飲みながらこちらをチラチラと観察している(※ただ「よく食べる客だな」と思っているだけ)。
(……食うしかない。国家のために!)
決死の覚悟を決めたガロが、震える手で箸を握りしめ、雪山を掻き分けて、極太の麺を強引に引きずり出した。
そして、目をギュッと閉じ、毒を仰ぐ覚悟で一気に啜り込んだ。
ズズズズズズッ!!!
「…………あ?」
ガロの動きが、ピタリと止まった。
(……な、なんだこれは)
脳髄を直接殴りつけるような、強烈な豚骨と醤油の旨味。
ワシワシとした極太麺が、濃厚なスープと背脂を完璧に絡め取り、口の中で爆発的なカロリーの協奏曲を奏でている。
そして、山盛りのニンニクが、極限まで疲労したスパイの身体に、雷のような『活力』を強制的に叩き込んでいく。
「お、おい、ガロ! 大丈夫か!? 毒でも入って――」
「……う、美味い……ッ!! なんだこれ、美味すぎるぞぉぉぉぉッ!!」
ガロは、獣人の本能を完全に剥き出しにし、狂ったように麺を啜り、肉を貪り始めた。
「うおォォン!」と雄叫びを上げながら、丼に顔を突っ込まんばかりの勢いで食い進める。
その異常なまでの食いつきっぷりに、シャドウとメフィストも恐る恐る箸を伸ばした。
ズズッ……。
「……ッ!!?」
「な、なんて、破壊的で……圧倒的な美味さだ……!!」
数日間の極度のストレスと空腹。
そこに叩き込まれた、超特濃の高カロリー食(二郎系)。
エリートスパイたちの理性を吹き飛ばすには、それだけで十分すぎた。
「はぐっ、むぐっ……! 肉が、肉が口の中で溶けるゥッ!」
「ニンニクが、ニンニクが俺の魔力を燃え上がらせるゥゥッ!! スープ完飲(完飲)だァァァッ!」
彼らは、顔を脂と汗でテカテカに光らせながら、涙を流して『豚神屋』を無心で胃袋へと流し込んでいった。
祖国への忠誠も、スパイとしての誇りも、圧倒的な旨味とカロリーの前には無力だった。
「ふぅ……。食いっぷりのいい客は嫌いじゃねぇ」
厨房で、龍魔呂がマルボロの煙を吐き出しながら、満足そうに頷く。
「……あんなカロリー爆弾、よく平気で食えるな。後で胃薬でも出しておくか」
カウンターの端で、優太が呆れたように呟く。
およそ十分後。
テーブルには、スープ一滴残らず空になった三つの巨大な丼が転がっていた。
「……ふぅ。……負けたよ」
腹をパンパンに膨らませたシャドウが、天井を見上げながら、憑き物が落ちたような顔で呟いた。
「ああ。こんな美味い飯を作る国に……勝てるわけがない」
ガロが、幸せそうな顔でゲップをする。
「……我がアバロンの宮廷料理など、この一杯の前にはただの残飯だ。俺はもう……ここから帰りたくない」
メフィストが、涙ぐみながら腹をさする。
三大国が誇る最強のエリートスパイたち。
彼らは、ポポロ村の軍事力でも、経済力でもなく。
一人の殺人鬼が気まぐれに作った『一杯のラーメン』によって、その胃袋と忠誠心を完全に(そしてあっさりと)掌握されてしまったのだった。




