第二章 未知の病魔と、静かなる医官の真骨頂
「男たちの夜明けと、赤いマルボロ」
死王蟻型が蒸発し、夜空を埋め尽くした死蟲の羽音が消えてから数時間。
ポポロ村に、白々と、しかし確かな光を伴った朝が訪れようとしていた。
村の広場は、抉れた石畳と、熱線でガラス化した砂が混じり合い、壮絶な決戦の爪痕を残している。
だが、その中心にあった絶望の重圧は、今はもうない。
「……はぁぁぁ……。生きてるな、俺様」
破壊された防壁の残骸に腰を下ろし、イグニスが朝日に向かって大きく伸びをした。
全身の鱗は煤け、自慢の翼も所々が焦げているが、その瞳には力が戻っている。
「……ああ。お前が三脚として優秀だったおかげだ」
その隣で、泥だらけのジーンズを投げ出して座り込んでいるのは優太だ。
彼は、包帯を巻いた右手をそっとさすった。龍魔呂の暴走を止める際に負った火傷は、キャルルの応急的な治癒魔法と自身の処置で、なんとか激痛のピークを越えている。
そして、二人の背後。
強化アーマーをパージし、元の黒ベースの赤ジャケットに戻った龍魔呂が、音もなく歩み寄ってきた。
彼は言葉を発することなく、優太とイグニスの間に、どさりと腰を下ろした。
静寂が流れる。
死線を越え、互いの魂を剥き出しにしてぶつけ合った男たち。
そこには、感謝や謝罪といった安っぽい言葉は必要なかった。
龍魔呂が、ジャケットの内ポケットから、くしゃりと潰れたソフトパッケージを取り出した。
異世界には存在しないはずの、赤い屋根の意匠。
「……吸うか?」
龍魔呂が、無造作にその箱を二人の前に突き出した。
中には、独特の強い香りを放つ白い棒――『マルボロ・レッド』が数本残っていた。
優太は、その光景に一瞬だけ目を丸くした。
理性的で、常に自己管理を最優先する戦術医官としての自分なら、ここで首を振るのが正解だ。
「い、いや……俺は医官だし。肺活量は兵站の基本だ」
優太は、反射的に自身の『算盤』に従った。
だが、龍魔呂は何も言わず、ただジッとその箱を差し出したまま動かない。
「俺様は頂くぜぇ! 英雄に相応しい報酬だ!」
横からイグニスが、遠慮なく一本をひったくるように抜き取った。
彼は火を噴こうとしたが、龍魔呂が遮るようにガスライター(ガジェット製)で点火してやる。
「――ッ! ゴホッ、ゲホッ!! なんだこれ、火炎ブレスより喉にくるぜぇ……! だが……この痺れる感じ、悪くねぇな」
イグニスが下手くそに煙を吐き出すのを見て、優太はふっと肩の力を抜いた。
算盤を弾くのは、もう十分だ。
昨夜、自分は命を懸けて、この男の隣に立つことを選んだのだから。
「……仕方ない。一本吸うか。高校生以来だな」
優太が自嘲気味に笑いながら一本を指で抜き取ると、龍魔呂が静かに火を近づけた。
カチッ、という小さな金属音。
吸い込んだ煙は、肺の奥を熱く、そして重く刺激した。
赤マルの力強いヤニの味が、極限状態で張り詰めていた優太の神経を、ゆっくりと解きほぐしていく。
「……ふぅぅ」
優太が、朝霧に混じるように白い紫煙を吐き出した。
龍魔呂も自身の一本に火をつけ、深く、深く吸い込んだ後、空を仰いだ。
「……不味いだろ」
「ああ、不味いな。……だが、不味いコーヒーには、このくらい不味いタバコが丁度いい」
優太の答えに、龍魔呂が初めて、年相応の少年のように小さく笑った。
一人の元・戦術医官。
一人の元・最強の殺人鬼。
一人のポンコツな竜人の戦士。
三つの赤い火が、夜明け前の薄暗い広場で静かに揺れている。
それは、魔法でもスキルでもない、ただの男たちの不器用な『儀式』だった。
「……おい、優太」
龍魔呂が、紫煙の向こう側で呟く。
「なんだ」
「……ありがとな」
「……礼なら、今夜のメシを大盛りにしろ。俺の相棒の腹も減ってるらしいからな」
優太が顎でイグニスを指すと、龍魔呂は短く「了解だ」と応じた。
朝日が、防壁の向こう側から完全に顔を出した。
光を浴びた三人の影が、長く、力強く伸びる。
これが、ポポロ村の新しい『兵站』。
世界最恐の男たちが、一本の赤いマルボロで結ばれた、静かな勝利の朝だった。
一方その頃。
村の入り口にある茂みの中では、三つの影が石のように固まっていた。
「……見たか。あの銀髪の男が、伝説の『死を呼ぶ四番』を、言葉一つで従わせたぞ……」
「……あ、あの手に持っている白い棒は何だ。煙が出る魔導具か? 吸引した瞬間に、精神力が回復しているように見える……」
「……報告書を書き直せ。『ポポロ村の指導者・中村優太は、禁忌の薬物と精神操作術を用いて、バケモノ共を完全に統率している』とな……!!」
三大国から送り込まれた最強のエリートスパイたちは、この「男たちの静かな休憩」を、人生最大の恐怖体験として震えながら記録していた。
勘違い(アンジャッシュ)の歯車は、今、最高速度で回り始めた。




