EP 2
血反吐を吐くウサギ村長
リーザに案内され、森を抜けた先に広がる農地。
そこが『ポポロ村』の境界だった。
だが、歓迎のファンファーレの代わりに響いたのは、獣の咆哮と、人間の悲鳴だ。
「……伏せろ」
優太はリーザの首根っこを掴んで茂みに引きずり込むと、素早く身を低くした。
外科医の指先が、無意識に周囲の地形と射線を計算する。
前方約五十メートル。
村の入り口にあたる防壁の前で、三頭の巨大な角狼と、自警団らしき数名の人間が交戦していた。
「ひぃっ、魔獣ですぅ! ダーリン、逃げ――」
「静かに。状況を把握する」
優太の冷徹な声に、リーザが口を両手で塞ぐ。
優太の視線は、戦場を飛び回る『一つの影』に釘付けになっていた。
長い兎の耳。小柄な体躯。
両手に鋼鉄のトンファーを構えたその少女は、異常な速度で地を蹴っていた。
「はぁっ!」
踏み込みと同時に放たれた回し蹴りが、空気を叩き割る。
巨体の角狼が、まるで軽トラックに撥ねられたかのように吹き飛び、地面を転がった。
(速い。100メートル5秒台……いや、それ以上の瞬発力だ。だが――)
優太の目が、ミリ単位で少女の異常を捉える。
「ああっ、村長! 駄目だ、囲まれる!」
自警団の若い男が、角狼の爪を浴びて倒れ込んだ。
鮮血が土を濡らす。
その血の匂いを嗅いだ瞬間――兎耳の少女の肩が、ビクンと跳ねた。
彼女の顔から、一瞬で血の気が引いていく。
『――冷たくなった、小さな手』
彼女の脳裏にフラッシュバックする過去の残滓。
トンファーを持つ手が、ガタガタと痙攣するように震えていた。
「だ、だめ……っ。もう、失わせない……!」
少女は敵に背を向け、倒れた男の元へ滑り込む。
両手を患部にかざすと、淡い月の光のような魔力が溢れ出した。
男の傷が、瞬く間に塞がっていく。
だがその代償として。
「ゲホッ……! ぁ、ぐっ……!」
少女の口から、どす黒い血反吐が撒き散らされた。
自身の生命力(闘気)を削り、無理やり魔力に変換して他者に注ぎ込む、文字通りの自傷行為。
(……トリアージ(優先度決定)の完全な崩壊)
茂みの中から観察していた優太の眉間が、深く険しく刻まれる。
戦術医療(TCCC)の基本は『火線の制圧』だ。
敵を無力化しない限り、負傷者は増え続ける。衛生兵が最前線で棒立ちになり、あまつさえ自身の命を削って回復を行うなど、戦術的には【最悪の愚策】以外の何物でもない。
だが、優太の『算盤』をさらに破壊する光景が起きた。
「キャゥゥン……」
少女の蹴りで吹き飛ばされ、足を折って瀕死になった角狼が、悲痛な鳴き声を上げた。
少女は、血で汚れた口元を拭いもせず、ふらつく足で『敵』である魔獣に歩み寄る。
「村長!? 何を――」
「大丈夫、大丈夫だから……っ」
少女は、敵であるはずの角狼の足に手を当て、再び回復魔法を展開した。
バキバキと音を立てて獣の骨が繋がり、同時に、少女が二度目の血を吐いてその場に崩れ落ちた。
「……っは」
優太は、乾いた笑いを漏らした。
自身の命を削り、味方を癒やし、あろうことか敵の命まで繋ぎ止める。
偽善? お人好し? いや、違う。
(あれは『強迫観念』だ。目の前で命が消えることに、耐えられないだけの)
合理性ゼロ。生存確率ゼロ。
放っておけば、あの兎の少女は次の数分で確実に死ぬ。
優太の頭の中の教官が「あんなバカは切り捨てろ。お前は生き残れ」と告げている。
――だが。
「……チッ。胸糞悪い」
優太は、リュックの紐を強く握り直した。
手のひらの銃ダコが、熱く疼く。
あんな自己犠牲を見過ごせるほど、中村優太という男の魂は、冷徹に出来てはいなかった。
「アイドルの追っかけは後にしておけ。ここで待ってろ」
「えっ? ちょ、ユウタさん!?」
リーザの制止を振り切り、優太は茂みから立ち上がった。
右手に木の枝の『薙刀』を提げ、空中の電子ボードを起動する。
『現在の善行ポイント:4p』
(ポイント稼ぎだ。……それ以上でも、以下でもない)
優太は己にそう言い訳をし、血の匂いが充満する戦場へと、静かに、そして最速の足取りで踏み込んだ。




