第一章 ポポロ村の北極星
元一等海尉と、雑草を食う人魚
目を覚ますと、そこは見たこともない広葉樹の森だった。
「……」
中村優太は、まず自分の手首に指を当てた。
脈拍、正常。呼吸、乱れなし。
左腕のG-SHOCKの盤面を確認し、自分が着ているパーカーとジーンズに損傷がないことを確かめる。
(ここはどこだ。演習場じゃない。植生が根本的に違う)
立ち上がり、周囲を警戒する。
外科医を志す細長く繊細な指。だが、その掌には薙刀の過酷な稽古と、ハワイで元SEALs教官から叩き込まれた銃器訓練による、分厚い『たこ』が刻まれている。
戦闘と医療。
「人の命を救う」ための最短経路を極めた元・自衛隊一等海尉の脳内は、極限状態にあっても恐ろしいほど冷静だった。
『――システム起動。ユーザー【中村優太】を認証』
突如、視界の空中に半透明の電子ボードが展開された。
タブレット端末のようなUIに、無機質な文字が浮かび上がる。
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【スキル:地球ショッピング】
現在の善行ポイント:0p
<カテゴリー検索>
食品 / 日用品 / 医療品 / 衣類 / 兵器・防具 / その他
※100p特別機能【運命のルーレット】:蓄積された善行は運命の天秤に干渉します。極限状況下での使用時、事象の確率は術者の“魂の熱量”に依存します。
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「……非科学的だな」
優太は短く吐き捨てた。
魂の熱量だの、運命だの。そんな不確定要素、火線の飛び交う実戦(TCCC)では何の役にも立たない。必要なのは、確実な物資と、それを運用する技術だけだ。
ガサッ。
背後の茂みが揺れた。
優太の眼光が、瞬時に『術者』から『兵士』のそれへと切り替わる。
足元の太い木の枝を足の甲で跳ね上げ、右手で掴む。重心を落とし、薙刀の構えで音のした方へ音もなく滑るように近づいた。
獣か、敵兵か。
枝を振り下ろそうとした優太は――その光景に、ピタリと動きを止めた。
「んんっ、今日のシロツメクサは少し苦味が強いですね! でも、この青臭さがサラダっぽくていけます!」
そこにいたのは、青い髪を揺らす一人の少女だった。
耳の横にはヒレのような器官があり、明らかに人間ではない。だが、彼女が着ている服はボロボロで、顔には泥がついている。
そして何より、彼女は道端の『雑草』を引っこ抜いて、恍惚とした表情でむしゃむしゃと咀嚼していた。
(……なんだ、この生き物は)
優太の完璧な戦術脳(算盤)が、初めてエラーを吐いた。
殺気など微塵もない。ただ、圧倒的なまでの『底辺の逞しさ』があった。
「あ、そこのアナタ! もしかして私のファンですか!?」
枝を構えてフリーズする優太に気づき、少女は泥だらけの顔でパッと花が咲くように笑った。
「絶対無敵のスパチャアイドル、リーザです! 今はちょっと大自然の恵みでポイ活中ですが、サインならいつでも書きますよ!」
「……いや、いい」
優太はため息をつき、構えていた枝を下ろした。
どう見てもただの遭難者、いや、極度の飢餓状態にある難民だ。
放っておけば、いずれ栄養失調で倒れるだろう。
優太は視界の端にある空き缶のようなゴミ(不自然な金属片)を見つけると、それを拾い上げ、近くの木の洞に隠して石で塞いだ。
『ピコンッ』
【善行:環境美化により 1p 獲得しました】
(なるほど。こういう理屈か)
優太は空中のボードを操作する。
<食品>→<100円ショップ・コンビニ商品>→<メロンパン>。
消費ポイント、1p。
「おい、アイドル」
「はいっ! 御縁(五円)の準備ですか!?」
「……食え」
優太が 袋から取り出した袋入りのメロンパンを投げ渡す。
リーザの瞳孔が、限界まで開いた。
彼女は手の中のパンと優太を三度ほど見比べると、パッケージを野生動物のような速度で引きちぎり、パンの耳(端っこ)からプロの早食い選手のような手付きで貪り食い始めた。
「んんんんっ! あま、甘いですぅぅ! 何ですかこれ、王族の食べ物ですか!? 雑草サラダとは次元が違います!」
『ピコンッ』
【善行:飢える者への施しにより 5p 獲得しました】
(……チョロいな)
「あ、あの! アナタ、凄腕の魔法使いさんですか!? それとも大富豪!?」
口の周りにクッキー生地をつけたまま、リーザが優太の足元にすがりついてきた。その目は完全に「新たなパトロン(太客)」を見つけた狩人のそれだ。
「ただの医官だ。中村優太」
「ユウタさん! 私、リーザ! 近くの『ポポロ村』に住んでるんです! この恩は絶対忘れません! だから、その……夕飯も、期待していいですか……?」
上目遣いで媚を売ってくるポンコツ人魚を見下ろし、優太は再び深いため息をついた。
右も左も分からない異世界。
情報収集の拠点としては、村へ向かうのが定石だ。
「……案内しろ。メロンパンの代金分は働いてもらう」
「はいっ! ついてきてください、ダーリン!」
調子の良い鼻歌を歌いながら歩き出すリーザの背中を追いながら、優太はリュックの紐を締め直した。
この時、優太はまだ知らない。
向かう先の『ポポロ村』が、血反吐を吐く狂気のウサギ村長や、数々のワケあり達が潜む、世界最恐の武装農村であることを。
そして彼自身が、その村の「絶対的な暴力」として君臨することになるという未来を。




