EP 18
算盤を捨てる(魂の説得)
「……ユウタ、さん……?」
リーザの呆然とした呟きを背に受けながら、優太は一歩、また一歩と泥の広場を歩いていた。
防弾チョッキもない。武器もない。
丸腰のパーカー姿。戦場において、それは『動く標的』以外の何物でもない。
五メートル先。
漆黒の強化アーマーを纏った殺人鬼【DEATH4】の銃口が、イグニスからピタリと優太の眉間へと移動した。
『――新規脅威、判定。……【排除】』
機械音声のような冷酷な声。
大型リボルバー【Korth】の銃口の奥で、鉛の弾丸が死の匂いを放っている。
周囲に渦巻く赤黒い闘気は、近づくだけで肌を焼き焦がすような異常なプレッシャーを放っていた。
(……脈拍130。発汗過多。呼吸浅薄。……生存確率、限りなくゼロ)
優太の脳内で、戦術ロジック(算盤)がけたたましいエラー音を鳴らし続けている。
『馬鹿か、逃げろ』
『味方ごと撃ち殺して生き残れ』
教官の幻聴が怒鳴る。
だが、優太の足は止まらなかった。
「……撃ちたきゃ撃てよ」
優太は、銃口のわずか数十センチ手前で立ち止まり、冷や汗を流しながらも、薄く笑ってみせた。
「だが、よく見ろ。俺がお前の『弟』を奪ったクソ野郎に見えるか?」
ピタッ。
Korthの引き金に掛かっていた指が、ほんの数ミリ、硬直した。
「……ガ、ァ……」
強化アーマーの奥で、龍魔呂の呻き声が漏れる。
赤黒い闘気が明滅し、彼の内面で『暴走する殺意』と『残された理性』が激しく衝突しているのが分かった。
「お前は、ずっとあのゴミ捨て場で、冷たくなった弟の手を握りしめて泣いてるんだろ」
優太は、ゆっくりと右手を上げた。
そして、赤黒い闘気がバチバチと弾けるKorthの銃身を、素手で真っ向から掴み取った。
「ジュッ……!!」
肉の焼ける嫌な音が響いた。
絶対無効化の呪い。強化アーマーを包む闘気が、優太の掌の皮膚を容赦なく焼き焦がし、第二度熱傷の激痛が脳天を突き抜ける。
「ぐっ……、チッ……!」
痛みに顔を歪めながらも、優太は絶対にその手を離さなかった。
銃口を、己の胸のど真ん中へと押し当てる。
「あ、アニキ……! な、何やってんだ! 逃げろ!」
背後でイグニスが悲鳴を上げるが、優太の視線は龍魔呂の『虚無の瞳』から一ミリもブレない。
「目を覚ませ、龍魔呂」
優太の声は、怒鳴り声ではなかった。
火線の下で、パニックを起こした負傷者を落ち着かせる時の、深く、静かで、絶対的な安心感を持つ『医官の声』だった。
「お前が今やろうとしてるのは、復讐じゃない。ただの『八つ当たり』だ」
「……ォ、ォォ……」
「弟は、お前が血まみれのバケモノになって、関係ない奴らまで撃ち殺すことなんて望んじゃいない。……お前が作った美味いメシを食って、笑ってほしかったはずだ」
ジュゥゥゥッ……!
優太の掌から血が流れ、闘気の熱で蒸発していく。
限界だ。ロジックが「これ以上の損傷は戦闘継続不可能」と警告する。
だが、優太は魂を振り絞って、最後の言葉を叩きつけた。
「俺には……お前がポポロ亭で淹れる、あの角砂糖まみれの不味いコーヒーが必要なんだ」
優太は、龍魔呂の瞳の奥を真っ直ぐに射抜いた。
「帰ってこい。ポポロ村のバーテンダー」
――その瞬間。
『……っ』
龍魔呂の右手中指で脈動していた【鬼殺の指輪】の明滅が、フッと消えた。
ガシャンッ……。
強化アーマーの各部から排気ガスが抜け、駆動音が停止する。
銃口にまとわりついていた赤黒い闘気が、霧散するように空気中へ溶けて消えていった。
「……ゆ、うた……?」
バイザーの奥。
赤く光っていた虚無の瞳が、元の黒い瞳へと戻っていた。
龍魔呂が、ハッと息を呑み、自分が銃口を突きつけていた相手と、その焼け焦げた掌を見て、激しく顔を歪めた。
「俺は……俺は、また……ッ!」
龍魔呂が、震える手でKorthを取り落としそうになる。
だが、優太は火傷を負った右手で、その銃をしっかりと支えた。
「気にするな。……トリアージ(優先度)は、間違えなかった」
優太が痛みに耐えながら不敵に笑うと、龍魔呂は大きく息を吐き出し、自嘲するように口角を上げた。
「……バカ野郎が。マルボロより、ひでぇ匂い(焦げ臭さ)だ」
殺戮のバケモノ【DEATH4】が、一人の不器用な男に戻った瞬間だった。
村人たちから、ワァァッ!と歓喜の涙声が上がる。
イグニスがへたり込み、キャルルを抱きかかえていたリーザが安堵の号泣を漏らした。
だが、静かなる医官と鬼神の男が、ようやく息をついた、その直後。
ズズズズズズズズズッッ!!!!
突如として、ポポロ村の大地が、大地震のように激しく揺れ始めた。
「な、なんだ!?」
「今度は地面から……ッ!」
地割れが起き、村の広場の石畳が吹き飛ぶ。
地中から姿を現したのは――これまでの死蟲とは比較にならない、山のように巨大な鋼鉄の六本脚と、無数の複眼を持つ異形の怪物。
『死王蟻型』。
隣村を食い尽くし、無数の死蟲を生み出していた諸悪の根源。
「ギィィィィィィィィィィッッ!!!!」
鼓膜を破るような女王の咆哮が、防壁を吹き飛ばす。
絶望は、まだ終わっていなかったのだ。
「……チッ。大ボスのお出ましってわけか」
龍魔呂が、再びKorthを構え直す。だが、アーマーの動力は先ほどの暴走で大半を消費し、警告音が鳴っている。
優太は、焦げた右手を庇いながら、空中の電子ボードを睨みつけた。
『ピコンッ』
『【善行:己の命を懸け、友の魂と無垢な命を救済した至高のカルマにより 96p 獲得しました】』
現在の善行ポイント:『100p』。
(……ポイントは貯まった)
優太の視界の端で、『運命のルーレット』のアイコンが黄金に輝き始めている。
「龍魔呂。アーマーの出力、土台として踏ん張るくらいは残っているか?」
「……俺を誰だと思ってる。余裕だ」
静かなる医官は、もう算盤を弾かない。
彼が選ぶのは、戦術の限界を超えた『奇跡』だ。
「よし。――運命、回すぞ」




