逃避行
「ルトフ、君は本当によくやっている。だから、早く王宮から抜け出した方がいいと思った。ただそれだけなんだ。物事にはどれだけ自分が純粋に努力を進めたとしても、どうしても超えることの出来ない何かがある。僕が今、生きているのも、たまたま他国に使節団として送られていた。だから極刑を免れた。ただそれだけの理由。それは僕の努力でもなんでもない」
「でもそれは……」
その言葉の先をルトフは続けられない。
彼が最初に話したように、前王の末裔であるラシッドは、彼自身かなりの努力を重ねてきたのだろう。しかし、自身の努力では如何ともし難い何かがあって、幽閉されるようにここに来た。それから、どんな気持ちでルトフと向き合い、ここで生きてきたのだろうと考えると、レジナルドも何も言えなくなる。
ユーニスの部屋で見た肖像画。その表情の翳りの意味がなんとなくわかる気がした。ラシッドはふと、後ろを振り返ると、
「早く、抜け出した方がいい。多分、もうすぐここに王家の兵たちが押し寄せるだろう」
「ここに?」
セシリオは驚いて、声を上げたが、レジナルドは驚かなかった。遅かれ早かれそうなると思ってい宝。
「君たちが王家を煽ったのだろう? 王家としては見られたくなかった部分が露呈され、火消しに躍起になっているはずだ。だから、なんとしても第七王子を助けようと多くの兵を引き連れてまもなくこの神殿を包囲するだろう」
「もともと、この辺りには王家の隠密兵がいました」
テリオスのはっきりとした言葉が、地下の広い空間に響く。
「そうだね。うん。もともと僕という存在は本来であれば、この時代から消えるはずの存在だったのに、様々な状況がうまく重なって生き延びてしまった。王家としては僕を一刻も早く消したい存在だったと思う。でも流石に神殿内で、何かを起こすことは出来ない。しかし、嫌がらせはあった」
「嫌がらせ?」
「ほら、神殿内の落書き」
「16ー18ってやつ?」
カイが口にしたとき、ルトフとラシッドはなぜそれを知っているのかと不思議そうな目で見ていた。
「その落書きが何かあるのか?」
「僕が神殿にいられるのは18の年齢までと決まっている。今が16だから、あと二年。つまり、死へのカウントダウンという訳だね」
「なぜそんな悪質な落書きを?」
「王宮に属する人間が最も得意とすることだ、そうやって、じわじわと、痛めつけたいのだろう。外に出ることも出来ない。そして、外からの接触者の人間、ルトフ以外の異分子と判断された者たちは、早々に消されていったのか、顔を見せなくなった」
レジナルドや、ユーニス達が一番最初のループで、神殿に近づいた際、自分達も、ラシッドに近寄る異分子だと判断され消されたのだと、今の言葉からそう理解した。
「だから、僕はここに完全に孤立した。ここから出ることもどうすることもできなくなってしまった。そんな時に、ルトフ。君が僕のことを心配して訪ねてくれたとき、どれだけ嬉しかったか。その反面、君のためにならないと思った。君の立場は悪くなる一方で。そう思って、君には悪いけれど、今回の誘拐事件をでっち上げた」
「身代金を要求したのは、ルトフさんの逃亡資金にしようと思ったのでは?」
レジナルドの問いに、ラシッドは決まりが悪そうに頷いた。
「どうして……」
「逃げて」
ルトフの言葉が言い終われないうちに、ラシッドが叫ぶ。
「もし捕まってしまえば、ルトフ。君はもうきっと、一生王宮から出ることが叶わなくなるかもしれない。そうなる前に」
「でも」
「君がここにいて、王宮に戻されたとしても、いいことなんてきっと何一つないだろう。たぶん、僕だってこの騒ぎでどうなるかわからない。神殿ごと取り壊しになるだろう。だから、――君、どうか彼を頼む」
目を向けられたのはメルリだった。
「わかりました」
メルリはいきなり話が自分に向けられ、一瞬目を見開き、驚いた表情を見せたが、すぐにキッパリと返事をし、曇りのない瞳でラシッドを見つめる。
メルリがルトフの手を引いた時、ユーニスはラシッドの元へと走り抜けた。
「君も一緒に行こう。君がここにいても居場所がないのなら僕たちと一緒に来たらいい」
ユーニスは必死な様子でラシッドの腕を掴む。彼を死の淵から引き上げているかのようにも見えた。
ラシッドは予想外な表情を見せた後、ゆるゆると首を横に振った。
「でも」
と、言って、ユーニスは手を再度強く掴もうとするのだが、ラシッドは追従をすり抜け、半歩後ろに下がる。
「君を守ると言ったのに」
「生まれて初めて君がそう言ってくれた」
「君、覚えて……?」
ラシッドは、前回のユーニスの言葉を覚えていたのだろうか。ユーニスの声は、空気に溶け五人はまた、大きな光に包まれた。
「もしまたどこかで会えたなら……」
最後に見た、ラシッドは笑っているように見えた。




