立入禁止区域
エルマの申し出は非常に自然なものだった。セシリオとユーニスはそれとなく視線を合わせ、頷く。
「そうですね。念の為、そうしていただけると助かります。後で見つかってまた来ていただくのも大変ですしね」
「いや、その時はその時です」
エルマは寛大に笑顔を作る。
「祈りの間は不要と思われます。あと、向こう側にある、個人の居住区も除いて。それ以外の場所の確認をお願いできますか?」
神官長はそれだけは強い口調で言ったが、エルマの提案には何の疑いも抱いていないようだった。
「これは神殿に元々ある紋様でしょうか?」
セシリオはそれとなく柱の一部に刻まれていた、王家の隠し紋を見つけたので聞いてみる。
「はい。これは神殿を司る大切なものですから、決して消すことがあってはなりません」
神官長の強い言い方に、「すみません」と、頷きながら内心――神官長はこの紋様が王家との繋がりのある紋だと知らないのだろうかと疑問に思う。何も知らないか。もしくは、知っていて何も言わないようにしているのか。
「わかりました。では早速、作業に入らせていただきます」
「どうぞよろしくお願いいたします」
神官長は小さく会釈をした後、他にも仕事があるからと言って、足早に去って行った。
「ありがとうございます」
神官長が見えなくなったところでユーニスが一礼する。
「いや。作業は俺がやっておくから、他に悪戯書きがないかどうかを名目に、神殿の中を回って来たらいい」
「行って参ります」
「あの、どうかエルマさんもお気をつけて」
ユーニスとセシリオが歩きだそうとした所、カイが不意に後ろを振り返って、エルマを心配する仕草を見せる。
「俺は大丈夫だ。ただ、あんまり色々とやらかされると、フォロー出来ない事態になるかもしれん。くれぐれも気をつけろ」
エルマは歯を見せて笑い、そのまま自らの作業に没入する。
「行こう」
ユーニスはかいの手を引いた。セシリオはユーニスを追いながら、もう一度後ろを振り返る。生き生きと咲き誇る草花の傍らで作業を始めるエルマの姿が目に映る。
その光景は平和そのもので、この世界に問題など何ひとつ無いように思われた。それなのに、一抹の不安が拭えない。カイがエルマに声をかけたのもわからなくなかった。
ユーニスを先頭に回廊を一回りする。特におかしな点も緑のインキも見当たらない。次に、神殿の中に差し掛かったところで、
「それぞれ、別れて見て回った方がいいだろうか?」
セシリオは前を歩くユーニスを呼び止める。
「そうも思ったんですけれど、皆さんカイロス語は分かりますか?」
振り返るユーニスに、カイとセシリオはどちらともなく視線を交え、
「レジナルドがいれば……」
「先生がいれば……」
口々にし、ユーニスはふふっと声を立てて笑った。
「万が一も考えて、効率はよく無いですけれど、三人で一緒に行動した方がいいと思いまして」
「そうですね。よろしくお願いします」
ユーニスの後ろにまるでカルガモの親子のようによちよちと並んで歩く。神殿内部には大小を含めて様々な部屋がある。しかし何に使われている部屋かは、わからない。ある部屋は全くものが一切なく、ある部屋はいくつが大きな壺が壁際に置かれているだけだった。
「ありませんね」
「うん。ない」
しらみつぶしに天井、柱、床石に目をやるが、どこにも緑で書かれたインクは見当たらない。そして、第七王子がここにいるという確証や痕跡も見当たらなかった。
「あれ、ユーニスさん?」
探すのに夢中になっていて、ユーニスの姿が近くにないことに気が付く。
どこにいるのだろうと、廊下を左右見たがいない。回廊の方に戻ってみると、彼の姿を発見した。なぜそこに? と思ったところで、そこは、前にルトフ第七王子が佇んでいた場所だと思い出す。
ユーニスの視線は、神殿の中に通ずる一本の廊下へ向けられる。 彼の視線はあの人の姿を追っているのだろうか。
「中に入ってみる?」
セシリオの声にピシリと驚いたように一瞬体が硬直し、振り返ったユーニスの目は大きく見開かれていた。
「でも、ここって……」
カイが心配そうに声を上げる。
なぜって、そこは先ほど神官長から注意を受けた、居住区へ続く入り口だったから。
「あの時、ほんの一瞬見えただけだったけれど、確かにここからルトフ王子が出てきたんだ。つまりもしかしたら、この先でルトフ王子を見つけることができるかもしれないですし。ユーニスさんもそう思ったんですよね?」
ユーニスは不安そうな表情が崩れ、はにかんだ様子で何度か頷く。迷っていたんだろう。だから、セシリオは少し背中を押してあげただけ。
「行ってみよう」
覚悟を決め、そう言葉にした。
居住区は窓も明かりもないため薄暗く、ひんやりとしていた。
ザッザッと、足音を響かせながらユーニスは何かに導かれるように、足早に歩いていく。
「こっち」
カイは夜目もきくらしく、薄暗い闇の中を迷いなく歩く。そのカイが手を引いてくれたので、セシリオは迷うことも遅れることもなくついて行くことができた。
女官たちは、神殿の至る所で各々の仕事をしているのだろう。考えるとすぐにわかる答えだ。それでも、誰かに遭遇したときに備えて、何か上手い言い訳を見つけておきたかったのだが、良いアイディアが思い浮かぶでもなく、セシリオは恐々としながら、人の気配のない廊下を歩く。
だんだんと目が慣れてくると、目の前のユーニスが目で確認できるようになる。
彼の歩き方は、別の大きな存在の意思が働きかけ、急かされ歩かされている。異常とも思われる様相だった。
何もなければいいが。
そう願うセシリオの心とは裏腹に、ユーニスの前にいきなり大きな光が差し込んだ。
部屋の入り口にかけられていたのれんの布が、誰かの手によって持ち上げられたのだ。
「誰?」
ユーニスの声ではなかった。
光の中で揺れる、白くゆったりとしたローブと銀色の髪。
「え? でん……」
ユーニスは驚きの声を上げたのを遮り、
「一旦こちらに」
銀髪の青年はユーニスの腕を掴んで、部屋の中に引き入れると、後ろのセシリオたちにも視線を送る。カイはグッとセシリオの腕を引いて、暗闇の中をすり抜けるように、部屋の中に入る。
小さな窓があり、差し込む光が部屋全体を包んでいた。
整えられた寝所、部屋の正面にはカイロス神を描いたモザイク画が目に飛び込む。清潔にされている部屋だった。
それ以外のモノは見当たらない。その理由について、部屋の主がいついなくなっても良いようにしているのではと、不毛な考えがセシリオの脳裏に浮かんだ。
「すみません。いきなりこちらに引き込んでしまって。ただ。ここではその名前を呼ばれたくなかったので――皆さんは王家からの依頼で?」
セシリオたち三人は顔を見合わせ、
「そうではないですが」
と、言葉を濁す。
目の前の青年は声を立てて、ははっと笑った。
「そうですよね。あの王家がそんなことするわけないですね。ちょっと期待しすぎていた、みたいです。――すみません。では、皆さんはどうしてこちらに?」
笑顔が消え、真顔になった表情はどこか頼りなさげで、悲しそうで、ユーニスの部屋で見た肖像画とまさにうりふたつだった。セシリオはそんな彼に対して、どう答えたものかとユーニスに視線をやると、俯いていたのだが、グッと両手を握りしめ、覚悟を決めたらしく、顔を上げるとまっすぐに絵画から抜け出した青年を見据える。
「あの、僕と結婚してくれませんか?」




