旅 1
何も考えたくなかった。何もこの目から、この鼻から、この耳から、この鱗から入って来る情報全てを受け入れたくなかった。
眼を閉じても涙が出て来た。僕は友達も、父も、喪ったんだ。
僕は、一体、何をしてしまったんだろう。
見てしまった光景には、ヴェーナさんと父さんの両方の頭が潰れた光景があった。
目を閉じようとも、頭からこびりついて離れなかった。僕は、ヴェーナさんと父さん、両方を殺したんだ。僕は、父さんがそこまでして守るべき子供だったのか? ヴェーナさん、父さん両方が死んでまで、生き残るべきだったんだろうか。
僕が素直に殺された方が良かったんじゃないか? 僕は、どうしたら良かったんだろう。
「うっ……うっ……」
心臓が、はちきれんばかりにばく、ばく、と鳴っていた。遅く、強く。もう速くなかった。強かったけれど、落ち着いていた。その遅さは、もう終わってしまったのだと、これから何も起こらないのだという事も僕に教えていた。
もう、父さんが生き返る事もない、ヴェーナさんが生き返る事もない、フリガンが生き返る事もない、時間が巻き戻る事もない。
ああ。ああ!
僕は、間違っていたんだろう。僕は、父さんから色んな事を聞きながらも、楽な方へ流れていただけだった。フリガンもヴェーナさんから色んな事を聞いていただろうけれど、フリガンはそれに従って強くなろうとしていた。
僕は生き残った。僕だけが生き残った。
そうなってしまったのは、僕が楽な方に逃げていたからだった。フリガンに絶交されようとも、ヴェーナさんに伝えれば良かった。父さんにフリガンについて色々話せば良かった。色々聞けば良かった。
……。
「父、さん……」
どうしたら良かったんだろう。もう、教えてはくれない。
「……え?」
もう一度、目を開けると、目の前に灰のようなものが漂っていた。
父さんが居る、下を見る。
「……どうして」
父さんとヴェーナさんの体が、塵になって消え始めていた。
「どうして? え……」
辺り一帯に散っている血さえもが、塵になって消えていた。自然と体が前に出ていた。父さんの体が消えていく。
訳が分からなかった。
父さんとヴェーナさんの上に落ちた岩が、がらり、と音を立てて転がった。
僕が崖の下に着いた頃には、父さんとヴェーナさんの頭はもう、殆ど無くなっていた。
鱗ももう、無い。血がだらだらと流れていき、そして塵となって消えていった。
「何で……」
父さんの体には、温かみが残っていた。消えつつも、父さんの体に付いた傷が、はっきりと分かった。ヴェーナさんによって付けられた深い傷が至る所にあった。離れた場所に、父さんの千切れた翼が僅かに残っていた。
ヴェーナさんの体内にあった酸が、どろどろと周りの大地を溶かしていた。また、ヴェーナさんの体もかなり傷付いていた。翼も、千切れてはいないものの、千切れる寸前になっていた。尻尾が千切れていた。折れた角が遠くに転がっていた。
ここまでして、本当に、命を賭して父さんは僕を守ろうとしたんだ。そこまで、父さんは僕の事を想っていたんだ。
でも、何で。何で、そこまでして僕を守ろうとしたんだろう。
…………。
もう、疲れた。きっとそれは、僕にはまだ、分からない事な気がした。
頭が痛い。体も、疲れた。さらさら、と父さんとヴェーナさんの体が消えていく。鱗も、肉体も、骨も、全て消えていく。もう、ドラゴンとしての原型も無くなりつつあった。僕が寝たら、きっともう、父さんの体もヴェーナさんの体も無くなっているんだろう。
そして、フリガンの体もきっと、もう無い。フリガンの体が死しても虐げられる事は無かった。
……疲れた。
考えるのも、動くのも、もうしたくなかった。
目を閉じて、耳と鼻を塞いで、体を丸めて寝たかった。
「……ん」
長い間寝ていた気もするし、そんなに寝ていない気もした。空は、赤くなっていた。西に沈んでいく夕日が、半分だけ顔を見せていた。
ぎゃあ、ぎゃあ、と鳥の鳴き声がする。父さんの体とヴェーナさんの体はもう、無くなっていた。
散って行った灰のようなものも無い。
折れた木々。溶けた岩肌。燃えた大地。戦いの痕跡だけが残っていた。
僕だけが、ここに居た。
込み上げて来るものがあった。
「あああああっ、ああああっ」
どうして消えてしまったかは分からない。けれどそれは、終わってしまったんだという事をとても、目で見える形で僕に示していた。
もう出ないとも思った涙がまた、溢れて来る。父さんは死んでしまった。ヴェーナさんも、そして、フリガンも。
父さんは僕に母さんの事を伝えないまま。ヴェーナさんも、僕を恨んだまま、フリガンは苦痛を味わいながら、死んでいった。
僕だけが生きている。僕だけが、ただ、生きている。
僕は、これからどうしたら良いんだろう。こんな事になる何て、全く思ってもいなかった。
僕の中の何かがすっからかんになったような感覚。何もかもが消えてしまった。
これから夜が来る。明日、父さんは居ない。明後日も、その次の日も、来年も。もう、父さんの顔を見る事も無い。
ここにはもう、居たくない。……そうだ、カァミさんがその内帰って来るかもしれない。ここには居られない。
「ううっ……」
涙は、自然と収まって来た。体も頭も疲れているのは寝ても余り変わらなかった。
こんな時でもお腹は減るけど、何かを食べる気分にはなれなかった。狩るのも面倒だった。
何もしたくなかった。これからどうすれば良いのか分からなくても、考えたくもなかった。
起きても特に何かが変わっている訳でもなかったし、夢だった、何て事も無かった。
そのまま、夜が来た。
空は暗かった。
星が点々と輝いている。ドラゴンは、死んだらどうしてあんな風に消えてしまうんだろう。ドラゴンは、死んだらどこへ行くんだろう。あのどれか星の一つにでもなるんだろうか。
土に還る事も無く、ただ、塵になって消えていく。思い出してみれば、綺麗なものでもなかった。
死ぬっていう事は、そんなものなんだろう。誰も、望んで死んだりしない。僕が今まで食べた獣だって、殺す直前までは死ぬ何て思っていなかったと思う。
お腹が鳴る。でもやっぱり、狩りに行こうとは余り思えない。消えてしまった父さんの近くにずっと、居たかった。
ざむ、ざむ。
……懐かしい音がした。草を掻き分ける音。
「……ジェルヴェーシ」
僕がそう言うと、ジェルヴェーシは爪の音をわざと立てて、歩いて来た。もう、僕の方が強いだろうに。
どうして来たかは分からない。でも、誰かと喋れるというのは、気付いてみればとても嬉しい事みたいだった。




