旅 2
「……どうして来たの?」
静かに、僕はそう言った。ジェルヴェーシは答えず、無言のまま歩いて近付いて来た。
そして、確かめるようにして、言った。
「……俺以外、喋れナくなっタ」
そういうジェルヴェーシの口調も、何か歪だった。
「どうして?」
言いながらも、多分、父さんとヴェーナさんが死んだ事が関係してるんだろうと思った。
どう関係しているのかは分からないけれど。
「たぶン、お前の父親トあの黒イドラゴンが死んダのが原因ダと思う」
「何で、ジェルヴェーシだけは喋れなくなってないの?」
「お前に接触しテいたからダろうな」
ドラゴンって、何なんだ?
「はっきり言っテ、皆、戸惑っテいル。お前の父親ガ来てかラ俺達一部ノ獣は喋れルようになった。それガ当たり前ニなっていた。……今更、戻れなイ」
「ドラゴンが居る事に、迷惑がってたんじゃないの?」
ジェルヴェーシは、僕のうんざりとした声にびくっと震えてから、戸惑いながらも答えた。
「……今トなっては分からなイ」
それは本意のようだった。嘘を吐いているようには思えなかった。
「喋れるのが、楽しかったんだ。……本当に。本当に。
はっきりとした意志を伝えラれる。感情を共有出来る。他愛も無い話で盛り上がれる。他の種族とも。
それは、本当に、楽しカった事だった。本当に。
お前等ドラゴンから隠れてこそこそ生きなきゃいけないと言う事を引いても、だ」
頭を振りながら喋るその様は戸惑っているだけじゃなくて、最早、自分だけが取り残されるのを怖がっているようにも見えた。
実際そうなんだろう。
「……何で僕の所に来たの?」
まだ、答えて貰ってなかった。
何で、今はもう僕の方が強いだろうに、僕の所に来たのか。
「……怖いんダ。喋れなクなるのが。
皆、喋れなくなると大体同時に、親しみも無くナった。そこらに居る獣とソんなに変わらなくなった。
まるで喋れている時の記憶ヲ無くしてしまったカのように。いや、記憶はあるんだろうが、喋れなくなったと同時に、出来テいた繋がりも切れテしまったようだッた。喋れる繋がりがあったのは、もう、お前だけになっテいた」
やっぱりジェルヴェーシは、怖がっていた。怯えていた。
取り残された、自分だけになってしまった、って言うのは僕と似たようなものなのかもしれない。
そんな事を思うと、自然と口から出ていた。
「ねえ、僕と一緒に来ない?」
「……え?」
「……僕には、もう、何も無いんだ。本当に、父さんも死んでしまった。フリガンも死んでしまった。親しく出来るドラゴンも、普通に喋れる誰かも、僕には居ないんだ。……今はこうして喋っているけれど、僕はここを早い内に去らなきゃいけない問題もあるんだ」
カァミさんがいつ頃戻って来るのか、僕は知らなかった。
「ここを……去るのか」
「うん」
ジェルヴェーシの本望としては、きっと僕に留まって居て欲しかったんだろう。
そうすれば、もしかしたら皆また、僕が大きくなるに連れて、喋れるようになるかもしれないとか思ってたんだろう。そんな確証は全く無いんだけれど。
「…………そウか」
半ば、分かっていたかのように、そして寂しそうに、ジェルヴェーシは呟いた。
カァミさんの事をジェルヴェーシが知ってるとは余り思えないけれど、知らなくてもジェルヴェーシは僕がここを去ると予感していたんだろう。
そして、付いてくるようでも無かった。
僕の方が強い。付いて来させる事も出来るだろうけれど、それをする気にもなれなかった。
「…………そうなのか……」
顔を地面に付けて、ジェルヴェーシは暫く動かなかった。
殺そうと思えば、初めて会った時の僕でも今のジェルヴェーシは簡単に殺せそうだった。
話していると、どこかに行っていた僕の何かが僕の所に戻って来るような感覚があった。
思い出せば、叫び出したくなる。息が荒くなる。けれど、ジェルヴェーシが近くに居るから、まだ、行って欲しくないから、我慢出来た。出来る程に、落ち着いて来てもいた。
……父さんは、僕を、本当に命を賭してまで助けてくれた。
その事実も、僕の中にじわじわと染み込んで来ていた。父さんが助けてくれた僕という命は、簡単には死んではならないとも思った。
岩が落ちた場所を眺める。一体、どんな気持ちで僕を守ろうとしていたんだろう。どうして、あそこまでぼろぼろになっても、父さんは僕を守ろうと必死になったんだろう。
「……ねえ」
それをジェルヴェーシに聞こうと思って、僕は気付いた。
何で、ジェルヴェーシは、父さんとヴェーナさんが死んだ事に関して何も言わないんだろう。
それを、当然の事のように受け入れているんだろう。
ジェルヴェーシは顔を上げた。
「何だ?」
「ジェルヴェーシは、父さんと……黒いドラゴンが死んだ事にどう思ってるの?」
「ま、……驚いているよ」
……知っている。
ジェルヴェーシは、どうしてか、僕やフリガンに起きた事を知っている。
「知ってるんだ」
ジェルヴェーシの目が僕の顔からずれた。
「どうして知ってるの? まさか、あの町の近くに居た訳でもないでしょ。答えて」
そわそわしているジェルヴェーシに、更に畳みかけた。
「正直に答えないと、殺すよ」
爪を地面の岩に突き刺して、ジェルヴェーシの顔前に出した。
ジェルヴェーシは俯いて、ゆっくりと話し始めた。
「……ここに居た人間から聞いていた。あの町は元から、ドラゴンに対する兵器の実験としてあったと。そして、自分は逃げて来たからここに居る、と」
「……え」
どくん、どくん、と心臓がまた、高鳴り始めていた。
「子供ならともかく、成長したドラゴンに効く訳がないとその人間は思っていた。命令として、子供でも、町に入り込んで来たらその兵器……俺はそれを知らないんだが、それを使って殺せと言われていた。
人間は、ここに居たら死ぬと思って、ここに逃げて来た。
そう、聞いていた」
「どうして、どうして教えてくれなかったの」
「…………」
ジェルヴェーシは、それを黙っていて、それで居て喋れなくなりたくないから、僕の近くに来た。とても、イラつく事だった。
「答えろっ!」
前足をジェルヴェーシの頭に乗せて、段々と体重を掛けた。
「……お前等の事を……迷惑だと思ってたから…………言わなかった」
力が、抜けた。前足をどかした。ジェルヴェーシは、抑えつけられたままの姿勢で居た。
「そうだよね。最初に会った時も、迷惑そうだったもんね」
それだけ知ってれば、フリガンが死んで、後でここで起きた事は大体予想出来たんだろう。
「僕達ドラゴンは、きっと、どこに行こうともそうなんだろうね。
……ドラゴン以外からはきっと、誰からも邪魔者として扱われるんだろうね。
力があれば、ジェルヴェーシも、フリガンを殺した人間達みたいに、僕達に戦いを挑むんでしょ。
僕達を殺そうとするんでしょ」
「…………分からない」
「それは、僕が近くに居れば、喋れるからでしょ? そんな事も無かったら、殺すでしょ」
「それを言ったら、誰だって似たようなものだ!
喋れたから、俺達は親しく出来た! 喋れなかった時は、同じ種族でさえ、番争いや縄張り争いで気を許す事何て出来やしなかった! 俺達は、喋れなかったら、お前等、俺達がいつも獲物として食ってる獣達と大して変わりやしない!」
ジェルヴェーシは、俯いたまま、そう吼えた。
……。
「……ああ。そうか。
僕達が近付けば、皆喋れるようになって、皆結束して、僕達を邪険にするようになるんだ。
……酷い事してくれるよ。本当に。何で僕達には、こんな力あるんだろ」
何だか、笑いが出て来た。
「ははっ、はは」
……こんな結果にならない為に、僕は色々出来ただろうに。
色んな事を出来た筈だろうに。
また、泣きたくなってきた。けれどもう、泣く涙は無かったみたいだった。
気付けば、お腹は空っぽ過ぎて、目の前に居るジェルヴェーシさえ美味しそうに見えて来た。喉もとても乾いていた。
でも、何か食べようとまでは、やっぱりまだ余り思えなかった。動こうとはどうしても思えなかった。
暫く、僕も、ジェルヴェーシも動かなかった。何も喋らなかった。
けれど、元々ジェルヴェーシに聞こうと思っていた事があったのに気付いた。
「ジェルヴェーシには、子供は居るの?」
「……? 今は育ててないが、俺の元を離れて行ったのなら居るぞ」
「……子供が他の誰かに襲われたら、僕の父さんみたいに命懸けで守る?」
「それは当然だ」
「どうして?」
「どうしてって言われてもな……。親として、当たり前だ。お前にはまだ、分からないと思うが」
「うん。……やっぱり、そうなんだ」
やっぱり、言葉で表せるようなものじゃないんだろう。
「でもな……お前の父親と、黒いドラゴンの戦いを遠くから見ていたが、あそこまで出来るか、と言われたら出来ないかもしれん」
「え?」
「翼を食い千切られようとも、強烈な一撃を食らおうとも、爪が体にめり込んでも、お前の父親は黒いドラゴンに臆する事無く立ち向かっていた。
あんな事、子を守る為であっても、早々出来る事じゃない……俺にとっては、そう思えた」
……どうして。
どうして、そこまで僕を守ろうとしたんだろう。
僕は、父さんを良く知らないから、分からない。父さんは殆ど僕に、父さん自身の過去を聞いていない。
「ねえ、父さんがどの方角からやって来たか、知ってる?」
「確か、東だったな。真東から来た」
「……そう」
東。カァミさんが飛んで行った方向は確か、南東。
ちょっとしか、ずれてない。でも、ずれている事はずれている。長く飛べば、会う可能性もきっと、それだけ下がる。
「行くのか」
「……うん」
……いつまでここで過ごしていても、父さんもフリガンも、誰も帰って来ない。時間が戻る事何て無いだろう。
僕は、生きなければいけない。父さんが命懸けで助けてくれたのだから。ドラゴン以外の全てに嫌われようとも。
そして、僕は父さんの事を知りたい。父さんがどうして、そこまでして僕を助けてくれたのか、知りたい。
「もう、ここには戻って来ないかもしれない」
ジェルヴェーシが震えた。
「……付いて来る? 僕の背に乗って。ジェルヴェーシだけなら、多分乗せられるよ」
「黙っていたのにか? お前等を迷惑がっていたんだぞ、俺は。殺されようとも構わないと思ってたんだぞ」
ふぅ、と息を吐いて僕は言った。
「意外と、あんまり恨む気持ちはもう、浮かんで来ないんだ。
僕にも良く分からないけど、僕がまだ子供だからなのかもしれないけど。
……それに、喋れても、喋る相手が居ないんじゃ、意味が無いんだ」
ジェルヴェーシは、僕の事をじっと見つめた。
「そう、か」
「許す訳じゃない、と思う。
教えてくれれば、死ななかったのにとは思う。けれど、やっぱりこんな事になったのは、僕自身にも原因はあったんだと思うんだ。
ジェルヴェーシや、他の喋れるのが居なくても、同じ結果があったんだろうし。
……うん。良く分からないけれど」
少し、また無言の時間が出来た。
それから、ジェルヴェーシは言った。
「……分かった。お前に付いて行く。
ここで生まれて、ここで育って来た身だが、新しく出来た喋れるという平凡を、俺はもう、捨てられない。
だから、それだけだが、お前に付いて行く」
「じゃあ、行こうか。背中に乗って」
そうして、僕とジェルヴェーシは立ち上がった。
ゆっくり、ゆっくりと、僕の中から出て彷徨っていた何かは、僕の中に戻って来た。




