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想 3

「……おい」

 ネィロがおずおずと俺を見て来た。

「何だこれは」

 自ずと怒気が混じっていた。とても強い怒気だった。

「私とカルミアの子」

 殺しそうになった。どちらかをか、それとも両方か。目の前で生まれたばかりのこの赤子を叩き潰そうとする自分の前足が、ネィロを噛み殺そうとする口を、そう動こうとする全身を抑えるのが段々と難しくなっていく。

「何故」

「戻って欲しかったの」

 ああ。

 ネィロには俺達を理解出来なかった。

 男というものを理解出来なかった。

「何故言わなかった」

「言ったって聞かなかったでしょう」

「……」

 だからと言ってこんな手段に出るとは思わなかった。

 こんな事をするとは思わなかった。

 呆れているのか、それとも混乱しているのか。声が出て来なかった。

 ネィロは俺に怯えていた。きっとこいつはもっと軽く済むものだと思っていたのだろう。

「……去れ」

「……え?」

「どっか行け。さもなければ、殺す」

「え、でも」

 前足を地面に叩きつけた。まだ自我も無い俺とネィロの二匹の子供、まだ名前も思い浮かんでないその二匹が怯えて泣き始めた。目の前の忌々しい赤子は何も分からないように何かをネィロに求めていた。

 その寸前に、俺の爪があった。岩に強く食い込んでいた。

 殺意を抑えるのがとても難しかった。気を抜けば、まずこの目の前の赤子の頭を潰しそうだった。

「去れ。これ以上……いや、カルミアは今どこに居る。教えろ」

「……何するつもり」

 殺す気で一杯になっていようが、殺すのはまずいと俺の消えつつある理性が言っていた。

 殺したら、今だけじゃない、ずっとこれから先まで自分の傷となって残ると。

「お前に言う必要があるか?」

「殺さないとだけ約束して」

「出来ない」

「なら、教えられない」

 爪を赤子の首に置いて、言った。

「これでもか?」

「……本気?」

「本気だ」

 殺すかどうかは分からない。殺したい気持ちを抑えている事だけは確かだ。

「アウッ」

 気が付けば、赤子に爪が食い込んでいた。

 ネィロがそれを見て、辛そうな声で言った。

「……西よ。ここからまっすぐ西に行った所に居るわ」

「嘘は無いな?」

「無いわ」

 じっとネィロの目を見た。嘘は本当に吐いてなさそうだった。

「じゃあ、去れ」

「……嫌よ」

「こいつも、お前も殺すぞ」

 赤子の首から血が出る。赤子が泣き叫び始めた。

 ほんの少しの間戸惑うようにしてから、ネィロは飛んだ。

「俺の子供にももう、会いに来るな。問答無用で殺す。奪おうとしても、どこまで行こうとお前を殺して奪い返す」

 ネィロは振り向かなかった。そのまま、躊躇うようにしながらも南へ飛んで行った。


 ネィロが見えなくなるまで赤子の首を抑えつけていた。赤子は泣き叫ぼうとも、ただ抑えつけていた。

 ネィロは何度か振り返って、自分がここに居るままであるのを確かめていた。

 俺がそれまでにカルミアの所へ行こうとすれば、ネィロは戻って来ていたのか。そして俺がそれを見たら、この赤子もネィロも本当に殺したのか。

 それは正直なところ、分からない。

 感情に任せたい。けれどそうしたら後悔する。

 相容れないその天秤が、最終的にどっちに傾くのか。

 赤子を爪で挟んで、西へ向かった。カルミアには、こういう形では会いたくなかったなと、僅かに思った。


―――――


 カルミアはすぐに見つかった。自分の飛ぶ速さが速かったのか、単純に意外と近い場所に住んでいたのか。それは分からなかった。

 爪で挟んでいる赤子を殺さないように堪える事だけが、頭の中の大半を占めていた。後は西へ、西へと行くべき事だけだった。

 カルミアが自分の姿を見止めた。

 ただ、待っていたように動かなかった。

 その目の前に着地して、赤子をカルミアの前に投げた。

「何を聞きたいか、分かってるよな」

「好きにしてくれよ」

 目を逸らして、心底どうでも良いようにカルミアは言った。

「……何故やった。何故お前は、ネィロと交わった」

「誘惑に耐え切れなかった」

 その即座の返事には迷いとかそう言うものが一切無かった。予めこうなる事を予想して、既に返事を用意していたかのようだった。

 実際、その通りなのだろう。

 そして、やっぱりか、とも思った。

 カルミアからネィロに持ち掛けた訳じゃない。ネィロからカルミアに持ち掛けた。

 ネィロにとっては、俺とだけ過ごす事は幸せでは無かったのだろう。ただ、俺とカルミアと、ネィロ、三匹で緩やかに過ごす事が一番の幸せだったんだろう。

 ……俺達の関係は歪だったんだろうか。

 その疑問が、俺の中の怒りを冷めさせていった。

 どうでも良くなって行った。この赤子が死のうが生きようが、カルミアがどうなろうが、知ったこっちゃない。

「……二度と顔を見せるな。どっか行け。こいつも連れてけ」

 カルミアは、無言でその赤子を背に乗せて、そのまま西へ去って行った。

 ネィロのように、振り返る事も無かった。


 姿が見えなくなってから、頭を岩肌にぶつけた。

「……くそが」

 誰が悪かったんだろうか。

 きっと、全員が悪かったんだろう。どうすれば良かったのか、どうしていたらこんな事にならなかったのか。

 ただ、断言出来る事がある。

 どういう道筋を辿ろうとも、三匹が満足出来るような事は絶対になかった。

「くそが」

 このどうしようもない感情をどうすれば良いのか、俺には皆目見当もつかなかった。

「グオオオオアアアアアッ」

 叫ぼうとも、気が晴れる事など一切無かった。


―――――


 そして今。

 その赤子が成長して目の前に居た。

 見ただけではっきりと分かった。カルミアととても似た顔つきをしていたから。

 こいつは、生まれた直後に俺が殺そうとした事など覚えちゃいないんだろう。

 気付けば、聞いていた。

「おい、お前の父親は今、どうしているんだ?」

 悲しそうに、答えた。

「もう、死んでるよ」

「え、あ、ああ」

 思いがけない返答に俺は、自分でも予想していなかった程に、驚いていた。

「……どうやって?」

 聞かずにはいられなかった。

 俺の中の、どうしようもない感情は、今でも形を残したまま残っているのだ。

 残ったまま、俺は置いてけぼりにされていくのか?

 それは嫌だった。せめて、カルミアがどうしていたか聞きたかった。

 俺は、カルミアにもう一度会いたかった事に気付いた。そしてそれはもう、叶わない。

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