--人目の被害者 クロエ
「はぁはぁ……わ、悪い。取り乱した」
「う、うむ……それは構わんが……そんなに、この姿が嫌か?」
「い、嫌という訳じゃないんだ……ただ、その姿をした女は、最悪に酷い性格をしていてな。そのことを少し、思い出したんだ」
今でも鮮明に思い出せる。リリスは、高慢で、横暴で、そして他者を顧みない奴だった。自分が優先されるのが当然、自分が欲しいものを献上するのは当たり前。何もかもが自分の思い通りになると思っている、そんな女だ。
「悪い……協力してもらう相手に、失礼だったな。姿はそのままで良い」
「そうか。なら、このままの姿でお主を殺すとしよう」
ほら、よく見ろ。その顔は不安げで、リリスとは似ても似つかない。アイツはいつも、完璧な美貌をうざったい表情で台無しにしながら、人のことを煽ってくる、そういう性格だ。こんな殊勝なリリスは、リリスな訳がない。
「して、儂は何をすれば良い? 人を殺すなぞ、意識した事も無いのだが」
「……とりあえず、もっと近付いてみるか」
俺は心の中でアレはリリスではない、と暗示をかけながら、彼女に近付いた。距離が近くなればなるほど、俺の死はどんどん早まっていく。だが、どれだけ死のうと、本当の死には至れない。
「次は……触れてみるか」
「こう、か……? ほ、ほぉ……?」
「どうした?」
「人の手というものは、温いのじゃな……初めて、知ったわ」
彼女は俺の手に触れると、その体温を確かめるように指を蠢かせた。……なんか、触り方がエロい。ひんやりとした彼女の手が触っていないところを塗り潰すように、手のひらから付け根に至るまで、それはもう情熱的に弄られた。
「……えっち」
「のぉお!? そ、そういうのは儂のセリフじゃろ!?」
「ていうか、今更だけど君は女性なのか?」
「本来、儂にそのような区分は無いが……模っている姿が女子なのだから、メスということで良いと思うのじゃ」
「言葉選びもエロいね」
「貴様……! 儂を揶揄っておるじゃろ!」
あ、なんか余裕が出てきた。リリス相手にはこうはいかない。言葉を返され、捲られ、翻され、おまけのような罵詈雑言が返ってくるのがリリスクオリティだ。
不覚にも、プンプンという擬音が似合いそうな彼女は、あのリリスの姿をしているというのに、少し可愛かった。
「とりあえず、このまま触れ続けてみようか。えっと……」
「ん? なんじゃ?」
「君、名前はあるの? リリスって呼ぶのは、ちょっと違うし」
「……名か。儂にそんなものは無い。貴様の好きなように呼べ」
外見的な特徴はリリスの物なので除外。とすれば、彼女を構成するものは何だろうか? 影、漆黒、暗闇……色々あるが、その全てを内包する言葉は、黒だろう。髪色も、リリスのものを浸食して黒髪ロングになっているし。
「じゃあ、クロエ」
「安直じゃなぁ……まぁ、好きにせい」
そうして、真っ暗闇の中、俺達は手を繋いで黙っていた。この空間は不思議なもので、立っているような、座っているような、浮いているような……そんな矛盾がずっと続いている。最初はその感覚を楽しんでいたが、ものの数分で飽きた。
「なぁ、暇だ」
「儂に言われても、何も出来んぞ」
「じゃあ、会話しよう。お喋りだ」
「……儂に会話のタネなぞ無い」
「なら、俺の話でも聞いてくれ」
そうだな……まずは、クロエの姿である、リリスについてでも話そうか。
4
その男は不思議な生き物じゃった。自らを殺して欲しいなどど、世迷い言を吐き捨てるのだ。儂が見てきた人間という生物は、もっと醜い生き物だったはずじゃ。
欲に生き、欲を膨れさせ、最後には欲に殺される。人という生き物は愚かで、醜く、卑劣じゃった。儂の世界はそうやって育ち、そうして滅んだ。人間の欲望によって、食い殺されたのじゃ。
何も居なくなった世界で一人、儂は存在していた。外を覗いても、灰と瓦礫ばかりで面白くも無い。いつからか眠り続け、そして、あの男が現れた。
「あいつ、ある時に青いバラが見たいとかほざいてな。それは自然には出来ない花だって言うのに、俺に取ってこいって命令しやがって。あの時ほど、あいつに魅了されたことを後悔したことは無かったね」
本当に、不思議な男じゃった。殺しても、死なぬのじゃ。儂を知った者、儂を聞いた者、儂を見た者、例外なく全て死に至るというのに。男は、ヘラヘラとこれまでの旅を語っておる。
儂は握った手を見た。見たことがある。人間の番い同士が、こうして愛を確かめ合っているのを。互いに顔を赤らめ、しかしその両手は離れたくないと主張するように、キツく絡み合うのだ。
此奴は男で、儂は今、女の姿をしておる。それはつまり……儂と此奴で、愛とやらを確かめているのか? ということは、これは逢い引きか?
そう思うと、何故か儂の体温が上がったように思える。姿を人の物にしているだろうか。前は感じなかった心臓の鼓動や血の巡り、体温の変化まで感じられてしまう。儂は、その変化に困惑しておった。
「……ん? どうした、クロエ。顔、なんか赤くないか?」
「にゃんでもにゃいのじゃ!!!」
「なんで猫の真似を? ……少し失敬」
「~~~~!?!?」
そう言って男は、儂の額にもう一つの手を当てた。逃げようにも、儂の手は男と繋がれていて、そもそも身体が強ばって動けなかった。なんじゃ、これはなんなのじゃ?
「おっ! 触れる面積を広げると、死亡が加速した! クロエ! 次はハグをしてみよう!」
「へぇ!?!? ちょ、ちょっと待つのじゃ! わ、儂にも心の準備というもが──」
「ほいっと……うほぉ!? 意識持ってかれるぅ~!」
「にぎゃあああぁあああ!?!? 馬鹿、馬鹿者! お主、慎みというものが無いのか!?」
男は儂に抱き着くと、その身体を歓喜に震わせた。儂は上がり続ける体温と何故か早くなる鼓動に焦りながら、男から離れようと抵抗をした。
「もぞもぞするな! くすぐったいじゃろ!」
「あぁ~? なん、だってぇ~?」
「くふぅう!? お、お前! どこを嗅いでおる! や、辞めんか!」
「めっちゃ良い匂いすんだけどー」
男は儂をがっちりとホールドしたまま、こちらの言葉が届いていないように、ただ欲望を発露させた。やはり、人間は獣じゃ。この男とて、それは例外では無かった。
「──すぅ」
「……なんじゃ、今度は昼寝か? 全く、幼児じゃあるまいし……」
男はひとしきり儂を撫で回すと、意識を完全に落とした。死んだかと思うたが、寝息を立てて折るし、心臓はしっかりと動いておった。
「ふんっ……! 離せ、このっ! ぬぁああぁあ……!!!」
意識が無いというのに、男は儂の身体を抱きしめたまま、離そうとしなかった。絶対に手放したりしないと言わんばかりに、その手は背中に回され、儂は男の胸で窮屈な思いをしていた。全く、何という無礼者なのじゃ。
「しかし……それほど、儂を失いたくないのか」
ドキリと、また心臓が鳴った気がした。何故、そのような反応をするのだろう。儂には分からない。涎を垂らして眠るこの男に感じる、この感情が何なのか、儂には分からない。
「おぉよしよし……♡ 全く、しょうがないやつじゃ……♡」
分からない。分からないが……今は、それで良いのじゃ。
儂は男の頭を撫でながら、彼の背中に両手を回した。そして足を絡め、暗闇を二人で漂い始めた。
この感情の正体を、儂はまだ、知らない。




