求愛行動
「はぁ……はぁ……! げほっ、げほっぅ……!」
無機質なコンクリートに背を預け、乱れた息を整えます。ここはさっきの場所と違って、化け物の数が多いように感じます。こうやって足を止めていると、すぐに何かの気配を感じてしまい、落ち着く暇もありません。
「おじさん……! 何処に居るのぉ……!?」
私は、勘の良い方だと自負があります。だから、こうして化け物と遭遇せずに逃げ回ることが出来ています。何となく、生き物の場所が分かるのです。
なのに……おじさんの気配は、全くしません。考えてみれば、最初からおじさんからは何も感じなかったのです。
人も動物も、目に見えない超常的な何かであろうと、大なり小なり何らかの指向性があるものです。それは、底知れない悪意であったり、人の身には余る善意であったり……そして何より、生への執着があります。
ここに居るナニカは、純粋な感情や欲望ばかりが溢れています。それは、たとえば食欲であったり、征服欲だったり……真っ直ぐなそれは、今の私には暴力と同義でしかありません。
「ひぅ……! こっちはだめ……! こ、此処に隠れよう!」
後ろと前、どちからからも気配がします。私は一つの小部屋の中に身を潜め、隅でじっと縮こまりました。
蛍光灯の音と、私の呼吸だけが聞こえます。耳を澄ませると、ドロドロとした粘性の高いものがぐちゃり、ぐちゃりと音を立てているのが分かります。
「ぃ……! ぃゃ……!」
少しずつ、その音が近付いてきます。頭を抱えて、ぎゅっと眼を瞑りますが、音は鳴り止みません。
がたがた、がたがたと身体が震えます。声が漏れないよう、自分の手で口を塞いで、心の中で必死に祈りました。どうか、どうかそのまま何処かへ行って……!
懇願虚しく、音は私の潜む部屋の前でぴたりと止まりました。私は目を見開いて、穴が開きそうなほどその扉を見つめました。辞めて、気付かないで……!
けれど、まるで私を嘲笑うかのように、ゆっくりと扉が開かれます。私はもう駄目だと、ついには涙が溢れてきてしまいました。
怪物はもう──すぐそこまで……!
「びぇえぇえん……!!! 辞めて食べないで私は美味しくないですぅ~!!!」
「おわぅ……!? なんだ、こんなところに居たのか」
「ふぇ……? あ、おじ、さん……」
「おう。何処にも居ないから心配したぞ。大丈夫だったか?」
刀を納めると、おじさんは私に優しく笑いかけてくれました。私はみっともなく泣きながら、おじさんに抱き着きました。
「ぐすっ……! おじさんの馬鹿ぁ……! なんですぐに来てくれないの……!!!」
「悪かったよ。数が思っていたよりも多かったんだ」
「ばか、ば"が"ぁ……!」
今まで感じた恐怖と反比例するように、おじさんの温もりは私の心を溶かしていきます。彼の手が私の頭を撫でると、恥じらいよりも安らぎが、私を包み込みます。
すっかりと脱力しながら、私はおじさんの身体に顔を埋めます。もう、1歩たりとも動きたくありませんでした。
「おじさん……だっこして」
「へ? いや、そしたら俺、戦えなくなっちゃうけど」
「腰抜けちゃったの。このままじゃ、立てない……」
嘘でした。もし、彼が私を放って逃げるのなら、泣きながら追いかけ回す所存でした。おじさんはしょうがない、とでも言うように息を吐くと、私を抱き起こしました。
「これで良いか? お姫様」
「うん……しばらく、こうして」
懐かしい、香りがしました。まだ歩くのも覚束なかった頃、こうして抱っこして貰ったような、そんな郷愁が私の瞼を重くさせます。
「おじ、さん……私、疲れちゃった」
「安心して寝ろ。しばらくの間は、きちんと守ってやる」
「ありがと……おじさん」
微睡みが、少しずつ意識を散らします。とん、とん、と……まるで幼児をあやすような、そんなおじさんの手が、酷く心地良いと感じてしまいました。
11
「やれやれ……さて、どうしたものか」
「すぅ……すぅ……」
俺はすやすやと眠る少女……依月の髪を撫でながら、これからのことを考えた。
この世界の脅威は、所詮は一般人でも回避可能なものだ。言ってしまえば、少し温い。もっと、足を踏み入れた瞬間壊死するとか、眼を見ただけで心臓が止まるとか、細胞レベルまで身体が分解されるとかでないと、検証の土俵にも立てない。
つまるところ、一般通過不死者である俺にとって、この世界はそれほど脅威たり得ないのだ。
「けど、見捨てるのはなぁ……」
そこで問題なのが、この少女だった。
もしかしたら、この世界にも俺を殺すかもしれないナニカが、存在するかもしれない……が。
そんなものがある場所に、この少女を連れて行くわけには行かない。しかし、置いて行けば最後、高い確率でこの少女は死んでしまうだろう。
少女を見捨てて、己が我欲を貫くか、それとも偽善を振りかざし、少女を助けるか。俺は選ばなければならない。
「むにゃむにゃ……えへへぇ、おじさぁん……」
今も俺の腕の中で丸まりながら、がっちりと全身をホールドする少女を眺める。この子は普通の、ごく平穏な世界の人間だ。俺のような落伍者と、このような世界に居るべきではない。
なら、やることは一つだ。依月を元の世界へ帰し、また旅に戻る。出来るだけショッキングな場面は見せないようにし、安易な自殺巻き戻しもしない。
彼女の言う、頼りになるおじさんを演じきることにしよう。
「というか、おじさん、か……まぁ、そうっちゃそうなんだけどさ」
案外、年若い子にそう言われるとクるものがあった。いやまぁ、老けないからといって、俺が年齢4桁の年増であることは変わりないのだから、それはそうなのだ。
でも、違うじゃん。自分で自虐するのと面と向かっておじさんって言われるのは、違うじゃん。
「おじ、ひゃん……? ろうひたのぉ……?」
「あ、あぁ……悪い。少し、自分のみみっちさを卑下してた」
「よくわかんにゃい……」
「分かんなくて良いぞー。君はそのまま、純真でいてくれ」
「えへぇ……なでなで、好きぃ」
なんか君、ぽやぽやしてない? 依月の印象は、中々知的な少女……という感じだったが、今の彼女は全体的に幼いというか……少し、あざといまであった。
「おじさん……? 手ぇ、止まってるよ?」
「はいはい……しょうがないお姫様だな」
「えひぃ……♡ もっともっとぉ……♡」
しばらく依月を撫で、止めるとまた文句を言い始め、また撫でるを繰り返した。そうして同じことを繰り返していると、遠くから俺達以外の鳴き声が聞こえた。
「っと……そろそろ行くぞ、依月」
「う~ん……抱っこ」
「はぁ……全く、仕方ない子だ」
俺は未だ寝ぼけ眼な依月を抱えて、部屋を飛び出した。その体勢はお姫様抱っこだ。これが一番、安定して持ち運べる。
「う~ん? おじ、さん……? あれ、なんか早い──ひゃあ!?」
「おっと……! あまり暴れない方が良い。服が汚れるぞ」
「おおおおおじさんっ!? これ、どういうことっ!?!?」
「化け物、追われてる、だから逃げてる」
「ひぃいい……!? 今掠った! なんか良く分かんないのが横切ったよ!」
怪我をしないように立ち回るというのは、案外難しいな。いつもは被弾上等の特攻ばかりだったので、何かを守りながら戦うというのは新鮮だ。中々面白い。
だが……少ししつこいな。一旦、ずっと追走してくる奴だけでも払うか。
「依月。少し目を閉じていてくれるか? 少しショッキングな光景だからな。君は見ない方が良い」
「わ、分かった……!」
ぎゅっと、少女が目を瞑ったのを確認してから、俺は一本のナイフを取り出した。とある技術屋が作った、悪ふざけの類い。欠陥だらけの玩具だった。
そのナイフを投げると、まるで敵を追尾するようにその刃が舞う。首元、足、顔面。生物の急所を執拗に傷付けるその凶刃は、そして持ち主の元へと返り咲く。
ザクッと、その手の平を貫通させながら。
「良し。もう、目を開けても良いぞ」
「はぁ~~……心臓、止まっちゃうかと思いましたぁ」
俺は依月に見られないよう、素早くナイフを手から抜き取って、何食わぬ顔でそれを隠した。もちろん、布を巻きつけて止血もバッチリだ。片手でも案外、やろうと思えば出来るものだな。
「ふぅ……やっぱり使えるな、コレ」
ブーメランナイフ。人を傷付けるのなら、自分も傷付けれるべき、というコンセプトの元開発したらしい、頭のおかしい武器だ。
だが言ってしまえば、戻る際必ず刃が手に突き刺さる。それだけのデメリットだ。俺にとっては無いに等しい。使い勝手も悪くないので、そこそこ愛用している。
「頭、おかしいんじゃないの? それは愚か者を嘲笑うための玩具なの! 決して実戦で使うようなモンじゃないの! 分かるの!?」
なんて、あの子ならそう言うだろうな。いつかの友人の顔を思い出しながら、俺は少し笑った。
「どうかしたんですか?」
「いや、何でも無い。先、進もうか」
「はいっ! じゃ、引き続きお願いします!」
「……何を?」
「……? お姫様抱っこの続き、です!」
……いや、なんでだよ。俺はニコニコと良い笑みを浮かべる依月の、当然だろうという顔に困惑した。君、もう歩けるだろう?
そんな俺の顔を察知したのか、依月はとても誇らしげにこう告げた。
「歩けません! まだまだ、多分3日くらいは歩けません!」
「どうしても?」
「どうしても、ですっ!」
笑顔、圧倒的笑顔。その笑みは絶対に退かない、という断固たる決意を物語っていた。俺は数秒の逡巡の後、そのまま歩き始めた。
「えっへへ……♡ じゃあ、行きましょっか」
「はいはい。お姫様の言うとおりに」
その些細な行動が、少女にとってどれだけの重荷となるのか、思いもせずに。
「あれ……? おじさん、何で怪我して……?」




