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小堀純【6】

(1)


カタンの旅立ちの日までは、本当にあっという間だった。

彼女の家族から連絡が来てからほんの3日後に退所することになってしまった。

カタンが旅立つまでの数日、私は寂しい気持ちを悟られまいといつもと変わらずに接していた。彼女は家へ帰れるのだ。こんなめでたいことはない。それなのに、わずかの間埋まっていた孤独を、また味わうことになると考えると気分は晴れなかった。

カタンは少ない荷物をまとめて、一つため息をつく。

「ふう、こんなもんかな。着の身着のまま来たから、大したものもないけど…」

今日が、迎えの日だ。

流石に私はいつも通り、というわけに行かなかった。

「…カタン…」

私が声をかけると、カタンが振り返る。

「あ、純ちゃん。用意できたよ。そろそろ時間みたい。」

カタンはにっこりと笑う。私もつられて笑った。でもその笑顔がぎこちなかったのか、カタンは首を傾げる。

「純ちゃん?…もしかして、寂しいの?」

「あ、いやいや。そんなことないよ、カタンが家に帰れるの、良かったって思ってる本当に。」

私は慌てて弁明した。

「永遠の別れって訳じゃないんだから、大丈夫だよ。きっとまた、日本に来るから!」

無邪気なカタンの様子に私は何も言えなくなってしまった。

「さて、それじゃ私、行くね。」

「待って。」

すっと立ち上がったカタンを思わず呼び止める。

「ん?」とカタンが振り向く。…呼び止めたところで、何もできないのに。シセツに預けた親が子供を連れ戻しに来た以上、誰も止める権利なんてないんだ。

「エントランスまで一緒に行くよ。」

やっと絞り出した言葉がこれだった。

「分かった、行こう。」

私達は、二人揃ってシセツのエントランスまで歩いた。


エントランスには、園江さんとカタンの母親らしき人がいた。その姿を目に捉えたカタンが走り出す。

「ママ!」

カタンが女性に抱きつくのを見ながら、私は歩みを進めた。

「カタン、寂しい思いをさせてごめんなさいね。また一緒に暮らしましょう。」

「本当に迎えに来てくれたのね!私、嬉しい!」

二人は国の言葉でそんな内容の事を話している。

この女性が、カタンを閉じ込めていた人…とてもそんな風には見えない。カタンとよく似た美貌の、キャリアウーマンって感じの人だ。

「奥さん、この子がカタンさんのお世話をしていたんですよ。」

園江さんが英語でカタンの母親に説明する。

「初めまして。」

私は彼女に挨拶をした。

「初めまして。カタンの面倒を見てくれてありがとう。とても助かりました。」

どうやらこの女性はカタンと違って英語しか話せないようだ。…おそらくカタンの方がずっと頭がいいんだろうな。賢すぎる子供、大人からすれば確かに煩わしく感じるのかも知れない。

「じゃあカタン、帰りましょう。」

「あ、あの…」

カタンの手を引こうとする婦人を、また思わず呼び止めてしまった。

「…小堀…」

園江さんがたしなめるのも気にせず、私は続けた。

「この1ヶ月間、カタンは本当にいい子でした。確かにちょっと変わった特質を持っているかもしれませんけど…もう一人にしないであげてください。お願いします。」

できるだけ伝わりやすい言葉を選んで、彼女に訴えかける。

私の声を聞いた婦人はにっこりと微笑んだ。肯定、と捉えていいのかな。

「じゃあ、純ちゃん!またきっと会おうね!!」

カタンは大きく手を振って、彼女の母親とシセツの門の外へと出て行った。

その姿が完全に見えなくなった後、私の肩を園江さんがポンと叩いた。

「また、は無いんだよカタン。だって私は、シセツの子供だから。」

さっき部屋の玄関で言いかけてやめた言葉を、やっと吐き出した。

一般人とシセツの子供、そこには大きな隔たりがある。隔たりがなくては、シセツとしての意味を成さないからだ。もうきっと、会うことはないだろう。

しばらくの間、園江さんの手の温もりに甘えた。


(2)


完全にカタンロスに陥ってしまった私は、ご飯を作る気も起こらず、かといって食欲があるわけでもなく、やることがないので食堂の座席でボーッとしていた。

「おはよう、前の席いいかい?」

突然、聞き慣れた声がしたので顔を上げる。

そこには朝食を持ったヒューゴがいた。

「うわ、純。どうしたのその顔?なんか、げっそりしてるけど。」

「あ…ヒューゴ…まだ日本居たんだ…」

「いちゃダメだったかな?ひどい言われよう。」

悪気があったわけではないが、ヒューゴには嫌味に聞こえたみたい。ごめん。

不貞腐れた表情でヒューゴが前の席に座る。

「純、朝ごはん食べたの?」

ヒューゴの質問に私はふるふると顔を左右に振る。

「朝は食べないと元気出ないよ?っていうか、完全に心ここに在らずじゃない?」

私はまた顔を左右に振る。もう、自分でも何やってるのかよく分からない。

「…なんかショックなことがあった?」

その言葉にやっと私の目の焦点が合う。

「分かりやすいね、純は。僕に話せることなら、話してみなよ。」

私は初めて頭を縦に振った。

もくもくと朝食を食べるヒューゴに、私はカタンが去っていったことを話した。

初めて来た時は車椅子に乗ったヒョロヒョロの女の子だったこと。彼女が10年も隔離されていたこと。私の手作りご飯を美味しいと喜んで食べてくれたこと。日常生活を送るための訓練に励んでいたこと。一緒に学校に通ったこと…。そんな同級生二人の生活が今日をもって終了してしまったことも。

「…そうか、純は彼女の教育係で、友達でもあったんだね。」

一通り話を聞き終えたヒューゴがしんみりと呟く。

「うん。カタンは私のこと初めての友達って言ってくれたけどさ…そんなの、私だってカタンは初めての友達だったんだよぉ」

思わず気の抜けた声が出てしまった。そのまま、ばさっとテーブルに突っ伏す。

「カタンがいないと、やる気が出ないよぉ。料理だって一人分作るのは虚しいし、学校行っても一人で過ごすようだし、あの広い家で一人もキツイ…」

とは言っても、兄が亡くなってから2年間はあの部屋で一人で生活していたわけだが。ほんのいっとき人が増えた経験をするだけで、こんなに寂しくなるなんて。

「確かにね…急に相方が居なくなるとやるせないよね。」

ヒューゴの場合、その別れが死という最悪な形で訪れたわけだから、私なんかハッピーな方かもしれない。なんか私、ヒューゴに対して酷いこと言ってるかも。

どうやってもネガティブな思考に走ってしまう私の頭の前で、突然ヒューゴがポンと手を叩いた。

「そうだ、純。今日僕もオフだし、一緒に出かけない?」

「ええ?」

私はのそっと顔を起こす。正直そんな気分じゃないんだけど…

「行こう行こう!おしゃれしてさ、デート!」

…デート。14歳と25歳がデート。アウトな匂いしかしないんですが。

「おしゃれとかよく分かんないし…」

「いいから行くの。僕が外出の手続きしておくから、11時にエントランス集合ね。」

何とか断る言い訳を考えていたが、あっという間にヒューゴに予定を決められてしまった。ヒューゴは食事を終えるとそそくさと準備に行ってしまった。

…確かに、家に居ても滅入るだけだ。出かけるか。


(3)


ヒューゴのご要望とあれば、とりあえず手持ちの中でおしゃれかなと思う服を着てみよう。それと髪もちょっとセットして…

ヒューゴは容姿端麗な男性だ。兄とヒューゴの3人で遊んだりした時は、綺麗で優しいお兄さんとして憧れていたのも事実。ここ数日で久々にあったヒューゴは少しやつれた感じはしたものの、やっぱりかっこいいお兄さんだった。それでも、私の中には不動の理想の男性は居るのだけれど…その人は手の届かない場所へ行ってしまった。

姿見で全身のチェックをする。うん、これならデートだとしても失礼がないだろう。何だかちょっとだけ楽しくなってきた。

私は早速エントランスへ向かった。が、そこにはヒューゴと意外な人物がいた。

「…なんであんたが来るのよ。」

私に睨みを効かせているのは、バチバチに黒ロリコーデを決めた端野織子だ。

一丁前にツインテールを巻いてるし、化粧もバッチリしている。こいつ小学生だよな…

「あんたこそ何でここにいるの。ガキのくせに厚化粧してさ。肌汚くなるよ?」

いつもの調子で端野に突っかかる。

「あんたなんか中学生なのにノーメイクじゃん。女としての自覚あるの?」

ぐぬぬ。ちょっと打ち解けたような気がしたけど、やっぱりこいつ全然可愛くないや。中学生はノーメイクだって構わんだろうが。

肝心のヒューゴはエントランスでの手続きで、こっちに気付いてない。

「私はヒューゴに誘われて、今からデートなんですぅ。」

こうなったらマウント取ってやる。そんじゃなくてもちっこい端野をこれでもかと上から見下ろしてやった。ところが、

「は?ゲラさんは今からあたしと出かけるんだけど?」

と端野が返して来たから私は目を丸くした。

そこへ「お待たせー」と、ヒューゴがこちらへ駆け寄ってきた。一斉に私と端野がヒューゴを見る。

「どういうこと!?」

二人の声が揃った。

「…へ?」

ヒューゴはきょとんとしている。

「ヒューゴ、私とデートじゃなかったの!?」

「ゲラさん、あたしとお出かけしようって言いましたよね!?」

私たちは口々に抗議する。ヒューゴはやっと事態を飲み込めたらしく、

「ああ、うんうん。どっちも誘ったよ。」

と飄々と答える。どういうこと???

「せっかく一緒の現場に行ったんだし、3人で出かけたら楽しいだろうなと思って。二人は仲がいいでしょ?」

?????本気で言ってる?もしかしてヒューゴは本当に私と端野が仲良いと思ってる?隣を見ると、端野がぐぬぬと言わんばかりの顔をしている。私も似たような顔してるかもしんない。

「じゃあ、行こう。車手配してるからね。」

ヒューゴはそう言うと車を玄関前に寄せるために先に出ていってしまった。

「…ゲラさんの前であたしらが醜く争うのは良くないね。」

「同意。ここは一時休戦しとこ。」

私達は協定を結ぶと、外へと出た。


(4)


運転はヒューゴが担当、私と端野は後ろの座席に座った。…気まず。

それにしても、今になってデートと言われて浮かれちゃった自分が恥ずかしい。冷静に考えて、25歳のイケメンイタリア人が日本のJCと恋人のようなデートなんかするわけないのに。何を期待していたんだ私は。チラッと横を見ると、端野も心なしかがっかりした顔をしている。アホだな、我々は。

「よーし、ここの駐車場に停めておけばどこ行くにも便利だぞ。」

ヒューゴは目的の駐車場に車を停めると、私達を車から下ろした。

「ねえ、僕いつも仕事ばかりで日本の観光地回ったことないんだよ。とりあえず、浅草行って記念撮影したいんだけどどうかな?」

ヒューゴ、私を慰めようとしていたのではなく?もしかして、本気で観光しようとしてる?

「あたし、記念撮影したい。賛成です。」

横でひょいと端野が手を上げる。こいつも今日のコーデをヒューゴと共に残したいんだな?

正直私はどこでもいい。まあ、そこの二人が楽しければいいや。


そんなこんなで、私達は雷門に辿り着いた。

巨大な提灯を見てヒューゴが目をキラキラさせている。やつれた雰囲気が心配だったから、こんな表情を見れただけでも来て良かったかも。

「写真撮ろうか?」

私は二人に声をかける。

「いいの?」

らんらんとした目で端野が私にスマホを預ける。めっちゃノリノリじゃん。

「え、純は一緒に入らないの?」

「私まで入ったら誰もシャッター切れないでしょ。いいから、撮るよ。」

私はヒューゴのスマホを強奪して、ちょうどいいアングルでシャッターを切る。もちろん、端野の分も。ふふ。身長差がありすぎて、親子みたい。そんなことを思っていると、ぽんぽんと後ろから肩を叩かれた。振り向くと、一人のおばあさんが立っていた。

「お嬢ちゃん、せっかく来たなら3人で撮ったらどう?私が、シャッター押すから。」

おそらくここらへんの店の人なのだろう、私に気を遣って声をかけてくれたのだ。

「いいんですか?ありがとうございます。」

私は素直に好意に甘えて、おばあさんに自分のスマホを預けた。2人の元に駆け寄ると「撮ってくれるって」と声をかけて、隣に並ぶ。

「はい、撮りますよー。」

おばあさんの声に合わせて笑顔を作る。

挿絵(By みてみん)

「撮れましたよ」とおばあさんが私にスマホを手渡してくれた。

黒ロリの少女と、金髪のスタイリッシュなイケメン、おしゃれを良く知らない私。並んだ写真は何だかあべこべで、思わず吹き出してしまった。

「何、なんか面白いの?」

端野が画面を覗き込む。ヒューゴも同じように画面を見た。

「…わあ…なんていうか。個性的な3人って感じだね。」

ヒューゴは他に言葉が出てこなかったらしく、おそらく配慮した上で感想を述べた。それに再度私が吹き出す。

「えー、ちょっとこの写真後でよこしなさいよ。」

「僕にもシェアして。」

どうやら2人ともこの集合写真が気に入ったようだ。

あれ?でも端野は私のこと嫌いなんじゃなかったっけ…


次に来たのは秋葉原だ。

「秋葉原?ゲラさんオタクなの?」

一番オタクみたいな格好した女が何を言っているのか。端野に突っ込みたかったけど、ここは我慢。

「ああ、オタクって言えばそうだね。ただ、電化オタクなんだけど。」

そういえば、確かにヒューゴはパソコンを自作する系のオタクだった記憶がある。新しいCPUが〜とか、メモリが〜とか、マザーボードが〜とか何とか言いながら、電気街をうろうろしている。そうこうしてると、真後ろから「キャー」と浮ついた叫び声が聞こえた。

見ると、ビラ配り中のメイドさんに端野が絡まれてる。

「本物のロリちゃんですね!可愛い〜、お化粧上手〜」

どうやらときめかれてしまったらしい。端野がオドオドしている。これは愉快。

「お姉さん、ロリィタちゃんが大好きなんです!絶対ネットに流したりしないんで、写真撮ってもいいですか?」

端野は困惑の表情のままコクコクと頷いた。ああ、ここは私の出番かも。

「あの、その子の連れなんですけど。良かったらお姉さんも一緒に撮りましょうか?」

そう、さっき浅草でしてもらった親切を私が今度はしようというわけ。

「いいんですか、じゃあお願いしますぅ」

メイド喫茶に勤めてる人はこんな甘ったるい話し方をしないとならないのだろうか。大変だな。

「はい、撮りまーす。」

端野の顔が少々ぎこちないが、まあ仕方ない。写真をお姉さんに見せる。

「わあ、本当にありがとうございます!あ、もし良かったらこれ。サービスチケットもありますので遊びに来てくださいね。」

そう言って彼女は手に持っていたチラシを私たちに一枚ずつくれた。

…。チェキ半額券。ドリンク半額券。

「あ、あの!萌え萌えキュン!ってやってもらえるんですか!?」

それまで黙りこくっていた端野が急に大声を出した。こいつ…マジのオタクやん。

「やりますよ〜。もし来てくれたら、こっそりサービスしちゃう♪」

メイドのお姉さんも商売上手だ。

それにしてもヒューゴが行方不明になってしまった。「来てね〜」と手を振るメイドさんを背に、私達はヒューゴの捜索に乗り出す。

「アカン…東京、刺激強すぎるわ…萌え萌えキュン…実在するんや…」

後ろの方で端野がうわ言のようにブツブツ言ってる。すっかり大阪弁になっちゃってるじゃん。

「大阪にだってメイドカフェぐらい存在するだろうに。行かなかったの?」

私が彼女に尋ねると、

「…あたし、観光すら初めてだよ。」

と、少し沈んだ声を漏らした。

「実家がめっちゃ貧乏でさ、8歳まで家に居たけどお出かけなんか連れてかれた事ない。」

ああ…こいつも色々大変だったんだな。シセツに預けられる子供に大変じゃなかった人なんてほとんどいないけど。

2人でヒューゴを探していると、かなりの大荷物を抱えたヒューゴがこちらへ戻ってきた。

「あー、2人ともごめんごめん。つい買い物に夢中になっちゃって…」

「…すごい荷物じゃん。何買ったの?」

私は呆れたようにヒューゴに尋ねる。

「追加のメモリと、つい欲しくて新しいキーボード買っちゃったんだ。」

…キーボードってつい欲しくなるものなのか?私にはよく分からないけど。とは言え、キーボードとメモリだけであの大袋にはならないはずだから、だいぶ買い込んだんだろうな。彼はどうやら秋葉原を満喫できたようだ。


(5)


「最後にどうしても行きたいところがあって。」

一旦車に荷物を下ろすと、ヒューゴが私達に向かって切り出す。

「行きたいところって?」

私がヒューゴに聞き返すと、ヒューゴは満面の笑みを浮かべた。

「スカイツリー!」

ああ。なるほど。確かに観光できたなら、行っておきたい場所だ。私は東京生まれの東京育ちだが、実は登った事がない。端野ももちろん行ったことがないだろう。

意見は満場一致で、早速スカイツリーへと向かった。

目指すはもちろん展望台。エレベーターに乗り込むと、想像以上に早くそこに着いた。

端野はその高さに驚き、何度もスマホで撮影をしている。ヒューゴはゆっくりと回りながら地上の風景を眺めていた。私もヒューゴを追うように展望台の中を歩いた。

ゆっくり歩いていると、端野がとある場所で立ち止まっている。

「ね、2人とも見て。ここ、床が透けてる。」

端野が指差した先の床は、一部がガラス張りになっていた。

「あたし、結構高い所苦手で無理なんだけど、2人は立てる?」

「あんた…シセツにいるのに高いの苦手って、結構致命的じゃん。」

「うるさい、怖いもんは怖いんだよ。」

私に指摘されて、端野は口を尖らせた。たまに可愛いところもあるんだよね。

私はガラスの床に立ってみる。天空から見下ろす都会は、まるでおもちゃのようで現実感がなかった。

「ヒューゴも立ってみる?」

立ってみたものの特に思う所がなかった私は、すぐにヒューゴに声をかける。

「いいよ。」

交換して、ヒューゴがその床に立つ。立つなり、

「見ろ、人がゴミのようだ!」

とヒューゴがあの名台詞を言ってきたため、

「人なんか見えない高さでしょうが。」

とすかさずツッコミを入れる。ヒューゴはひとしきり笑った後、静かに地上の景色を見つめた。

挿絵(By みてみん)

「…すごく高いね。街がジオラマみたいに見える。」

呟くように言うヒューゴの横顔は、やはりどこか疲れているように見える。

「この高さから落ちたら死ぬよね。でも、もしかしたら…地面に到着するまでの長い間、『自分は飛んでる』って錯覚するんじゃないかな。きっと、楽しいだろうな…」

一瞬、ヒューゴがガラス床に吸い込まれるんじゃないかと、ゾッとした。

ヒューゴは忌むべき能力を持っている。彼が処分した死体は凄惨な造形をしており、それ故に仲間内でも孤立しがちだった。そんな彼のバーターを進んで申し出たのが私の兄である折笠晴海だ。親友と呼べる関係だった私の兄を失ったことは、彼の内部にどんな影響を及ぼしているのだろうか。

ふと隣を見ると、端野がヒューゴを凝視している。心配?いや、そんな感じの目付きでは無いような…

気付いた時にはヒューゴが端野の目の前に近付いていた。そして、唐突に端野の手首を掴む。

「…君、今何を見ようとしていたの?」

ヒューゴが目を見開いて、端野に顔を近付ける。こんな表情のヒューゴは初めて見た。刹那、端野の呼吸が明らかに浅くなり、どっと冷や汗をかいてるのが分かる。

「良くないな。『そういう目』で人を見るのは。感心できないよ。」

ヒューゴは表情を緩めて、端野からそっと離れた。『そういう目』の意味が私には分からないけど、超能力者である2人の間では意味が通じているようだ。

「…ごめんなさい…」

端野は小さく震えながらヒューゴに謝罪する。

「うん、分かったならいいんだけど…僕はいつでも君をどうにでもできるからね?それだけは忘れないで。」

強烈な脅し文句だ。次に同じことをしたら、殺すってやんわり言ってる。それだけ、端野は私の知らないところで禁忌を犯したらしい。

「ごめん、怖がらせちゃったね。…そろそろ帰ろうか。」

ヒューゴはすっかり元の柔らかい雰囲気に戻っている。端野はまだ怯えているようだが、確かにそろそろ帰らないと。私は「行こう」と端野を促して歩き始めた。


「お疲れ様、2人の美しいお嬢さん方。今日は僕とデートしてくれてありがとう。僕はこれからちょっと用事があるから、先にゆっくり休んでね。」

そう言ってヒューゴは車寄せに停車して、私たちを下ろした。その後、彼が運転する車はまたシセツを出て行った。

エントランスに入った私達は、手続きを済ませて何となくロビーのソファに腰をかける。やはりあれからずっと端野の様子がおかしい。

「ねえ、聞いていい?」

私が端野に声をかけると、彼女は青ざめた顔を上げた。

「あんたさ、ヒューゴの何を見ようとしていたの?」

私の質問に端野はしばらく迷っていたようだが、意を決して話を始めた。

「あたしさ、オーラが見えるって言ったでしょ?でもね、近くにいる人をすごく集中して見ると…心の中が見えることがあるんだよ。」

…純粋にすごい能力じゃん。趣味が良いとは言えないけど。

「それで、ヒューゴの中を覗こうとしたってわけ?」

呆れ半分で私が尋ねる。すると、端野は素直にうなずいた。そりゃあ、ヒューゴも怒って当然だわ。

「で、なんか見えた?」

ここからは単純に私の興味本意だ。端野もヒューゴが人に言えないようなことを考えてたら、私には言わないだろう。

「…見えた…けど、見えなかった。」

彼女は困った表情で答える。

「真っ暗なの。黒い…ホコリ…髪の毛…?みたいなので埋め尽くされてて。」

…何それ。ヒューゴの中身がそんな意味不明なものなの?

「余計なお世話ってわかってるけど、あんたさ、ゲラさんのこと、気をつけた方が良いよきっと。」

不意に端野が真顔でアドバイスをしてくる。確かに余計なお世話です。

「あの人、すごく深いところにいる。関わらない方がいい。」

「あーそう、前はカタンのこと馬鹿にして、今度はヒューゴに対してそういうこと言うのね。」

私はムッとした。ヒューゴのことなら私の方がよく知っている。放っておいてくれ。

「悪い人ってわけじゃないんだけど、危険なんだよ。」

「そんなことは百も承知です。何年付き合いがあると思ってんのよ。」

「そっか…じゃあ、せめてうまく付き合っていって…」

端野は少しがっかりした表情でそれだけ言った。てか、この子は私を嫌いと言っておきながら何でこんなに世話を焼こうとするんだろう?不思議で仕方ない。しばらくすると、彼女の顔に赤みが戻ってきた。

「小堀純、そういえばあの金髪女居なかったけど、どうしたの?」

うっ。せっかく観光して気晴らししたって言うのに、今更それを聞いてくるか。

「…彼女なら、今朝親が迎えにきて帰ったよ。」

仕方なく答える。これから一人の自宅に戻るって言うのに、しんどいこと言わすなよ。ふと見ると、端野が歪んだ笑みを作っている。

「ふうん、金魚のフンがなくなって良かったじゃん。しかも、武井さんも入院中で?ご愁傷様。」

…こいつ。何言いだすかと思ったら…!

「私はカタンをそんな風に思ったことないし、無関係な人間に言われたくない。」

「ああ、それでか。ゲラさん、あんたを慰めようと連れ出してたんだ。」

それはそうかもしれないけど、わざわざ口に出す必要ある?

「これで安定の一匹狼の小堀純に戻れるじゃん、おめでとう!」

気が付いたら、手が出ていた。頬を平手打ちしてしまった。

力加減はしたが…小柄で軽い端野の体はソファから大きく転がり落ちた。想像以上の衝撃に、端野は呆然としている。

「あんたは、なんの恨みがあって私にそんなに突っかかるわけ?嫌いなら関わって来るなよ!」

我ながら最もな意見だと思った。

少しでも歩み寄れると考えていた私が馬鹿だったんだ。この子は、正真正銘底意地の悪いクソガキだ。

「それに…私も好きで一人なわけじゃない。」

少し冷静さを取り戻した私はそう付け足す。私と歩みを共にできる兵士はレアなのだ。気がついたら、私は先鋭と呼ばれる部類に属していた。一人で先頭を進む恐怖をこの女は分かっていない。

「…もう、うんざり。二度と私に話しかけないで。」

未だに叩かれた衝撃から立ち直れない端野にそう吐き捨てると、私はその場を後にした。

一人の家でもいい。

帰ろう。

これでいいんだ。


7話目です~。もうそろそろ折り返し地点かもしれません。是非引き続きよろしくお願いします。

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