37.その言葉は
「レイナ。本当に、ハミルトンでいいのか?」
ルース王子の言葉に、レイナは目を瞬かせる。
婚約式こそ開かなかったが、ハミルトンと正式に婚約を結び、その報告のために王宮を訪れていた。
謁見を前に、入り口まで迎えに来てくれたルース王子に、ふいにそう尋ねられたのだ。
(その質問は、逆じゃないかしら?)
「本当にレイナでいいのか?」
――そうハミルトンに問うなら、まだわかる。
ハミルトンは、長年ルース王子を支えてきた補佐官だ。
その優秀さは、誰よりもルース王子自身がよく知っているはずだ。
高い防衛結界で王宮と大神殿の安全を守る、この国随一の魔法使い。
重鎮たちにも平然と意見するせいで、国の政治すら動かしている――なんて噂もあった。
さらに、整いすぎるほどの顔立ちを持つ男。
あの世界で普通女子だったレイナとは、大違いだ。
もちろんレイナも、この世界では〈予言の聖女〉として、大きな肩書きを持っていることは自覚している。
けれど、見た予知夢をいつまでも怖がり、祈りの時間を面倒がり、あまり深く物事を考えようともしない自分だ。
ハミルトンの方こそ、レイナにはもったいないくらいの人だ。
「はい、もちろんです」
そう答えながらも、ほんのわずかな違和感が、胸に引っかかった。
「当たり前ではないですか。私ほどレイナに相応しい男はいませんよ。――私たちは、とても、深く愛し合っているのですから」
ハミルトンが、指を絡めた手を持ち上げる。
レイナの薬指にはめた誓約の指輪を、ルース王子に見せると、彼が眉根を寄せた。
(ちょっと!ルース様も引いてるじゃない!)
いたたまれない思いにカアッと顔が熱くなる。
王宮という場所でも、そういうことを平然とした顔で話すところはどうかと思う。
それでも、迷いなく言いきってくれるのは、少し――いや、かなり嬉しいと思ってしまう。
「そうですよね、レイナ」
「はい……そうですね」
(だから、私に振らないでよ!)
心の中は暴れながらも、小さく頷いた。
王宮でのろける二人に呆れてしまったのだろう。
ルース王子は、軽く息をついたきり、それ以上何も言わなかった。
* * *
「レイナ様。本当に、ハミルトン様でいいんですか?」
「……ハミルトン様、ですよ?」
それは、初めて会うハミルトンの部下たちに囲まれて、かけられた言葉だった。
レイナは今、魔塔に来ている。
ここは、ずっと行ってみたいと思っていた場所だ。
『どこか行ってみたいところはありませんか?婚約記念に、旅行でもしませんか?』
そうハミルトンに聞かれて、迷いなく答えた場所だった。
せっかくの記念に、行きたい場所が職場だったのが残念だったのかもしれない。
あのときのハミルトンは、『魔塔に……?』と答えて黙ってしまった。
けれど、なんだかんだいっても優しい彼は、こうして魔塔に連れてきてくれた。
魔塔は、魔法使い以外は足を踏み入れたことがないと言われる場所だ。
そんな神聖な場所に現れた部外者のレイナだが、魔法使いたちは、拒むことなく受け入れてくれた。
「お仕事中にごめんなさいね。ハミルトンと婚約したので、皆さんにご挨拶をしたくて……。これ、よかったらどうぞ」
手作りのブローチサイズのぬいぐるみとお菓子を差し出すと、あっという間に魔法使いたちに囲まれた。
「わぁ〜ベアゴンだ!」
「私はネズガリよ!」
「わぁ〜ニャロニャロだ!」
わぁ〜わぁ〜と、ミニぬいぐるみを手にして喜ぶ魔法使いたちが可愛い。
ミラとキッカが、『みんな羨ましそうに見てくるんです』と話していたが、魔法使いたちはぬいぐるみが好きらしい。みんな、あっという間に名前をつけてくれていた。
そんな和やかな雰囲気の中でかけられたのが、「ハミルトン様でいいんですか」という言葉だった。
その言葉に既視感を覚えて、レイナは目を瞬かせた。
「何を言っているのですか。当たり前でしょう?私たちは、とても、深く、愛し合っているのですから。私ほどレイナに相応しい男はいないと――お前たちが一番分かっていると思っていましたが……残念ですね」
ハミルトンがゆっくりと顔を向けると、魔法使いたちはぴたりと口を閉ざした。誰も、視線を合わせようとしない。
(ちょっと!みんな引いちゃったじゃない!)
恥ずかしさに頬が熱くなる。
どうして職場で、そんな平然とした顔で惚気ることができるのだろう。
「あの……みなさん、お菓子もどうぞ。ハミルトンが魔法で出してくれたものですが、すごくおいしいですよ」
そう言って勧めたお菓子だが、そろって顔を振る彼女たちの笑顔が、どこか引きつっているように見えた。
やはり、引いてしまったようだ。
誰もハミルトンの方を見ようとはしない。
「ダイエット中なので!」
「私もです!」
「私もダイエットです!」
みんな、ダイエット中だった。
可愛い女の子たちは、美意識が高いらしい。
* * *
「私のニャロニャロだ……」
小さな飾り物を握りしめ、ルナはほうっと息をついた。
三角の耳と、長いヒゲを持った黄色いそれは、レイナ様の手作りだ。
今日は念願叶って、レイナ様に会うことができた。その上、こんな魔物の飾り物までプレゼントしてくれるなんて。
ミラとキッカのものより小さいけれど、そんなことはどうでもいい。
長年憧れてきた聖女様の手作りなのだ。大切にしたいと思った。
「私のベアゴンの方が可愛いわね」
ニャロニャロに見惚れていたところに、ライラが横から口を挟んできた。
(ほんと、すぐそういうこと言うんだから)
ベアゴンなんて、丸耳の緑の魔物なのに。
「私のニャロニャロの方が可愛いもん」
言い返すと、ライラはむうっと口を尖らせた。
ルナは、ニャロニャロをそっと撫でる。
「でもさ、レイナ様が優しいってほんとだったのね」
ふと思い出して言うと、ライラが大きく頷いた。
「それ、私も思った!あんなに素敵な聖女様なのに、本当にハミルトン様でいいのか、不思議よね」
「……うん」
ルナも小さく頷いた。
「そう思って聞いただけなのに、すぐ怒るんだから」
「嫌な魔力だったよね。どうしてハミルトン様なんだろうって、みんな思ってることなのにね」
『お前たちが一番分かっていると思っていましたが……残念ですね』
あのとき向けられた視線は、ぞっとするほど冷たかった。
あれは絶対、後で何かしようとしていた。
魔獣の群れとかに飛ばされても、おかしくない。
「あのお菓子もヤバかったね」
「あんな魔力まとってるお菓子、怖くて食べられないよね」
ルナはもう一度、小さく頷く。
レイナ様が差し出してくれたお菓子。
そこからは、禍々しいほどのハミルトン様の魔力が漂っていた。
それに――
『みな、仕事中ですから。そろそろ帰りましょう』
そう言って、すぐにレイナ様を連れて行ってしまった。
余計なことを話されたくなかったのか。
それとも、自分以外に興味を向けられるのが気に入らなかったのか。
(ほんと……)
目つきが悪くて、狭量で――嫌な上司だ。
「レイナ様は、本当にハミルトン様でいいのかしら……?」
何度も胸に浮かんでいた疑問を、ルナは小さく呟いた。




