38.ハッピーエンドな予感
「レイナさん。本当に――ハミルトンでいいのかい?」
そう声をかけられ、既視感にレイナは目を瞬かせた。
(この世界では、婚約の挨拶なの……?でも……)
婚約の報告をするたびに、同じ言葉を聞いた気がする。
『この人でいいのか』という言葉は、挨拶のようなものなのかもしれない。
それでも――目の前に立つその人に尋ねられると、何か意味があるのではないかと勘繰ってしまう。
彼は、ハミルトンの父親だ。
『みな、仕事中ですから。そろそろ帰りましょう』
そう言われて、屋敷に戻ろうとしたときに、呼び止めたのは、彼だった。
『君――レイナさん。私はハミルトンの父で、魔塔主をしている者だが、少しいいかな?』
ふいに穏やかな声をかけられ、思わずその顔を見つめてしまう。
濃い紫色の髪に、琥珀色の瞳。
端正な顔立ち。
ハミルトンより少し優しげな顔立ちだが、きっと年を重ねたらこんな感じだろうなと思えるほど、似ていた。
その穏やかな眼差しの奥に、どこか冷たいものが潜んでいる気がした。
紛れもなく――彼はハミルトンの父だった。
ハミルトンは家族のことを話したことがない。
国が荒れていた時代、有事の際に、多くの魔法使いたちが亡くなったことを聞いていた。
辛い過去に触れるかもと、尋ねたことはなかったが――どうやら、ハミルトンの父は魔塔主らしい。
まさかこんなところで、ご家族に会うとは思ってみなくて、レイナは驚いた。
驚きすぎて、ハミルトンがチッと舌打ちしたような気がしてしまったほどだ。
『本当にハミルトンでいいのかい?』とかけられた言葉に不安になる。
(ハミルトンのお父様は、結婚に反対なのかしら……)
レイナは〈予言の聖女〉ではあるが、自分に及ぶ危険ひとつかわすことができない、ただの人だ。
容姿だって、この世界では好意的に受け止められることが多いが、少し目尻が下がった普通顔だ。
飛び抜けたものなんて何ひとつ持たない、普通女子だった。
「あ……いや、違うんだ。決して、反対しているわけでなく、少し――気になっていたんだよ。言っても聞かないやつでね。ほら、息子はこんな感じだろう?」
気持ちが顔に出ていたのだろうか。
ハミルトンの父が、苦笑しながら手を振った。
「こんな……ですか?」
意味がよくわからず、思わず呟く。
「ほら、男だからって、親の私にさえ、君に会わせようとしないような男だよ?――助けは必要じゃないかい?」
「助け……ですか」
「レイナ。こんな男の言うことなんて、気にすることはないですよ。魔塔にこもって、少し頭がおかしくなっているのでしょう」
すぐにハミルトンが口を挟み、レイナの前に立った。
視界が、その広い背中に遮られる。
「あの……」
(お父様の顔が見えないんですけど)
トントンと、ハミルトンの背中をたたく。
――どいてくれない。
「ハミルトン、お前のそういうところだ。もし、レイナさんが異世界に帰りたがっているなら、ちゃんと返してあげなさい」
ハミルトンの背中越しに聴こえた言葉で、はっと気がつく。
お父様は、レイナのことを心配してくれての声かけだったようだ。
やっぱり、ハミルトンの父親だけあって、優しい人なのだろう。
もう一度、トントンと、ハミルトンの背中をたたく。
それでも、彼はどいてくれない。
「あの……お義父様。お気遣いいただいて、ありがとうございます。でも、私はハミルトンのそばにいたいと思っています。それに……」
先日見た夢が、ふと脳裏をよぎる。
夢の中で、幼い子どもたちが楽しそうにはしゃいでいた。
濃い紫色の髪をした姉弟だった。
「今から、おじいちゃんとおばあちゃんの家に行くんでしょう?」
「カレー!カレー!」
元気よく、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「いいですか。絶対に、魔法は使っちゃだめですよ。髪色も、黒髪のままにしておくのですよ」
「そうよ。こっちのおじいちゃんと違って、向こうのおじいちゃんとおばあちゃんは、魔法を使うと驚いちゃうから。気をつけてね」
子どもたちの濃い紫色の髪が、視界の端に揺れていた。
広い背中に遮られて、みんなの顔ははっきりとは見えなかったが――
あれは、自分たちの声だった。
ほんの一瞬だけの夢だったが、あれは予知夢だったのだろう。
『こっちのおじいちゃん』と夢の中で呼んでいた相手は、今目の前にいるこの人だったのだ。
家族の話をしたことがないハミルトンのことを、てっきりご両親を亡くしていたのかと思い込んでいた。
だからこの夢は、予知夢ではなく、ただの夢だと思っていたのだ。
(あれは予知夢だったのね)
この先も、レイナは家族に会えなくなるわけではないらしい。
あの予知夢は、きっと――この先の私たちだ。
子どもが二人いる未来なんて、恥ずかしくてハミルトンに話すことはできないが、レイナはすでに幸せな未来を知っている。
「それに、私はハミルトンに相応しい人でありたいと思っています。私たちは……深く、とても愛し合っていますから」
ハミルトンに言われて、嬉しかった言葉を、そのまま彼の父へと返す。
(でも……)
これは、ものすごく恥ずかしい。
(ちょっと……なんでこんなこと、平然と言えるのよ……!恥ずかしすぎるじゃない!)
心の中は、これまでにないくらいに暴れていた。
誰も、何も答えてくれない。
(ちょっと!なんとか言ってよ!)
頭の中が一気に熱くなる。
しんと静まり返った空気の中で、心臓の音だけがやけに大きく響く。
いたたまれなさに、思わず視線を落とした。
この世界でのレイナは、〈予言の聖女〉だ。
友好国からの裏切りの襲撃。
川の氾濫や飢饉といった自然災害。
ときには、誰かの秘密を暴いてしまうようなものまで。
そのすべてが、夢として現れる。
外れることのない予知夢のせいで、レイナは常に危険と隣り合わせだった。
嫌な思い出の多い、好きになれない世界だと、ずっとそう思っていた。
けれど今は違う。
ハミルトンがいる。
背中に置いた手に、かすかな震えが伝わってくる。
それはまるで――溢れそうな想いを、必死に押し留めているようだった。
視線を落とした先に、彼の腰に下げられた、グレーの垂れ耳のうさぎが揺れていた。
(あ……)
思わず、少しだけ口元が緩む。
怒ると怖い彼だけれど――
優しくて、かわいいところがあり、そしてとても愛しい人だ。
何も答えてくれない彼の背中を、そっとさすった。
最後までお付き合いいただいて、ありがとうございます!




