32.王宮にて
「異世界に戻ったと報告を受けて、心配していたんだが……戻ってきてくれてよかった」
隣を歩くルース王子が、ほっとしたように息をつく。
「また会えて嬉しいよ。レイナが王宮に来るのは、久しぶりだね」
その言葉に、レイナは少し考えた。
王宮の訪問は、ルース王子とカトリーナの婚約式の日以来だった。レイナにとっては、実に6年ぶりになる。
「そうですね……。もう、6年ぶり近くになりますね」
少し懐かしさを覚えながら、微笑んで答えた。
「6年……」
ルース王子の言葉が、わずかに途切れる。
その声音には、わずかな戸惑いが滲んでいた。
「……いや、そんなことより。〈予言の聖女〉が戻ったと聞いてね。本来なら、正式な場で挨拶を受けるべきなんだけど」
ルース王子は、柔らかく目を細めた。
「――形式ばった場じゃ、ゆっくり話せないから」
確かに、重鎮たちが控える謁見の場では、ゆっくり話などできないだろう。
(こうして迎えに来てくれるなんて……その間に話せるように、気を遣ってくださったのね)
レイナはそう考えて、小さく頷いた。
謁見の間へ向かう途中、ルース王子は回廊へと進路を変えた。
回廊に差し込む風が、ふわりと花の香りを運んできた。
思わずレイナは足を止める。
視線の先には、パステル調の花々が咲き誇る庭園が広がっていた。
「ここは……」
「レイナは、ここからの景色が好きだろう?」
ルース王子は、当たり前のように言った。
「そうですね。ここは、思い出の場所ですから」
「レイナが王宮に来たときは、よくここで遊んだよね」
ルース王子が目を細める。
二人で遊んだころを思い出しているのだろう。
「本当に素敵な庭園ですよね。可愛い色の花ばかりで」
やわらかな空気が、ふたりの間に流れる。
「私の屋敷の庭園は、ここより広いですよ」
その空気を断ち切るように、ハミルトンが口を挟んだ。
「それに、もっとたくさんの色の花が咲いてます」
「ハミルトン。レイナは今、僕と話している」
一瞬、空気が張り詰めた。
ルース王子の声には、わずかに不機嫌な色が滲んでいた。
「ああ、すみません。つい――婚約者である私に話しかけたのかと思いまして」
それでも、ハミルトンは気にする様子もなく言葉を続ける。
「レイナは毎日、その庭園でお茶を楽しんでいますよね」
ハミルトンがにっこりと微笑む。
微笑みながらも――彼の機嫌が少し悪いことには、レイナも気づいていた。
ルース王子に向ける視線が、どこか冷ややかだ。
「そうですね……」
答えながらも、レイナは内心ひやりとしていた。
昨日この世界に戻ってきたばかりのレイナは、ハミルトンとゆっくり話す間もないまま、今朝を迎えていた。
それでも彼は、朝食の席で『昨日のうちに、仕事は片付けました』と話していた。
だから、今日こそはゆっくり話せると思っていたのに――
朝から王城訪問の要請が入ったのだ。
〈予言の聖女〉が戻ったことへの挨拶を、という話らしい。
『この程度の招待、気にする必要はないですよ』
招待状を見ながらそうハミルトンは話していたが、いくらこの国随一の魔法使いといえど、王家を軽んじることは、彼にとって得策ではないはずだ。
レイナは、『挨拶だけ済ませて、すぐに帰りませんか?』と声をかけていた。
レイナだって、ハミルトンとの時間がほしいと思っている。
昨日、彼が言いかけたことだって、ちゃんと聞きたい。
こうして回廊を歩きながらも、どこか落ち着かない気持ちのままだった。
それでも――
ルース王子とは長い付き合いなのだろうが、ハミルトンのそのあからさまな不機嫌さは、やはりあまり良くない気がした。
ルース王子の表情が、わずかに険しくなっている。
(話題を変えなきゃ)
「ハミルトンの屋敷の庭園はもちろん素敵ですが、王宮の庭園には深い思い出がありますから」
そう言ってルース王子に声をかけると、ふっと表情が和らいだ。
「私の、この世界での最初の記憶は……きっと、ここだと思うんです」
あのころは幼くて、場所ははっきり覚えていないけれど、この花々だけは覚えている。
それは鮮明な記憶だった。
「可愛い色の花々が、花吹雪のように舞っていて……本当に、夢みたいにきれいでした。元の世界に戻っても、あのときの風景だけは、ずっと忘れられなかったんです」
幼いころは、危険の多いこの世界を、怖い場所だと思っていた。
それでもあの風景があったから、ここへ来たい気持ちがあったのだと思う。
「覚えていますか?あのとき――一緒にいたのは、ルース様ですよね。あのときの子に、もう一度会いたいって……元の世界でも、ずっと思っていました」
花吹雪が舞う中で見た、一人の男の子の姿も、今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。
可愛い色の花束を作ってくれた。
きっとあのころの自分は、あの子のことが好きだったのだと思う。
「――それは、私ですが」
「え……?あ、いえ、その……」
突然に挟まれたハミルトンの言葉に、レイナは戸惑う。
彼は時々、張り合うようなことを言うが、さすがにそれはない。
「あの……同い年くらいの男の子でしたし……」
――それは、ハミルトンではない。
「レイナは……あの時を覚えていてくれたのですね……!」
ハミルトンが噛み締めるようにその言葉を口にし、顔を輝かせる。
その様子に、レイナは言葉を失った。
言葉を返せないまま、彼を見つめるしかない。
「あれは、私です。5歳のときに、確かに私はレイナとここで会いました」
「それは……」
それは、おかしい。
レイナが5歳だったころ、7歳年上のハミルトンは12歳だったはずだ。
何度も世界を行き来する中で、多少の時間のズレはあったかもしれない。
それでも、ずれていたとしても、せいぜい1、2年のはずだ。
「私です。よく思い出してください。庭園に咲く花が、花吹雪になるはずがないでしょう?あれは、私の魔法です。
あのとき、私は父に連れられて王宮に来ていました。
――ですが、ひどく面白くない気分でしてね。
花畑をめちゃくちゃにしてやろうと、魔法で花を飛ばしていたのです」
「え……」
今、とんでもない話を聞かされた気がする。
どこから考えたらいいのだろう。
面白くない気分だったから……?
花畑をめちゃくちゃに……?
王宮の、花畑を……?
あの舞い散る花吹雪は、魔法……?
「え……?」
王宮にいる男の子は、ルース王子だけだと思い込んでいた。
あの子は、ハミルトン……?
出会ったとき、同い年だった……?
(え……?)
頭が混乱して、言葉がうまく出てこない。
「――ルース王子。やはり、婚約者同士で先に話すべきでしょう。レイナが戻ってきたことは、ご確認いただけましたし」
「え……」
「では。失礼します」
ハミルトンがうやうやしくルース王子に礼を取る。
その直後、レイナの腰を掴んだ。
「え、待って。ハミルトン、謁見は――」
さすがに謁見を無視するわけにはいかない。
声をかけた途端、空間がぐらりと歪んだ。
――転移魔法だ。
(ちょっと――!)
声にする間もなく、視界が揺れた。




