31.レイナにとっての日常
この世界に戻った、その日の午後。
屋敷の庭園で、レイナは静かにお茶を楽しんでいた。
10ヶ月ぶりの日常に、どこかほっとした。
きっと、ここでの日々こそが、いつの間にかレイナの日常になっていたのだろう。
元の世界で過ごした、あの不安だった時間の方が、遠い夢のように感じられた。
レイナは小さく息を吐き出した。
「エドガーさんも、すみません。大変お騒がせしました」
「いいえ、お気になさらないでください。本当に、よくぞお戻りくださいました」
執事のエドガーが、深く、しみじみと呟きながら紅茶を差し出す。
ハミルトンは、どうしても片付けなければならない仕事があると言って外出していた。
結局、今までのことはきちんと話せないままだったが
――それでも、仕事なら仕方がない。
「若様は、それはもう大変な取り乱しようでしたから。一時はどうなることかと私どもも案じておりましたが――こうして再びお会いできて、心より安堵しております」
エドガーが、感極まったようにハンカチでそっと目元を抑えた。
完璧な執事である彼にさえ、とても心配をかけてしまったようだ。
「それにしても――」
エドガーの視線が、すっとレイナの傍らに向けられる。
「泣きつかれたからといって、キッカまで護衛に付けずともよろしかったのですよ。あのような騒がしい二人がいては、レイナ様も落ち着かないでしょう。……お望みでしたら、もっと分をわきまえた者を配置することもできますよ」
エドガーの言葉に、ミラとキッカがびくっと肩を揺らした。
顔を寄せて小声で交わしていた内緒話が、エドガーの冷ややかな視線に射抜かれて、ぴたりと止まる。
二人はそっと顔を離し、視線を逸らした。
「賑やかで、私は好きですよ。ミラも、お友達がいた方が退屈しないでしょう?」
「レイナ様!私は別に退屈なんて――」
「騒がしいですよ」
間髪入れずに、エドガーが言った。
ミラの反論は、あっさりと遮られる。
その冷静な物言いは、かつて補佐官だった頃のハミルトンを思わせた。
その思い出が、今はただ懐かしい。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
ハミルトンのことを思い浮かべると、つい先ほどの会話がよみがえった。
「ハミルトンから聞きましたが、私がいない間、王都は色々と大変だったみたいですね」
この10ヶ月の間、王都は度々、暴風や豪雨に見舞われていたらしい。
ハミルトンは、その修復作業に駆り出されているようだった。
「相変わらず、国はハミルトンばかりに修復を任せているんですね。いくらなんでも、任せすぎじゃないかしら」
「若様の未熟さゆえに招いた被害ですから。修復に向かうのは当然でございましょう」
レイナの言葉に、エドガーが微笑んだ。
やはり、自然災害であろうと、王都の結界を預かる者の責任は免れないらしい。
(でも……それでも、やっぱり不公平だわ)
そう思ったとき、エドガーがかすかに笑みを浮かべた。
「国や神殿は、命令や祈りはしても、所詮何もできない者たちですから」
それはとても辛辣な言葉だったが、正論でもある。
レイナは、曖昧に頷くことしかできなかった。
夜寝る前のおしゃべりに、今夜からはキッカも加わった。
嬉しそうに頬を染めるキッカを眺めると、腰のベルトに小さなぬいぐるみが付いているのに気がついた。
「あら……?キッカ。ラビガイちゃん、小さくしたのね」
「はい!いつでも一緒にいようと思いまして!」
元気よく答えるキッカが可愛らしい。
元の世界の部屋に飾っていた、あのうさぎのぬいぐるみが、よほど気に入ったらしい。
どうやら魔法でミニサイズにしたようだ。
「大切にしてくれて嬉しいわ」
そう声をかけると、キッカの顔が明るくなった。
キッカはその笑顔のまま、ミラへと視線を向けていた。
けれど、ミラの眉間にはむうっとしわが寄った。
どこか不満そうだ。
ミラもぬいぐるみが欲しいのかもしれない。
「ミラもそれ、気に入ったの?お揃いのラビちゃん、作る?まったく同じにはできないかもしれないけど……」
元の大きさのぬいぐるみは無理だけど、キッカが持つ大きさくらいなら、なんとかなりそうだ。
「え……!ほ、欲しいです……!」
ばあっとミラの顔が輝いた。
「キッカのラビちゃんは水色だから……ミラのラビちゃんは、ピンクにしようかしら?」
「ピンク……ミミゴン……」
ミラが、小さく呟く。
どうやら、もう名前を付けてくれたらしい。
「ミミゴンちゃん?可愛い名前ね。明日エドガーさんに材料をお願いするから、少し待っててね」
そう話して、微笑んだ。
お揃いのぬいぐるみを大切にしてくれる、仲良しの二人は、レイナの可愛らしい護衛たちだ。
「性格もそうだけど、二人ともすごく可愛い顔立ちよね」
まじまじと二人の顔を見つめる。
少しだけ目尻の上がった瞳は、どこか子猫のようだ。
キッカもミラも、よくこうしてじっと見つめ合っているけれど――
その仕草さえ、可愛くて仕方がない。
ハミルトンとはまだ、ちゃんと話せていない。
それでも、彼が自分を想ってくれていることは、もう分かっていた。
けれど、魔塔でもこんなに可愛い子たちに囲まれているのかと思うと、少し心配になる。
「ハミルトンは、魔塔でも人気でしょう?」
思わず、探るような言葉が口をついて出た。
その瞬間、二人の顔が強張った。
何も言ってくれない。
――どうやら、気を遣わせてしまったらしい。
「……あの、顔立ちですから……」
しばらく黙ったミラが、おずおずと口を開いた。
キッカも、無言のままこくこくと頷いた。
「あ、そうよね……」
レイナも小さく頷きを返す。
あれだけ整った顔立ちなのだ。人気がないはずがない。
しん……と部屋に静寂が広がる。
「あの、レイナ様!確かに見た目だけだと、ルース王子の方がかっこいいかもしれません!でも、」
「え?ミラ、ルース王子が好みなの?」
意外だった。
ルース王子は、確かに目元が下がった優しそうな顔立ちだが、あまり「かっこいい」という印象ではない。
「え?あんな弱そうな……いえ、好みではありません。でも、女の人にはすごく人気ですよね」
「顔だけですけど」
ミラに、キッカも言葉を重ねる。
どうやら二人は、大人の男性のハミルトンよりも、少年のような顔立ちのルース王子の方が、親しみを持てるらしい。
二人は、男性の好みも似ているようだった、
「ふうん……?そうなのね。私は、ハミルトンの方が素敵だと思うけど」
好みを教えてくれた二人に、少しだけ恥ずかしさを覚えながら、自分の思いを口にした。
ハミルトンを素敵だと思っている人は、きっと多い。
けれど、素敵なのだから仕方がない。
「え……」
「え……」
驚いたような声が、二人分重なった。
「二人は本当に仲良しね」
「仲良し……」
「仲良し……?」
小さく笑うと、二人は不思議そうな目でレイナを見つめていた。
レイナの護衛たちは、子猫のように――とても可愛らしい。
おまけ
〜ミラの討伐劇場〜
ミラの足元に現れたのは、ピンク色の肉塊のような魔獣。
毛ひとつ生えていない、湿った皮膚。
頭部から伸びる2本の長い角。
——ミミゴンだ。
「えい!」
次の瞬間、ミミゴンは消えていた。
ミミゴンなど、ミラの敵ではない。




