24.この世界と、あの世界
あれから10ヶ月。
いくつもの季節が巡り、時間は確かに流れた。
それでも――麗奈は、この世界にいる。
朝起きて、学校に行き、時おりバイトに入り、帰ってきて眠る。
そんな日々を、淡々と繰り返している。
麗奈はもう、夜寝る前に祈ったりしない。
強く祈るほど、目を覚ましたときの失望が大きくなる。
祈っても、何も変わらない。
それなら、祈らない方がましだ。
あれだけあの世界を求めたのに、戻ることができなかった。
そんなことは今までなかった。
麗奈はきっと、あの世界での役割を終えたのだ。
世界を結んでいた繋がりは、すでに切れたのだろう。
それでも――
それに気づきながらも、それでも半年は望みを捨て切れなかった。
半年。それは、あの世界で過ごした時間だ。
ハミルトンに想いを重ねていったものと、同じ時間。
その時間と同じだけ、麗奈は諦めきれずにいた。
(もしかしたら、明日……)
(今日はダメだったけど、今夜なら……)
会えないことを知りながらも、願い続けていた。
でもその半年が過ぎ、さらに数ヶ月。
当たり前のように過ぎていく時間に、次第に心がすり減っていった。
麗奈はこの世界で年を重ね、すでに20歳を迎えていた。あと数ヶ月もすればまたひとつ歳を重ねる。
心の中は23歳だった麗奈は、じきに25歳になる。
――あの世界でのハミルトンと同い年だ。
苦しい思いを誰かに聞いてほしくても、あの世界のことは話せない。
話したところで信じてもらえるはずはない。気味悪がられるだけだ。
だから、麗奈は現実に目を向けることにした。
勉強し、バイトをして、友達と過ごす。
もう、あの世界については考えない。
あれは、長い夢のようなものだったのだ。
「ただいま」
――返事がない。
「あ……そっか。今日、お母さんいないんだっけ」
今日は午前中で講義が終わった。バイトもない。
寄り道もせず帰った家は、しんと静まり返っていた。
今日、母は友達と映画を観に行くと話していた。
『悪いけど、夜ごはんお願いね。材料は買ってあるから』
母からの、今朝の言葉を思い出す。
(……先に作っちゃおうかな)
先にやるべきことを済ませてから、ゆっくりしようと思い、そのまま夕食作りに取り掛かる。
「夜ごはんお願いね」の日は、カレーと決まっている。
飴色になるまでじっくりと玉ねぎを炒めた、麗奈の作るカレーは、家族のお墨付きだ。
時間をかけて引き出した甘みが、いつものルーをぐっと贅沢な味にしてくれる。
玉ねぎを炒めながら、ふと思いつく。
(あとでアイスも買いに行こうかな。カレーのあと、美希は『アイス食べたい』って言うだろうし)
ゆっくりしようと決めながら、何かと用事を思いつく。
気を抜かないように。
余計なことを思い出さないように。
―― それは、気づけば身についていた癖だった。
やがてカレーも完成して、麗奈はアイスを買いにコンビニに向かう。
季節限定のラズベリーチョコのアイスを見つけ、つい家族ぶんを買い込んだ。
ぶらぶらと歩きながら、家へ向かう帰り道。
川沿いの小さな公園のベンチに座っている人がいた。
大きなフードを被ったその服装に、ふと目が止まる。
――どこかで、見たような気がする。
思い出せそうで思い出せない、その違和感に引き寄せられるように、麗奈は足を止めた。
その人は、膝を抱えて顔を伏せて座っている。
肩が、かすかに震えていた。
泣いているのだろうか。
それとも、具合が悪いのだろうか。
気になって見つめていると、被っているフードが、ふわりと風にあおられた。
その瞬間――隙間から覗いたのは、明るい紫の髪色だった。
その髪色に見覚えがある。
(ミラ?!)
思わず、駆け寄った。
「ミラ?どうして?魔法を―」
『魔法を使ってここに来たの?』
そう声をかけようとして、はっと気づく。
――ミラじゃない。
ふわふわの髪のはずが、まっすぐだった。
髪色は似ている。
けれど、違う。
それに――ミラなら、呼べばすぐに「レイナ様!」と笑ってくれるはずだ。
目の前の少女は、ただフードの奥から、じっとレイナを見つめているだけだった。
(髪を染めているだけ……?)
それに気づいた瞬間、カァッと顔に血が上った。
「魔法」だなんて。
真面目に尋ねる言葉じゃない。
視線を逸らしたくなる。
「あ、ごめんなさい。知ってる人に似てて……。あの、大丈夫ですか?」
(お願い。『魔法』は聞かなかったことにして……)
そう祈りながら、言葉を重ねた。
「レイナ様――ですね?」
「え……?」
呼吸が、止まる。
自分を「レイナ様」と呼ぶ者は、あの世界にしかいない。
(この子は……?)
考えが、追いつかない。
呆然と見つめる麗奈に、少女は立ち上がると、まっすぐに見上げてきた。
その瞳は、涙で濡れていた。
「私は……確かに麗奈だけど……」
「――やっぱり!……よかった……」
戸惑いながら答えると、少女がぎゅっと目をつぶる。
「私……私、空間の歪みに落とされて……帰れ、なくて……う、うう……」
堪えきれず、うわぁぁぁん、と泣き出した。
よほど怖い思いをしたのだろう。
肩を震わせながら、必死に涙をこぼしている。
「帰れなくて、ここにいたの……?」
泣きながら頷く彼女を見て、胸が締めつけられる。
――一人で、こんな場所に。
あの世界に一人でいた自分と重なり、彼女の不安と孤独が、痛いほど分かる気がした。
「名前を聞いていいかしら?」
「……キッカ……」
彼女はキッカという名前らしい。
しゃくりあげながらも、答えてくれた。
「キッカさん?可愛い名前ね。ねえ、お腹は空いてない?」
「……う、ん……」
「じゃあ、何か食べましょう?さっき、ちょうど作ったの。家も近いのよ。――一緒に来てくれる?」
キッカが、ためらうように視線を揺らす。
麗奈は、安心させるようにやわらかく微笑んだ。
「温かいものを食べて、少し落ち着きましょう? そのあとで、ゆっくり休めばいいわ」
そう言って手を差し出すと、キッカはおずおずとその手を取った。
「安心してね」という言葉の代わりに、きゅっと手を握り返す。
麗奈に手を引かれ、キッカはおとなしくついてくる。
彼女に聞きたいことは、いくつもあった。
空間の歪み。
それは、あの世界で聞いた言葉だ。
ハミルトンが研究していた、空間の歪みを閉じる魔法。
それが間に合わなかったのだろうか。
(キッカさんは――あの世界から、こぼれ落ちた?)
「落とされた」と言っていた気がする。
胸の奥が、ざわりと波立つ。
あの世界で、何かが起きているのかもしれない。
ミラは。
屋敷のみんなは――ハミルトンは、無事だろうか。
キッカの手を引きながら、胸の奥に不安が広がっていった。




