19.ミラの、予言の聖女様
レイナ様は、とても繊細な方だと思う。
子どものころに見た予知夢を話すときでさえ、身を震わせる。
『ずいぶん昔の夢だし、思い出さないようにしてたんだけど……目に焼きついちゃって』
そう言いながら語られる内容は、一瞬の夢とは思えないほど詳細だった。
当時、どれほどの恐怖を刻みつけられたのかが、ありありと伝わってくる。
傷つく人はもちろん、燃える家屋や、川の氾濫でさえ、レイナ様の目には、すべてが恐ろしいものとして映るようだ。
お茶を飲みながら、ふと思い出したように瞳が揺れるとき――
魔獣に襲われた夢を思い出しているのだと、ミラは知っている。
子どものころは、眠るのが怖かったとも話していたが、きっと今も変わらない。
ミラは、レイナ様が眠るまで、側でおしゃべりをすることが、いつしか日課になっていた。
「ねえ、ミラもこれ使ってみない?髪がすごくサラサラになるわよ」
眠る前に、レイナ様が小さな瓶をミラに差し出した。
その小瓶は、ハミルトン様がレイナ様に贈られたトリートメント剤だった。
手のひらに収まるほどの小さな瓶で、淡い光を受けて、紫がかったガラスが静かに艶めいている。
「いえ! 私の髪質は、洗いざらしの方が調子がいいんです!」
ほとんど反射のように、首を激しく振る。
――それだけは、絶対に受け取れない。
確かに、そのトリートメント剤が優れたものなのは分かる。サラサラだったレイナ様の髪が、より艶を増している。
だが、そんな危険すぎる代物、受け取れるはずがない。
ハミルトン様とレイナ様の、二人だけの香りを、ミラが身に纏おうものなら――
どんな目に遭わされるか分かったものではない。
想像するだけで背筋が冷える。
魔法使いの仲間たちだって、「バカな奴め」と笑いはしても、庇ってはくれないだろう。
ミラは、そんな未来を選ぶほど、愚かではない。
「ぜひ!レイナ様がお使いください!」
そう、念をおす。
「そう?……でも、そうね。洗いざらしでそのふわふわな髪なら、そのままの方がいいわ。すごく可愛いもの」
ふふっとレイナ様が笑い、ミラはほっとする。
(レイナ様と二人だけのお揃いなら、私だって使ってみたいけど……)
――いや、それもダメだ。危険すぎる。
あの冷たい目に、嫉妬の色を宿し、理不尽に罰を下すハミルトン様を想像して、ミラは気を引き締めた。
ただでさえ、今日のハミルトン様は機嫌が悪いのだ。
原因に、心当たりがないわけではない。
刺激するわけにはいかない。
「あの……本当によろしかったのですか?」
「え?なにが?」
おずおずと尋ねたミラに、レイナは首を傾げた。
「ルース王子のことです。あの……王家からの要請だからといって、無理にお二人でお会いになる必要はないのですよ。断っても、ハミルトン様には影響なんてないですよ」
探るように、レイナ様の表情を窺った。
ハミルトン様が機嫌を損ねている原因は、これだ。
レイナ様がルース王子と二人きりで会うことを、あっさりと了承してしまったからだった。
あの方の理不尽な八つ当たりを収めるためにも、ここは慎重に、真意を確かめる必要がある。
「ハミルトン……?あ、違うのよ。別にハミルトンの立場を気にしたわけじゃなくて。
……ちょっとね。ルース様に見てもらいたいものがあるの」
「見てもらいたいもの、ですか……?」
ごくりと唾を飲む。
――これは非常にまずいのではないか。
レイナ様が、ハミルトン様にではなく、ルース王子に見せたいものがある。
それも、わざわざ「二人きりのときに」だ。
(……まさか)
嫌な予感が、胸の奥をかすめる。
『〈予言の聖女〉が、再びオルデナを救った』
その噂が、今、国を賑わせている。
――だからこそ。
王家がこの流れに乗じて、再びレイナ様を囲い込もうとしているのだとしたら。
今回の面会要請は、ルース王子との再婚約の打診であってもおかしくはない。
聡いレイナ様のことだ。
その思惑に気づいたうえで、あえて面会に応じた可能性もある。
そして、ハミルトン様が不在の隙を狙い、二人きりで話を進めるつもりなのかもしれない。
レイナ様は、すでに過去を断ち切っているように見える。
ルース様への未練など、感じられない。
けれど、ルース王子はとても整った顔立ちをしている。その優しげな面差しは、アルデナ中の女性を魅了するほどだ。
――あの、目つきの悪いハミルトン様とは違う。
甘やかされて育った王子らしく、優柔不断で頼りないところはあるが、レイナ様が再び心を傾けたとしても、不思議ではない。
(……ですが)
ミラは、ぐっと息を飲む。
(それでも、ハミルトン様はお強いですから!)
ほとんど祈るような気持ちで、口を開いた。
真相を確かめねばならない。
「あの……レイナ様。見せたいものとは……?」
ミラの震える声に、レイナ様の言葉が止まる。
その一瞬で、嫌な予感が胸の奥で大きく膨れ上がった。
(まさか、本当に――?やっぱり、見せたいものなんて口実?!)
心臓がばくばくと早鐘を打つ。
この事実を知ったハミルトン様が、どう出るか――
それを想像するだけで、背筋が冷えた。
「ミラ。――いい?誰にも言っちゃダメよ」
少し考える様子を見せてから、レイナ様が声を顰める。
どうやら、その胸の内を教えてくれるらしい。
ミラは息を詰めたまま、深く頷いた。
「実はね……。前にルース様に会ったとき、魔法を自慢したの」
「魔法……」
「あ、ほんの少しだけよ。……でも、ルース様は、濃い色のついたお菓子は嫌だったみたい。紅茶にいれる砂糖も出してみたけど、パラパラに散らばっちゃって……。前よりうまくできるようになったから、見せたいのよ」
「砂糖……」
あまりにも予想とかけ離れた言葉に、ミラの思考はそこで止まった。
「見ててね、ミラ」
茫然とするミラの前で、レイナ様が手を掲げた。
その指先に意識を集めると――
コロン、と。
小さな音を立てて、ひとつの塊がテーブルに落ちた。
「できたわ!ほら見て、ミラ。角砂糖よ。まだ、少しだけ紫がかってるけど……。はい、食べてみて」
「いえ。……残念ですが、今、ダイエット中ですから」
指でつまんで差し出された角砂糖に、ミラは慌てて首を振る。
確かに、濃い紫色ではなくなった。
しかしその淡い色の奥に、はっきりとハミルトン様の魔力を感じる。
そんな恐ろしい砂糖を、口にするわけにはいかない。
「そう……?夜だもんね。私も今は止めておこうかしら……」
レイナ様が名残惜しそうに見つめる中、角砂糖は静かに消えていった。
「あの……ルース王子とお話しすることは、これだけ……でしょうか」
念のために、ミラは言葉を重ねた。
「え?――あ、違うわよ。もちろん、魔法を見せるだけじゃないわ。今回の予言の報奨金についても、寄付に回してほしいって、しっかり伝えるつもりよ」
焦ったように手を振るレイナ様に、ミラは思わず言葉を詰まらせる。
――違う。そういう話ではない。
ルース王子が、わざわざ面会を求めた理由は、そんなものではないはずだ。
「あの……その……。もし、ルース王子から再婚約を求められたりしたら……」
「再婚約?」
レイナ様が目を瞬かせる。
「それはないわ。……ああ、でも確かに――王室と神殿の思惑としては、そうなった方が都合はいいかもしれないけど……でもやっぱり、現実的じゃないわね」
少しだけ考えるように視線を落とし、あっさり言い切った。
「だって私、もう心は23歳よ?ルース様より、5つも年上なのよ?4つ下の妹よりも年下じゃない。ルース様だって、同じように感じるはずだわ。私だって18のころ、25歳のハミルトンがすごく年上に見えたもの。恋愛対象外よ」
レイナ様が、小さく首を振る。
――本来の年齢で言えば、レイナ様はまだ19歳のはずだ。
それでも、この世界を離れていたあいだに積み重ねた時間が、レイナ様の中では生きているのだろう。
見た目は以前と変わらない。
けれど、ふとした仕草や口ぶりに混じる落ち着きは、確かに19歳の少女のものではなかった。
どこか懐かしむような口ぶりに、ミラは改めてそれを実感する。
「それに、ルース様にはカトリーナ様がいるじゃない。ルース様も、彼女が私の襲撃を指図したと知っているのでしょう?それでも婚約を続けているんだし――きっと、とても愛し合っているのよ」
レイナ様が、ふふ、と他人事のように笑う。
「そこは笑うところではないですよ」と言いたいが、ミラも口が緩んでしまう。
「そう、ですよね!5歳も年下なんて、恋愛対象外ですよね!ルース王子様も、カトリーナ様を深く愛していますしね!」
ミラが満面笑みで頷くと、レイナ様も当然のように頷いてくれた。
心は晴れやかだった。
(ハミルトン様に報告ね。これで、理不尽に八つ当たりされることもなくなるわ)
ルース王子との会見の際には、レイナ様に強めの魔力を乗せておくよう、ハミルトン様に伝えなくてはならない。
もっと強く、ハミルトン様の魔力を、砂糖に纏わせてもらわなくては。
その禍々しい魔力で――
レイナ様の隣に立つべきが誰なのか、嫌でも思い知ることになるだろう。




