18.理想の人
庭園を歩いていると、柔らかな風が吹き抜け、ハミルトンの髪を揺らした。
前髪を軽くかき上げた彼の、長い指の隙間からさらりと髪がこぼれ落ちる。
その仕草に、思わず目が止まった。
レイナは、隣を歩くハミルトンをじっと見上げる。
(髪のかきあげ方一つとっても、完璧な男ね……)
深い紫色の髪が日の光を受けて、艶やかに輝いていた。
かき上げられた拍子に覗く琥珀色の瞳は、思わず視線を逸らせなくなるほど美しい。
そのまま見つめていると、ふいにこちらを見たハミルトンと視線がぶつかった。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ……ハミルトンの髪はサラサラで羨ましいな、と思いまして」
目が合ったハミルトンに声をかけられ、「相変わらず整った顔ですね」と言いかけて――さすがにそれはどうかと思い、無難な言葉を選んだ。
「……ありがとうございます」
わずかに目を細めて、ハミルトンは微笑む。
「実は、髪には気を配っていまして。ちょうど、髪に良いトリートメント剤を開発したところなのですよ。よろしければ、レイナも使ってみますか?」
どうやら、髪は褒められて嬉しいポイントだったらしい。
ハミルトンは柔らかく微笑み、小さな瓶を手元に出して差し出した。
(髪のケア用品までも開発してたなんて…… どこまで完璧なの、この人)
彼の作るものなら、間違いはないだろう。
ぜひ試してみたいと思い、レイナはそれを受け取った。
蓋を開けると、静かで奥行きのある香りが、ふわりと立ち上る。
白檀のような、落ち着いた香りだ。
――最近、彼の近くでふと感じるのと、同じものだった。
「いい香り……。ハミルトンからすごくいい匂いがするなと思っていましたが、これだったんですね。早速使わせてもらいますね。ありがとうございます」
レイナがお礼を伝えると、ハミルトンは満足そうに笑みを深めた。
* * *
「お揃いの香りになりますね」
ミラの上司であるハミルトン様が、レイナ様に笑顔を向けている。
庭園を吹き抜ける風が、その髪をさらりと揺らした。
艶の増した、濃い紫色の髪だ。
明らかに、以前より手入れが行き届いている。
――その理由には、心当たりがあった。
『レイナ様の理想は、サラサラの長い髪の人だそうです』
ミラが、そう報告したからだろう。
今まで格好に無頓着だったハミルトン様が、髪が艶やかになる魔法まで生み出し、その髪を輝かせていた。
きっとあの髪は、そのまま伸ばされることだろう。
以前レイナ様は、周辺護衛についていたダニエルを気にしていた。
てっきり、ダニエルのような柔和で整った顔立ちの男が好みかと思っていたが、見当違いだったようだ。
レイナ様の好みは「髪の長い男」だった。
ハミルトン様がレイナ様に告白できるのは、まだまだ先の話になりそうだ。
ふと、以前レイナ様が話していた言葉を思い出す。
『ハミルトンは、補佐官を辞めて変わったのね。ずいぶん丸くなったと思わない?』
その言葉を思い返しながら、ミラは考える。
以前のハミルトンが、レイナ様にどんな態度を取っていたかは知らないが、予想はつく。
どうせ、レイナ様と仲の良かったルース王子に嫉妬して、大人げない振る舞いをしていたのだろう。
ミラから見れば、ハミルトン様が丸くなった要素などどこにも見当たらない。
むしろ――補佐官という枷が外れてからの方が、好き勝手に振る舞っているようにしか見えない。
今回の魔獣討伐だってそうだ。
レイナ様の予知夢がきっかけになったあの一件でも、魔塔主でもないくせに、自分の部下以外の魔法使いたちまで当然のように使っていた。
けれど、『丸くなった』という言葉は、レイナ様のハミルトン様への印象が良い方向に変わったという兆しではないだろうか。
ミラは、王族も神官も聖女も、好いてはいない。
奴らはいつでも、魔法使いを駒のように扱い、都合よく利用しようとする。好きになれるはずがない。
けれど、魔法を喜び、魔法使いに敬意を払うレイナ様だけは別だ。
〈予言の聖女〉として、未来に起こりうる危機を告げるその力も。
予言の報奨金のすべてを使い、魔法使いの遺族に手厚い保障を整えるその在り方も。
どちらも、ミラにとっては何より尊いものだった。
レイナ様こそ、魔法使いにとっての本当の聖女様だ。
その思いは、子供のころから変わらない。
ミラは、レイナ様にはハミルトン様を選んでほしいと願っている。
ハミルトン様は、魔法使いの中でも群を抜く最強の存在だ。
頼りない王家や神殿の庇護に置かれるより、ハミルトン様の側にいる方が、よほど安全だ。
もちろん、ハミルトン様が恋愛対象になるような人間ではないことくらい、分かっている。
あの鋭い視線は、魔獣ですら萎縮させるものだ。
レイナ様の夢に現れた魔獣を、骨も灰も残らぬほどに消し去ったその魔法は、同じ魔法使いですら震え上がらせるほどだった。
ミラとしては、あんな怖い男は願い下げだが――
それでも、レイナ様には安心してこの世界で暮らしてほしい。
(ハミルトン様は、嫉妬深く、狭量で、短気で、威圧的で、冷酷で、残忍で、その上あの目つきの悪さだ。お世辞にも好ましい人物とは言えないけど……)
――だからこそ。
レイナ様を守るには、あれ以上に適した男もいないだろう。
いつか、ハミルトン様と結ばれてくれればいいと、ミラは本気で思っていた。




