14.二人だけの時間に
「会いにくるのが遅くなってごめん。宮廷の連中、頭が固いだろ?なかなか分かってくれなくてさ……」
頭を下げたルース王子に、レイナは慌てて手を振った。
王族が軽々しく頭を下げるものではないことくらい、レイナも分かっている。
たとえ二人きりの場であっても、見過ごしていい振る舞いではなかった。
「ルース様、頭を上げてください。私なんかに頭を下げちゃ、ダメでしょう?怒られますよ」
幼いころ、この世界に来るたびに「前は守れなくてごめん」と頭を下げるルース王子を、ハミルトンが叱っていたのを思い出す。
口うるさい補佐官だったあのころの彼は、謝る王子だけではなく、レイナにも忠告してきた。
『ルース王子は王族です。レイナ様が〈予言の聖女〉だとしても、立場が違います。決して、近しい距離にいるものではないのですよ』
冷たい声で、王子と聖女の立場にはっきりと線引きしてきたものだ。
今、いくら二人きりだとしても、ハミルトンがいつ戻ってくるか分からない。
そんなところを見られでもしたら――間違いなく怒られる。
彼は、怒ると怖いのだ。
「――ああ、そうだな、うるさい奴がここにもいたな」
昔を思い出したのか、ルース王子がふっと笑う。
「あいつが戻る前に話しておきたいことがあるんだ。実は―」
「ルース様、待ってください。私も、ハミルトンが戻る前にお話ししたいことがあるんです」
思わず言葉を差し挟んでしまう。
本来なら許されない振る舞いだが、今はどうしても譲れなかった。
「……なんだろう。いいよ、レイナが先に話してよ」
ルース王子の顔がほころぶ。
5年の空白があっても、彼はどこか昔のままだ。レイナの焦りを察してくれたのだろう。
「誰にも言っちゃダメですよ。……絶対に、内緒ですからね」
これまで、頭の固い神殿の者たちの悪口を、こっそり彼にだけ打ち明けてきた。
ルース王子は、それを一度も他言したことがない。
その口の堅さは分かっているのに――それでも毎回、念を押してしまうのだ。
レイナの口癖のようなものだ。
「ああ、約束しよう」
ルース王子が楽しそうに笑う。
何度も繰り返してきたやり取りを思い出し、ふっと時が戻ったような気がした。
レイナはふふと笑って、手を前にかざした。
ぐっと手のひらに意識を集中させる。
見えない何かを、ぎゅっと固めるような感覚だ。
そしてイメージする。
(甘いお菓子になれ!)
すると、それがするすると形を持ち――綿菓子へと変わった。
レイナの魔法の定番色――濃い紫色の綿菓子だ。
ふわふわと漂う綿菓子を指でつまみ、味見をする。
口の中でしゅわっとほどけて、甘さがふわりと広がった。
「実は私、魔法が使えるようになったんです」
目を見開いたルース王子に、レイナは微笑んだ。
「あ、使えるって言っても、いつでもじゃないし、すぐ消えちゃうんですけどね。ルース様もどうぞ。消える前に、食べてみてください」
「……いや、僕はいいよ。遠慮しておく。それよりレイナ、その色は……」
「ああ、びっくりしますよね。濃い色だと、ちょっと体に悪そうに見えますよね」
ルース王子に遠慮されて、レイナは眉を下げる。
実際に何かが入っているわけではないが、見た目の印象は強いのかもしれない。
「色の調整は、上級魔法になるのかも……。この色、やっぱりダメかな。おいしいのにな……」
消えかけている綿菓子をもう一度つまむが、口に運ぶ前に霧となって消えてしまった。
「いや、それより。その魔法……」
戸惑いを見せるルース王子に、レイナは頷いた。
彼が驚くのも無理はない。
そっと周りを見回し、誰もいないことを確かめる。
ハミルトンは、まだ戻ってきていない。
「私の魔法です」
何でもないことのように言い切った。
魔力の受け渡しは、厳罰の対象になるらしい。ハミルトンの名を出すわけにはいかなかった。
本当は、黙っていればいいだけの話だ。
けれど――ずっと憧れていた魔法が、ほんの少しでも使えるようになったのだ。
誰かに見せたくて仕方がなかった。
嬉しさを抑えきれず、ミラにはすでに打ち明けてしまったが――この拙い魔法なら、どうせなら魔法使いではない相手に見てほしい。
そして思い浮かんだのが、ルース王子だった。
彼は口が堅い。
ハミルトンが苦々しい顔で、ルース王子からの面会の申し出を伝えてきたときから――この瞬間を、密かに楽しみにしていたのだ。
結局、魔法のお菓子を食べてもらうことはできなかったが。
こうして魔法を見せられただけでも、レイナの胸は十分に満たされていた。
「今日はルース様にお会いできてよかったです。あ、温かいうちに紅茶をどうぞ。……白いお砂糖、出ないかしら……」
もう一度、手のひらに意識を集中させると、紫色の砂糖がぱらぱらとテーブルの上にこぼれた。
「……」
ルース王子は、テーブルを見つめたまま、何も言わない。
やっぱり、変に見えるのかもしれない。
「次はお皿を用意しますね。……もう少し、精進します」
レイナは、テーブルに散らばった砂糖を指で集めた。
相変わらず無言の彼は、行儀の悪さに呆れているのだろう。
* * *
やっとの思いで会えたレイナは――
目の前で、テーブルに散らばった砂糖を懸命に指で集めていた。
集めたそばから霧のように消えていくそれは、濃い紫色をしている。
(あいつ……)
ルースは、その砂糖と同じ髪色の男を思い浮かべ、口元を引き締めた。
ハミルトンは、レイナとの面談要請を、ずっとのらりくらりとかわしてきた。
やっと面談を取り付けた今日、やけにあっさりと隙を作った――そう思ったが、きっとこれも計算のうちだ。
普段は「予言の聖女」として、落ち着いた姿を見せるレイナだが、魔法に関しては子供のような反応を見せる。
内緒だと言われれば、誰に打ち明けるかなど、分かりきっている。
その上で、あえて二人きりの時間を作ったのだろう。
ハミルトンの色の魔法を、こうして見せつけて、自分を牽制しているつもりか。
「レイナ」
テーブルを見つめるレイナに、たまらず声をかけた。
伝えねばならないことがあった。
「もう聞いているかもしれないが、過去二度の襲撃は、カトリーナが手を回してのことだったんだ。これまで何もできなくて――本当に、すまない」
再び頭を下げた。
「ルース様、頭を上げてください。もう、済んだことですし、気にしないでください」
かけられた穏やかな声に、わずかに顔を上げ、レイナを見る。
「僕を、許してくれるのか……?」
返事の代わりに、レイナはそっと微笑んだ。
その表情に、胸の奥に張りつめていたものが、静かにほどけていく。
「……良かった。ずっと、レイナに謝りたかったんだ」
小さく息をついた。
「本当は、カトリーナの罪を明るみにしてから、レイナに会って説明するつもりだった。だけど……宮廷の連中が、『アステリア公爵家の令嬢を断罪したとなると、世間に動揺が広まる』って聞かなくて」
会議での重鎮たちの様子を思い出し、ルースは眉間を寄せる。
アステリア公爵家は、オルデナで最も影響力を持つ貴族だ。国の重鎮たちにも太くつながっている。
たとえ予言の聖女の襲撃という大罪であっても、アステリア公女の断罪を認めるわけにはいかないのだろう。
――自分たちの立場が揺らぐからだ。
「過去のことはこのまま伏せるべきだと、あいつらは言うけど……僕はレイナが望むなら説得するつもりだ」
ルースの真剣な言葉に、レイナは小さく首を傾げた。
「説得……は、いいかも?」
少し考えるように視線を泳がせてから、ふっと笑う。
「ほら、みんなが『〈予言の聖女〉を害する者は、いかなる者も厳罰に処す』って法を破るなら、私も予知夢の報告義務を破っても、怒られないでしょう?」
ふふ、と楽しげに笑う。
いかにもレイナらしい物言いだが――
王族として、それを認めるわけにはいかない。
「いや――」
「もちろん、国にとって有事となる予知夢は、すぐに私の方から報告を入れますよ」
その声と同時に、ハミルトンが姿を現した。
「ルース王子。確かに以前は、カトリーナ嬢の一族を徹底的に断罪すべきだと申し上げましたが……」
ハミルトンは、ゆっくりとルースへ視線を向けた。
「今は、私がレイナを守れます」
静かな声音だったが、有無を言わせない響きがあった。
「私も、カトリーナ嬢の罪は伏せてもいいと考えています」
かつての補佐官が、冷ややかな目を向ける。
その視線は――
それ以上の介入を許さない、と言外に告げていた。
重鎮たちは、敵に回してはいけない相手を怒らせてしまったのかもしれない。
ルースは、その気迫に押されるように、言葉を失った。




