11.王子の事情
「よく……こんなことができたものだな」
オルデナ国の王子ルースは、補佐官からの報告書に目を落とし、深くため息をついた。
そこには、カトリーヌが闇魔法使いに劇薬の調合を依頼した証拠が記されていた。添えられていたのは、一通の依頼書と、一本の長い黒髪。
特定の対象のみを狙い撃つというその劇薬には、本人の体の一部が必要なのだという。この髪が誰のものかなど、考えるまでもなかった。
それは紛れもなく、予言の聖女の髪色だった。
髪を見つめながら、ハミルトンの屋敷で見たレイナの姿を思い出す。
彼女は、本来であれば――9ヶ月前に、共に婚約式を挙げているはずの人だった。
オルデナ王国では、王子は18の年に婚約式を行う慣例がある。
ルースは幼いころから、18歳になったらレイナにプロポーズすると心に決めていた。
予言の聖女であるレイナは、危険に晒されるたびに、消えてしまう不思議な少女だ。
ルースが初めて彼女に会ったときは、レイナの方が年上だったようだが、幾度かの出会いを経て、気づけば同じ歳になっていた。
多大な功績を上げながらも偉ぶることはなく、いつも落ち着いた優しさをくれる少女だった。
王子である自分に媚びを見せることもないレイナといると、心が安らいだ。
幼いころから、ずっと好きだったのだ。
ようやく18歳を迎えたその日に、ルースは長年の想いを伝え、プロポーズした。
レイナは、この世界に執着していない。
だからこそ、できるだけ早くプロポーズをしたかった。
婚約という誓約で、この世界に繋ぎ止めてしまいたかった。
受け入れてもらえるかは賭けでもあった。
けれど誓いを交わせば、もう彼女が消えることはない。
祈るような想いで返事を待ち――そしてレイナは、その想いを受け入れてくれた。
すぐに準備に取りかかり、異例の早さで婚約式の日取りが決まった。
それなのに――その前夜、一瞬の隙を突かれた。
レイナは何者かに襲われて、姿を消してしまった。
レイナの部屋に続く廊下に残されていたのは、彼女のストールだけだった。
それでも、レイナが無事でいることは分かっていた。
予言の聖女は、その能力ゆえに常に危険と隣り合わせにある。誰かを救うための予知夢は、別の誰かの脅威にもなり得るからだ。
(だから必ず戻ってくるはずだ)
以前も、レイナは14歳になるまで、数年ものあいだ姿を現さなかった。
けれどそれは、この世界の危険を怖れたレイナが、自身の意思でこの世界に来ないことを決めていたからだ。
自分のプロポーズを受け入れた今なら、すぐに戻ってくるに違いない。
そう、固く信じていた。
だが、レイナはなかなか戻ってこなかった。
王国の重鎮たちは、「予言の聖女が戻るまで婚約式を見送る」という判断に強く反対した。
慣例を破ることは国の乱れに繋がると、連日のように説得された。
レイナの帰りを、毎日祈るように待っていた。
それでも、彼女は帰ってこなかった。
そうして半年が過ぎた頃――
「予言の聖女が戻るまで」という条件付きで、別の者との婚約式を受け入れた。
それが、アステリア公爵家のカトリーヌ嬢だった。
「予言の聖女様が戻るまででよいと、娘も了承しております」
アステリア公爵がそうルースに告げ、カトリーヌ嬢の意思も聞いた上で、彼女と婚約式を行うことになった。
――慌ただしい毎日の中で、大事なことを忘れていた。
レイナは異世界に戻るたび、この世界で過ごした分の時間が巻き戻る。
カトリーヌとの婚約式の日。
18歳だった彼女は14歳の姿になって現れた。
レイナが戻れば、カトリーヌとの婚約は破談になる約束だった。
だがさすがに、14歳の少女と婚約をすることはできない。
女性の婚約が認められる16歳になるまで、成長を待つしかなかった。
(この婚約式が終わったときに、しっかりレイナに説明しよう)
そう考え、気もそぞろに婚約式を進める中――
再び、彼女を失った。
またしても、彼女を守れなかったのだ。
前回、国を挙げて調べても見つからなかった犯人を、当時補佐官だったハミルトンが突き止めた。
レイナの護衛だったその男を、拷問の限りを尽くして吐かせ、その男にわずかでも関わる者には強力な自白魔法をかけ、徹底的に洗い出したようだ。
そして浮かんだのが、カトリーヌだった。
(よりによって、カトリーヌ嬢とは……)
頭を抱えることしかできなかった。
カトリーヌの動機は容易に想像がついた。
王妃という立場に上り詰めたかったのだろう。
カトリーヌの野心に気づかなかったわけではない。
だが、そんな女だからこそ、レイナが戻った暁には、情を移すことなく、切り捨てられるという算段があった。
カトリーヌがどれだけレイナを疎んでいたとしても、まさか自ら手を下すとは思わなかった。
公爵令嬢ともあろう者が、そんな愚かなことに手を染めるはずがない――そう思い込んでいた。
「アステリア公爵家一族――いえ、あの派閥ごと根こそぎ絶やしてしまいましょうか?」
冷淡な笑みを浮かべたハミルトンの言葉に、思わず賛同しかけた。
だが、自分はオルデナ国唯一の王子だ。
予言の聖女を二度も危険に晒し、その犯人が婚約者だった――そんな醜聞が広まれば、ルース個人の問題では済まない。王家さえ揺るがしかねない。
ハミルトンには、この件を不問とするよう命じた。
しかし、いつもならば渋々ながらもルースの意見を受け入れてきたハミルトンは、強く反発した。
アステリア公爵家ごとカトリーヌを断罪することを認めないのであれば――補佐官も辞する。
そう突きつけられた。
口うるさいが、有能なハミルトンを手放すのは惜しい。
だが、敵に回るわけではない。
補佐官でなくなろうとも、有事の際には動かせる。
そう考え、ハミルトンと決別することを選んだ。
(なんだかんだ言って、僕に不利になるようなことはしないだろう)
そんな甘い考えで、またしても判断を誤った。
(……何が婚約者だ)
ハミルトンは、3ヶ月近く前にレイナが戻ってきたことを、報告すらしていなかった。
いつの間にか大神殿を自分の一族で固め、レイナの情報を徹底的に秘匿していた。
レイナが戻るや否や、自分の屋敷へと連れて行ったらしい。
――しかもよりによって、ハミルトンの婚約者として。
予言の聖女には、行動に大きな制約がある。
誰かと婚約を結び、元の世界との繋がりを断たない限り、神殿と王宮の外には出られない。
だが、レイナが戻ればすぐに屋敷にかくまう計画を、ハミルトンは前々から立てていたようだ。
そもそも魔法使いなど、王家や神殿の決まりごとを軽んじる者ばかりだ。
それなら、わざわざ婚約者に仕立てる必要などないはずだった。
現に神殿長に対しても、「予言の聖女の安全のため」として話を通していたらしい。
ちょうどレイナが戻ってきた頃から、原因不明の暴風被害が各地で発生し、その対応に追われていた。
その影響もあり、王家の隠密がレイナの帰還を突き止めるまでに、数週間もの時間を要してしまった。
急いでレイナへの面会の手紙を出したが――
何通送ろうと、「婚約者の安全を優先するため」とハミルトンに阻まれ、一通として渡されていないようだった。
「あいつ……」
屋敷で見たハミルトンの様子を思い出し、ギリッと奥歯を噛み締める。
当然のようにレイナの隣に腰掛け、親しげに名前で呼び合っていた。
ハミルトンの妙な反応のせいで、レイナもいつもの調子を崩しているようだった。
その上、「呪い返し」などという物騒な魔法を生み出し、その対象をルースにまで広げるようなことを、平然とした顔で口にしていた。
(補佐官を辞めた途端にこれか)
しょせん魔法使いなど、常人には計り知れない思考の持ち主なのだろう。
とにかく、これまでのことを含めて、カトリーヌの罪を再度洗い出さねばならない。
レイナと話をするのは、すべてに片をつけてからでいい。
冷静に、そして早急に片をつけねばならない。
だが、どれだけ抑えようとしても湧き上がってくる怒りが、それを許さないようだ。
レイナを何度も狙うカトリーヌにも、カトリーヌに対する対処を誤った自分にも腹が立つ。
そして――
屋敷を後にするルースに、ハミルトンはレイナの手を握ったまま見送ってきた。
その嬉しそうな顔に、何よりも苛立ちが募る。
(以前、僕がレイナに触れようとするたびに、『婚約式前ですよ。お立場をよくお考えください』とか言ってきたくせに……)
かつて厳しくルースの行動を制限してきた男の言葉を思い出し、手元の報告書が、わずかに震えた。




